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「東海道は10日路といって、幕末期、江戸日本橋〜京都三条大橋間百十五里二十丁、メートル換算502キロを10日で歩けることになっっていたが、実際は、風雨や川留などの障害があり、14泊15日くらい掛かったらしい。それでも一日当たり平均33.5キロ歩く勘定になる。現代人にはとても真似の出来ない健脚ぶりだ。」
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「飛脚は早かったらしね」
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「江戸時代、公文書のリレー運送で、江戸〜京都間60時間以内という定めがあった。一時間10キロのスピードだ。町飛脚は大阪、京都、江戸の飛脚仲間が月に三度の定期便をだしていたが、到着期限が6日間だった。これが3都飛脚、3回だから3度飛脚ともいわれた。彼らがかぶった笠が3度笠だ。」
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「旅の費用はどれくらい掛かったのかな?」
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「現代の金額に換算するのは難しいが、米の値段を基準にして比較すると、幕末、一両は6万2000円くらいになる。一両=四分=十六朱=六千二百文=銀六十匁だから、一文10円くらいかな。宿泊料一泊100〜300文昼食やお茶代で一日50〜100文、酒一合(180ミリリットル)30文、因みに鰻丼150文、てんぷら蕎麦32文、掛け蕎麦18文、ゆで卵一個20文は当時、貴重品だった。初鰹一匹1両2分、現代の貨幣価値で7〜8万円はまさに"かかあ質においても食べねばならぬ"江戸っ子の意気地と見栄を象徴する食べ物だった。馬、駕籠一里当たり100文、草鞋(わらじ)一日1足16文、三日に一回の月代(さかやき)が30文、面白いのは大井川の川越だ。水量によって料金が違う。股下48文、腰下、52文、肩までつかると94文、連台担い手4人300文。旅の慰め飯盛り女、名目は給仕女だが実質は娼婦、この相場が昼400文、夜600文などなど、往復で3〜4両掛かったらしい。当時熟練の大工の月収が2両くらいだから、庶民にとって一生に一回出来るかどうかの大旅行だったのだな。」
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