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激動の幕末、三井家は情報を重視して生き残った 江戸、大阪、京都で両替商を営んでいた三井にとって、金銀相場の変動は経営の死活問題である。儲けるには、新鮮な情報を誰よりも速く手に入れことが不可欠。 当時、金銀相場の変動は長崎が握っていた。鎖国時代、唯一の貿易窓口、ここでオランダ、中国との銀中心の取引が行われていた。その貿易額の増減により銀の相場が動く。それにつれ、金の相場が変動し、銅も連動した。 三井は長崎に支店を出し、いち早くキャッチした情報を長崎〜大阪〜京都〜江戸のルートで伝えた。 途中、手旗信号、音響信号、飛脚などの手段を用いると、大阪〜江戸間が八時間しかかからなかったと言う。情報ルートを確立するため、三井は惜しみなく費用をかけたが儲けは莫大だった。 また長崎からの情報により、幕府はいずれ崩壊することを見とおし、薩摩藩に倒幕資金を融通していた。 < ききみみずく >
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