ニュ−オーリンズ、ブルース漂泊♪♪

軽い口当たりが人気のフランス生まれの四角いドーナツ、 "ベニエ"が売り物のカフェテラス。エンダイブの根を挽いた"チコリ"ブレンドのカフェ.オ.レと絶妙に合う

歴史を物語るニューオーリンズの地名☆☆

「ここはニューオーリンズの"カフェ.デュモンド"の日本店だ」
1862年生まれの古い店だ。確か、フレンチ.クォーターの中心の"ジャク ソン広場"にあったな。おれ行ったことがある」
「フランス統治時代(1721)、軍の練兵場として造られ、一時は処刑場としても使われた。客待ちの馬車、似顔絵書き、パフォーマンスの大道芸人、ストリートジャズ演奏、陽気でにぎやか、一日いても飽きない広場だ」
「近くに、ニューオーリンズ発祥以来の古いアパートがあったな」
ポンタルバ.アパート1850年前後に完成したレンガ造り3階建て、2棟。アメリカ最古のアパート。持ち主の紋章入が入っている、バルコニーの"アイアン.ワーク"†が美しい。今は観光案内所と博物館になっている。
 もともとこの地方は、16Cの初頭、スペインに占拠されたが、17C後半、フランスの植民地となり、当時の国王ルイ14世の名にちなんで、"ルイジアナ"と名づけられた。"ニューオーリンズ"という地名も、フランス読みでは、ジャンヌダルクの生まれた町として有名な"オレルアン"に『新』をつけたもの。
 ところが、ナポレオン1世時代、(1803年)戦費調達のため、この地方一帯は、わずか1,500万ドルでアメリカに売却された」


ジャズ発祥の地☆☆

「ニューオーリンズはジャズ発祥の地だな?」
1863年、奴隷開放後、1891年、黒人の"バディ.ボルデン"(バディ.ボールデン.ラグタイム.バンドンの主催者)の高らかなトランペット演奏がジャズ第一声といわれているところから、1900年前後ルイジアナ州、ニューオーリンズに起こった音楽とされるが、厳密に言えば、"ジャズ"という名前はは後から付けられたもので、"デキシーランドスタイル音楽"♪♪だな。


デキシーランドの由来$

"デキシーランド"の語源は諸説あるが、有力なのは、この地方がフランス統治時代、ニューオリンズの中央銀行が発行していた10ドル紙幣にフランスの"DIX(ディス、フランス語で10)"と刷られていたところからあだ名され、ニューオーリンズのみならず、アメリカ南部一帯を"デキシーランド"と呼ぶようになったというもの」


ブル−スの誕生♪♪

「今の"ルイ.アームストロング公園"、昔、黒人たちが手製の楽器を持ち寄って、音楽を演奏したり、歌を歌ったりした"コンゴ広場"と呼ばれいたところだろ?」
「 奴隷開放前、日曜日の午後だけ休むことが許された奴隷たちがこの広場で集まって、太鼓を叩き、歌ったり,踊ったりしていた。
 解放後も、その習慣が続き、太鼓だけでなくさまざまな楽器を持ちより、(南北戦争で敗北した南軍の軍楽隊が二束三文で楽器を払い下げたので、貧しい黒人も楽器を持てるようになった)楽器のないものは音が出るものなら何でも持って集まってきた。
 正規の音楽教育を受けたことのない黒人たちは見よう見真似で独自の演奏スタイルを生み出した。それが"ブルース"♪
ブルースにはいろいろな音楽の種類がMIXされているね」
19C当時、綿花の積み出し、奴隷の売買など、ミシシッピー河口にある港町、ニューオーリンズは活気に満ち、歓楽都市になり賑わったが、いろいろな国からの流れ者も入り込んでくる。
 彼らの持ちこんできた、民族的な音楽が遊郭(日本名、小泉八雲、作家の"ラフカディオ.ハーン"も新聞記者時代、1877〜87、よく通ったという)安キャバレー、安酒場や、ダンス.スクールなどが軒を連ねる歓楽街、"ストーリーヴィル"などで連夜、狂演。
 "ホンキー.トンク(居酒場)スタイル"♪のピアノ、正規の音楽常識を破った"ラグタイム(ボロ)"の演奏、スペインの"ハバネラやクァドリル"♪のリズム,フランスの"民謡やダンス音楽"♪、"ワルツ"♪黒人たちの"スピリチュアルズ(黒人霊歌)"♪、などなど。
 そして、黒人たちが歌い継いできた、奴隷身分の"絶望と哀しみの歌"、厳しい労働の明け暮れに少しでも、苦痛や苦悩を和らげるための"労働歌"
 そうした中でも、明るい希望を託す"恋の歌"などが融合し、彼らの本能的なリズム感に乗って"ブルース"♪という独特の音楽が作り上げられた。
 いわば"メルティングポット(坩堝)"の音楽ともいえる」


