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旅、観光、風習 性の祭り「生きている日本風土記(能島啓介)文潮社」参照 農村の祭りの根元は「五穀豊穣」を祈るためだが、その象徴として、男女の性器をかたちどったご神体を崇拝する風習が多く見られる。豊年と子孫繁栄は同義であり、昔は、祭りとSEXの結びつきは強かった。 妊娠に関係する祭りで「嫁叩き」という行事が日本各地にある。祭りとしては古いもので、枕草子にもこの風俗が描かれている。 滋賀県の米原近くにある「筑摩神社」、女が自分と関係した男の数だけ鍋をかぶって参詣する。再婚した女は鍋一枚、3度結婚した女は3枚ということになる。見栄を張って、沢山の鍋をかぶる多情な女まで出たらしい。 富山県の「鵜坂神社」の"尻打祭り"も女は自分の関係したSEXの数を告白しなければならない。恥ずかしがって告白しないと神罰が下り一命を失うという。告白すると、神主は、榊の小枝でその数だけ女の尻を打つ。尻をたたくのは妊娠するという意味をもつ。 棒で尻をたたくところもある。この棒は男の逸物を象徴しているらしい。尻を叩くことと妊娠との関係は定かではないが。普通、軽く尻を叩くのは、何かを促す仕種なので、ここでは妊娠を促す行為と解釈できる。 奈良飛鳥の2月第一日曜に催される「飛鳥坐(います)神社御田植祭」は古くから性の祭りとして有名、 まず婚礼の所作事が細かく行われた後、神社の拝殿の真ん中で、仰向けに寝ころんだおたふく(女)に天狗(男)が乗りかかり、男女の営みを生々しく繰り返す。暮色の中で、おたふくの赤い腰巻きがゆらゆら動き官能をそそる。 祭りのクライマックスは、営みが終わったおたふくと天狗は懐中から紙を取出し、互いに股間を拭き、生々しく匂うようなその紙片を見物客にばらまく。 悲鳴とと罵声、見物客は争って紙片を奪い合う。この紙片は「ふくの紙」といって夫婦の営みの際に使用すると、必ず子宝に恵まれるいう霊験あらたかなものもの。 帰途、境内に軒を並べる店の屋台のほとんどで男女のシンボルを型取ったお守りが売られている。 因みに当夜の近所のホテルはどこもアベックで満員になるという。 奇習、処女テスト 神に仕える巫女は清浄無垢の処女でなければならぬ。沖縄の巫女は「ノロ」と呼ばれる。〜神に捧げる舞がゆっくりしているところから"のろま"の語源 沖縄本島から東海上6キロほどにある、"久高島"という孤島。民俗が多く残っている事で有名。 ここの最高位"ノロ"は部落長以上の権力者だという。農、漁業などあらゆる生産面に発言力を持ち、生活も保証されるというので、志願者も多い。 ノロに選ばれるためには、13年目毎の行われる{イザイホ}という祭りの"貞操試験"に合格しなければならない。 貞操試験はお宮の広場に聖なる樹のクバの葉で葺かれた小屋を造り、この小屋に渡る橋が架けられる。この橋は俗界から聖地に至る橋というわけだ。 巫女志願者はこの橋を渡るのだが、処女でない女性は満足に渡りきれないという。 処女テストの奇習で、昔、中部地方のある地域では、結婚前、女性の処女性を確かめるため、火鉢の中に桐の灰を入れ、羽毛できれいに均し、女性を裸にして火鉢に跨らせて、こよりで鼻の穴をくすぐってくしゃみをさせる。そのとき火鉢の灰が少しでも乱れたら非処女とされたという。現代では通用しないテストがあったらしい。 奇習、結婚 よそ婿に水 土佐の高知のある地域では、地元ではなく余所から来た新郎に水をかける風習がある。 結婚式は昼前から式場ではなく花嫁側の家で始まる。