衣の雑学 世界最古の衣類 アダムとイブが着けていた無花果の葉っぱ、二人が禁断のリンゴを食べて、真っ先に感じたのは、スッポンポンの自分たちの姿に対する羞恥心。そこで手近に生えていた無花果の葉を前に当てた。アダムのははみ出し、イヴのは隠せた。それでどちらも満足した。 因みに、最近まで、日本家屋の雪隠(せっちん)の前には必ず、無花果の木が植えられていた。無花果は臭気をとる作用がある。 ズロースの語源 英語の「ドロワーズ(drawers)」から生まれた。これは"男の下着"の意、日本にきて"女の下着"になった。この反対に、フランス語の「ジュボン(jupon)」,"女の下着"が日本では"ズボン"として主に男が着用する衣類となった。 パンタロン イタリアの道化師"パンタローネ"が観客の受けを狙って、クルブシまであるだぶだぶのズボンをはいて舞台に出,大笑いさせた。今日のズボンの初め。 英語では「パンタルーン」その短縮形が「パンツ」 パンティ−ズ 英国では"男の下着"の意味に使われ、婦人、子供用のものは、「パンティーズ」といった。アメリカではパンツは男女いずれもの下ばきを指す。 モンペ 普段は女性の野良着として、戦時中は質素倹約の象徴として、殆どの女性がはいた「モンペ」は、一説には、"門閉"(もんぺい)からきており、女性が簡単に"門"を開いてはいけないとも、ズボンのように、簡単に"用"を足せないように考えられたという向きもあるが、 アイヌ語の「オムンぺ」(股引き)からきているらしい。一番肉の多いところが"モモ"それを覆うものがアイヌ語の"オムンペ"という。 ジーンズ 蛇は温度センサーを持ち、外敵の体温を感知し、攻撃する。アメリカ西部開拓時代、開拓者達が毒蛇から身を守るため着用したのが"ジーンズ"、 青色に染めた厚手の生地(デニム)は体温を外へあまり拡散しない。丈夫で長持ち、作業服としてはもってこいの衣類、として西部から全土へ広まった。 ところが、アメリカ生まれだと思われているジーンズのルーツは"ヨーロッパ"にある。 生みの親は、"レヴィ.シトラウス"、アメリカ読みでは、"レヴィ"は"リーバイス"1850年の初め、ドイツのバイエルン地方からサンフランシスコに移住してきたユダヤ系ドイツ人。 また、ジーンズの生地"デニム"は南仏"ニーム産織物"、これが英語読みで"デニム"、この生地を貿易船で運んでいたのが、"ジェノア人"、これがなまっ、て"ジーンズ"となった。 江戸紫 歌舞伎十八番の代表、"助六"、江戸紫の鉢巻を締めて、颯爽と花道から登場し、敵に啖呵を切る伊達姿は観客を熱狂させた。 因みに紫は病の熱を下げ、頭痛鎮めというので、病人が江戸紫の縮緬の鉢巻を締めた。 この場合、左結びにする。助六のは右結び、これは病人結び(左)の反対で、元気溌剌としている象徴とされた。 尚、いなり寿司のことを"助六"というのは、助六の恋人、花魁の"揚巻"の名前ににかけて、いなりの"あげ"を"巻く"からきている。 いずれにしても"紫"は不思議な力を持つ色だが、染色法が難しいので、珍重され、律令時代に制定された官位で、最高位の人の衣服にしか用いてはならないとする、"禁色"だった。 江戸時代に、八代将軍吉宗が古代の染色法を研究させ、奨励したので江戸紫の染物が一般庶民にまで広まり、流行し江戸名物になった。 浴衣 平安朝期の浴場の衣類、風呂に入る時の「湯かたびら」がその源。 これは現在の浴衣の素材、"木綿"でなく、"麻"が原料、その頃、未だ日本には木綿が無かった。日本に渡来したのは16C。 仏教の教えでは、湯につかる時、他人と肌をを接することは厳しく戒められている。そこで"湯かたびら"が使用された。 徳川時代、江戸は大勢の人が住む大都会になった。銭湯が大繁盛。(その当時でも、未だ、人々は下帯、つまりふんどしをつけて入浴していた。) 一方、"木綿"は安価なありふれた衣類の素材として普及した。これを使った浴衣は、高級で高価な錦や絹織物に手が届かなかった庶民の普段の着物として定着した。 高温多湿な日本の夏に向いた着物として今でも人気を保っている。 < ききみみずく >
|