ジャズの誕生♪♪

「ブルースの根っこは黒人の魂の叫びだな!これがジャズ♪と呼ばれるのは?」
第一次世界大戦(1917)にアメリカが参戦、ドイツに宣戦布告、ニューオーリンズは軍港となる。時の海軍長官は断固として、享楽的な歓楽街の閉鎖を命ずる。職を失い,追われたミュ−ジシャンたちは、ミシシッピ−河沿いに北上する。
 "キング.オリヴァ"、"ルイ.アームストロング"たち、"ブルース漂泊の旅"が始る。
 "メンフィス""セントルイス"など、ミシシッピ−周辺の町を流離う。安物の楽器、ボロギター、バンジョー、小さなハモニカ、などをかかえ、街角で歌ったり、弾いたり、文無しだから移動は貨物列車に飛び乗る。
 ブルースには汽車がよく出てくる。汽車はブルーステーマですらある。それが彼らの漂泊の旅を象徴するからだ。
 日本では未公開だったが、TV放映された、『ニュー.オーリンズ』〔47〕という映画がある。
 ブルースの女王"ビリイ.ホリデイ"が出演 した唯一の映画。
 ルイ.アームストロングも出ている。余談だが、彼のあだ名"サッチモ"は唇が分厚かったところから、"サッチェルマウス(がま口)"が短くなったもの。
 この映画で、"ストーリ−ヴィル"を追われたミュージシャンたちが"フェアウエル.トウ。ストーリヴィル"♪を歌いながら町を出て行くシーンは哀感があり感動的だ。
 映画の中で"ビリイ"は女中役だが、後でスタンダードナンバーになる名曲"ドゥ.ユウ.ノウ.ホワット.イット.ミーンズ.トウ.ミス.ニュー.オリーンズ"♪(長いので、<ミス.ニューオーリンズ>と略される。"ミス"は失うの意,映画はこの歌で有名)を歌ている。
 撮影中、白人共演者達の差別と蔑視につらい思いをしたらしい。"もう二度と映画に出たくない!!"といってそのとおりになった。
 "ビリイ"といえば、売春、麻薬、入獄といった悲劇的エピソドを持つ黒人歌手として暗いイメージがあるが、実際は、<レディ.D>といわれるくらい、知的で、家庭的な女性だったらしい。
 決して美声とはいえないが,切々として歌う彼女のブルース♪は彼女のつらい人生体験そのもを表現している。
 厳しい人種差別の中で傷つきながら、懸命に生き、苦しみと哀しみ、ときには恋の喜びを率直に歌い上げる彼女の歌に、聴く人はまさに、彼女の魂の叫び!!を聴くような感じにさせられ感動する。
 彼女のアルバム"ラヴ.ソング集『奇妙な果実♪』"最高傑作だ。
 こうして少しづつ北上を続け、"ローリン.グツェンティ"(騒乱の20年代)と呼ばれる、禁酒法時代、カポネなどギャングが跋扈(ばっこ)するシカゴに辿り着く。ニュー.オリンズから約1,400キロの旅
 密造酒で大儲けしたギャングたちの庇護?を受けた彼らは密造酒を飲ませる秘密酒場(スピーク.イージー)やキャバレ等でようやく働き口を得る。
 シカゴでジャズ♪は花開く、この頃、"ラグタイム.バンド"と呼んでいたバンドが『ジャズ♪』と呼ばれるようになった。
 この理由もいろいろいわれているが、有力なのは、演奏を始める前、酔っ払いたちが『Jass it up、boy(一発やれ)』と卑猥な言葉を叫んでバンドをあおった事からきているらしい。そして"Jass"『JAZZ♪』と綴られるようになった。」


ジャズ拡散**

 初めは、下品な音楽とされていた『ジャズ♪』が白人の若者たちの人気になり、彼らも演奏するようになった。従来の"デキシイ−ランド.スタイル"に白人の感性を入れた"シカゴ.スタイル.ジャズ♪"の登場だ。
 1932年から始まった大不況とギャングのボス、カポネ達の逮捕などで、さすがのシカゴも寂れ、ジャズメンたちはまだ不況知らずのカンサス.シティに移動した。
 カンサスでは建設界の大ボス、秘密酒場の帝王"トム.ペンダ−ガスト"という男が健在で、支配権を握り、賭博場の安全と繁栄をはかり、ナイトクラブの開業援助など行なっていた。♭
 カンサスがジャズのメッカになった
 しかし、1933年末、禁酒法解除と共にカンサスも寂れ、ジャズメンの一部は新興のニューヨーク中心(イーストコーストジャズ♪)、一部は発展途上にあるサンフランシスコ中心(ウエストコーストジャズ♪)へ拡散する。
 演奏スタイル♪も、スイング、ビ.バップ、クールを経て、今日のモダン.ジャズ、ポップス、ロックに枝分かれして行く。
 しかし、音楽的基盤はあくまで、3行形式、12小節、メロディは即興的なブルース♪。
 トランペットの天才"マイルス.デイビス"が演奏中、"おれはブルースしてるんだ"と言っていたそうだ」
「ジャズの原点こそブルース。コード進行など、くそくらえというわけだな。ブルース"フォーム"じゃなく"フィール"閃き!とセンス!"フィール"のないブルースは"ブルース"ではないな。
 "マイルス"といえば、フランスヌーヴェル.ヴァ−ぐ映画"死刑台のエレベータ"(57、監督 ルイ.マルの処女作、出演、ジャンヌ.モロー、モーリス.ロネ)で吹く彼のトランペットは素晴らしい。
 異様な雰囲気をつくりあげる音楽効果として抜群。音楽映画としても歴史上に残る名画だ」