新郎は仲人に連れられ、花嫁の家に一応、婿入りという形で赴く。古来行われていた、母権家族時代の"招請婚"の名残である。 2時間ほどで、いわゆる婿入りの儀が終わると、仲人が"お婿さんは裏口から帰ってください"という。花婿が裏口に出ると、いきなり若い娘たちに、ピッシャと水をかけられる。水はあっちこっちから飛んできてずぶ濡れ。予めに何も聞かされていない花婿はびっくり仰天する。 この風習は「水祝い」といい、昔は「禊ぎはらい」といって、村の外から来る人が悪い病気など持ち込まないようにしたもの。 地名対照「諺」 人の生国によって性質や気立て、肉体的条件まで決められる諺がある。 {伊勢男に筑紫女} "古今著聞集"に、すでに逸物として、"伊勢まら""筑紫つび"が成語になっている。 {越前男に加賀女} 西鶴の"好色三代男"に書かれてある。 {東男に京女} この言葉が成立したのは江戸の町文化が上方に遜色ないと自信をつけた時期、この頃の江戸の随筆に男なら「京の女臈に長崎の衣装を着せ、江戸の張りを持たせ、大阪の揚屋にて遊びたい」とある。 それまでは、"東男"も優雅な"都人"に対して、いなかびて荒々しい、野蛮人の代名詞"東夷"と蔑まれ、 "東人(あずまびと)"と呼ばれていた。 地名が代名詞 「宇治」「瀬戸」というように、わざわざ"宇治茶""瀬戸焼"と断らなくても、茶や陶磁器とわかる地名が名産の代名詞になっている事が多い。 陶磁器では「九谷」「有田」「伊万里」、織物では「西陣」「伊勢崎」「小千谷」「結城」「大島」「博多」、畳表では「備後」「七島」、石材は「大谷」「御影」 食べ物でも「聖護院」「尾張」「守口」といえば大根、ミカンは「紀州」、酒は 「灘」蕎麦は「更級」 地名を冠した名産は、「甲斐絹」「黄八丈」「薩摩上布」「久留米絣」「清水焼」 「薩摩焼」「京染」「江戸紫」「鳴海絞」「高野豆腐」「岐阜提灯」「木曽檜」「秋田杉」「奈良団扇」「高野槙」「奈良漬」「伊勢海老」「美濃柿」「鎌倉彫」 「輪島塗」「京紅」「土佐節」ときりがない。 また、江戸時代の通り相場は「月は須磨、明石」「花は吉野」「芝居は道頓堀(大阪)、四条(京都)葺屋町」「遊郭は吉原(江戸)、島原(京都)新町(大阪)丸山(長崎)」 商品、物品から、直ちにある地名を連想させられるものとして、鵜飼いは「長良川」、琵琶といえば「筑前、薩摩」、万才は「三河」、薬売りは「越中富山」、金山は「佐渡」女郎は「三島、岡崎」、獅子舞は「越後」、女の夜這いは「三浦三崎」等々、現代でも通用するところもある。 旅行用心集(江戸の旅、今野信雄、岩波新書、参照) 江戸時代、文化、文政(1804〜30)の頃、道路や宿泊施設が整備され、治安も行き届き、安心して旅行を楽しめるインフラが出来上がっていた。 一方、幕府は政策上、信心のための旅行はほとんど自由に解放した。庶民、も、特に商人、職人等、商業資本の台頭とともに経済的余裕が出来、旅行ブームが起こった。紀行文、名所図絵、道中案内書などが数多く出版された。 道中案内書は、宿場間の距離、旅籠代、名所旧跡、人足賃、茶店、名物の土産物、馬の荷駄賃など必要経費が一切記してあり、携行に便利な小型、折り本タイプ、あるいは一枚刷りの折りたたみ形式である。 旅行の心得を説いた「旅行用心集」も版を重ねた。中でも「八隅蘆庵」の用心集はきめ細かく書かれてあり評判だった。この中で、現代でも十分通用する旅の心得が少なからずある。 {旅の用心}
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