プロ野球、驚・珍記録 最延長記録 昭和17年{、42}5月24日、名古屋(現中日)、大洋(東京セネタース、《s11設》と名古屋金鯱《s11設》合併、s18解散)後楽園戦。 延長28回、14時20分〜18時27分、日没、4対4の引き分け。投手名古屋、西沢道夫(後打者に転向、戦後中日の4番として活躍)大洋、鉄人と異名を持つ野口二郎(後の阪急コーチ)、両者完投。投球数、西沢311球、野口311球。審判、島球審(後セリーグ審判長) 因みにアメリカ大リーグ記録は、1974年、カージナルスとメッツ戦、25回1対1で引き分け。 連続5安打無得点 昭和38年{、63}8月14日、日生球場、近鉄.阪急戦、1回の表、阪急1番打者バルボン右前安打、2番岡島のとき2盗失敗、岡島中前安打、3番戸口 左中間安打のとき3塁を欲張りアウト、4番中田中前安打、2死1.2塁、5番早瀬中前安打で、戸口ホームをついてアウト、チぇンジ、阪急は負けた。 ファウルの新記録 ファウルはいくら打っても捕られない限りアウトにはならない。 1打席に最も粘った記録は、S22、11.11、後楽園、金星(スターズ).太陽(ロビンス)戦、太陽の8番打者、松井遊撃手、4回の第2打席で相手の下手投げ、重松投手から19球粘って、四球で歩いた。 本塁打王で打率最下位、三振王 S49、38本でパの本塁打王になった近鉄の"ジョーンズ"(一塁手) 打率.226、規定打席以上26人中26位、三振112個、2位有藤、80個 無安打で勝利 S14、5.6、甲子園、阪急.南海戦、ノーヒットで阪急が2対1で勝った。 南海、宮口投手に抑ええられ、0−1で迎えた6回、四球の西村を2塁に進めるためバンドした.投手のエラーで1.2塁、この後、バンドと死球で1死満塁 次打者左飛で同点。 7回、阪急、先頭打者四球、次打者のバンド処理を南海の名手3塁鶴岡(後、南海の名監督)、1塁へ大暴投、1塁ランナー長躯ホームイン。その後も無安打だったが、そのまま逃げ切って2対1で阪急の勝ち。 最短時間試合は55分 S21.7.26、西宮球場、阪神.パシフィック戦、阪神、渡辺誠太郎投手、88球.パシフィック,湯浅芳彰投手、93球、1x対0阪神の勝ち。 本塁打に代走 S44.5.18、西宮球場、阪急.近鉄戦、近鉄の外人選手ジムタイル 2回表の攻撃、足立投手から2.2の5球目を左翼スタンドへ叩きこんだが1塁ベースの手前で肉離れを起こし走れなくなった。野球規則5.10cの付記"本塁打、死球などのとき、走者の不慮の事故で安全進塁権を行使できなくなったときは、その場から代走を認める"が適用され、伊勢孝雄がダイヤモンドを一周した。記録上、得点は伊勢につき、ジムの本塁打は認められたが得点0 転向選手のプロ野球時代の記録 野球に見切りをつけ、他のスポーツで成功した代表選手にプロゴルフのジャンボ尾崎、プロレスのジャイアント馬場がいる。彼らのプロ野球時代の記録は 馬場(巨人、S30〜34年)、手が大き過ぎてボールの縫い目に引っかからず、大成できなかったといわれているが、3試合に投げ黒星一つ。 尾崎(西鉄、S40〜42年)、初めは投手、3年目に打者に転向、結果は42打席、24三振、安打2本。 1試合に10ポジション 野球の守備位置は9つ、これを全てこなした選手が、日本ハムの高橋選手 彼の本職は捕手、S49.9.29、大阪球場、南海.日本ハム戦 1回、一塁手からスタートして、2回捕手、3回3塁手、4回遊撃手、5回2塁手、6回左翼手、7回中堅手、8回右翼手、最後9回は投手。試合は0対7で日本ハムが負けた。 ところが、アメリカでは、10ポジションを務めた選手がいる。実は、10個目は守備ではなくて、指名打者。日本でもパリーグなら可能 2Aイースタン.リーグの"アルバニー.コロニー"のマイク.アッシュマン選手."対"ナシュア.エンジェルス"戦,1984年(s59)一回が指名打者、後は9つ全ての守備位置についた。4打数1安打、チイ−ムも5対3で勝った。 史上初のゴロ無し野球 S58.5.25、甲子園球場、阪神、中日戦、阪神は史上初のゴロ無し野球をした。つまりフライばかり打ち上げてしまった。 中日の投手は高橋三千丈、ゴロはあつたが、野手の間を抜けてヒット1本 フライと三振だけで27アウト、中日の一塁手は、野手からの送球を受けて打者をアウトにしたのは一度もない。 < ききみみずく >
|