蘇るニューオーリンズ★★

「ところで、ニューオーリンズはその後どうなった?」
「一時は風前の灯にまで衰退する。北上せず残ったバンドマン達は、イベントに雇われたり、ニューオーリンズ名物の葬列行進の賑やかしなどで、細々と露命を保っていた。
 1961年、ジャズ発祥の地として、伝統的ジャズ保存の機運が盛り上がり、バーボン通りの近くに"プリザベーション(保存).ホール"が造られた。
 といっても、古い画廊を改造しただけの"ジャズ.ホール"座布団席一列、木のベンチ席数列、後は立ち見、飲み物販売もトイレもエアコンもない。ひたすら本物のジャズを聞くだけのホール
 しかし、開演前は長蛇の列、会場はすしづめ状態だ。みんな本物のジャズを聞きたがっているのだな。演奏はアーコスティク楽器によるのトラディショナルブルース。熱演だ。
 ニューオーリンズでは毎年4月末、世界中からフアンが集まる『ジャズ祭り』10日間に亘って開かれる。メイン会場は競馬場だが、市内各所でコンサートが開かれ、全市、音楽一色になる。
 演奏される音楽は幅広い。トラディショナルからモダンジャズ、ゴスぺル、ブルース、カントリー、フォーク、レゲ、ラテンなどジャズと多少関係のあるものなら何でもやる。まさにジャズ発祥の地に相応しい祭りだ
"マグノリア"の花咲く頃か?」
「季節が少し違う。ニュ−オーリンズは北緯30度に位置し、九州南部の気候に近い。
 "マグノリア"ルイジアナの州花だが、日本でいうモクレン科、いい匂いがする。2〜3月が最盛期、ニューオーリンズ最大の年中行事"マルデイ.グラ"祭りの頃だ」
「"リオのカーニバル"に匹敵するという大規模な祭りだな」
「キリスト教の"謝肉祭"だな。仮装行列が練り歩き、飲み、食べ、騒ぎ全市が酔っ払い状態になる。アメリカNO.1のバカ騒ぎ行事。人口45〜6万人の都市が観光客で倍以上に膨れ上がる」
映画の舞台☆☆
「映画"マグノリアの花たち"というのがあったな」
89年、ジュリア.ロバーツ、シャリー.マクレーン出演。ルイジアナ州の小さな町に住む6人の女性たちの愛と友情,生と死、人生の機微を心優しく描いたいい映画だ」
ミュージカルロマンス映画"ショウボート"(51)"マグノリア"が出ていたな」/TD>
「?ああ! ショウボートの座長の娘役名が"マグノリア"。キャサリン.グレイスンが演じていた。あの映画もいい。特に、マグノリアと姉妹のように仲がいい混血娘役のエヴア.ガードナー、妖しいまでに官能的、危険な魔力を秘めた、エキゾチックな美女を見事に演じていた。
 ショウボート19C末、ミシシッピ沿岸を巡業する劇場船、これを舞台に、座長の娘と賭博師との恋や、労働に明け暮れする南部黒人たちの日常生活が、黒人、ジョーに扮する"ウィリアム.ワーフィルト"の好唱,名曲"オールマンリバー"の調べに乗り感動的に描かれている」
「ニューオーリンズを描いた映画といえば、なんといっても"欲望という名の電車"(51)だ」/TD>
47〜48、ブロードウェイで大ヒットした"テネシー.ウィリアムズ"の舞台劇を映画化したもの。監督、"エリアカザン"
 主演女優の"ビビアンリー"『風と共に去りぬ』についで2回目のオスカー受賞、妹役の"キムハンター"が助演女優賞、助演男優賞が"カール.マルデン"、相手役の主演男優は"マーロン.ブランド"
 ニューオーリンズの雰囲気をこれほど的確に描いた映画は他にない。ニューオーリンズへ旅する人必見の名画だ
「今でも、モデルになった『Desire(デザイア、欲望)号』と同型の電車が市内を走っているね」/TD>
異国情緒とある種の退廃が漂う町、ニューオーリンズは旅人を虜にする何かの魔力を秘めているね。何回も行ってみたい町だ


< ききみみずく >