「衣替え」
 6月1日と10月1日は衣替えの日、制服着用が義務づけられている学校、職場などいっせいに、夏用、冬用が替わる。
   この習慣は、古くは平安時代に、宮中での装束と室内調度を旧暦4月1日と10月1日に替えたことに始まる。
当時は、下着を調節する程度だったが、室町時代に入ると、小袖の普及と共に、衣装そのものを替えるように変わっていった。・・・・・・江戸時代には、民間まで広がり、春の衣替えを「綿貫の朔日」秋の衣替えを「後の衣替え」と呼んで、ほぼ同じサイクルで衣替えを行った。
 (和風と工夫、増原良彦{編}同文書院)


寸言
旧暦は新暦の約一ヶ月遅れ、だから旧4月だと、新5月、旧10月は新11月、この時節なら衣替えは出来るが、新暦でやると、風邪をひくか、汗疹だらけになるである。現在、異常気象が続いている。
料品商売も夏物、冬物仕入れを旧暦基準でやった方が間違いないとしている店がある。
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「白い喪服」
 その昔「素服」といって、麻などでつくった質素な白い服だった。白はけがれを取り除く色とされていた。死者を送るのにふさわしいと考えられたため、後に、日本に仏教が伝来して、黒が悲しみを表す色とされると、喪のときにも黒い服が用いられるようになった。
    しかし、江戸時代までは、女性は白い喪服が正式だとされていたため、黒を着る人はほとんどいなく、大正、昭和に入ってもその名残からか、女性はほとんど白い喪服を着ていた。
    しかし、第二次大戦中から、戦死者を送る争葬儀が多くなって需要が増えると、貸衣装屋は白では汚れやすいので、黒の喪服を揃え始めた。これを機会に女性も黒の喪服を着ることが一般的とされるようになった。
 (和風と工夫、増原良彦{編}同文書院)


寸言
 黒い喪服は戦争の影響と、貸衣装屋のコスト削減の思惑だとは知らなかった。ひどく、痛ましい話だ。
     だが、一般的には、結婚式に花嫁が着る白無垢は、夫に貴男色に染めて下さいという意思表示。 その夫にに先立たれて、白いい喪服を着るのは、このまま清浄を保ち、つまり再婚しませんと言う覚悟表明だといわれている。

     しかし、今時、“再婚しません”と言う覚悟を表明する妻がどれほどいるのか?夫の死を期待して生命保険をかける不届きな妻がいるぐらいだ。夫に先立たれた妻が残りの人生を生き生きと享受している姿が目につく。
     そういえば、黒い喪服は、女性を色っぽくする。黒い喪服に身を包み、悄然とした姿に、痛々しくも儚(はかな)い色香がたゆたう。女性はそれを計算してか?黒い喪服を着る。
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「喪服の色違い」
  ヨーロッパ諸国で喪服を着る風習が始まったのは異教徒時代のことである。当初は弔意とは何の関係もなく、むしろ死者への恐怖を表現するものだった。
    だから、ひとが喪服に着替えたのは、死者の霊に見つけられ付きまとわれないための偽装だった。・・・・・・・喪服はまた同時に死から自分を守るため雫と信じられていたようだ。
     しかし、黒は万国共通の哀悼色とはいえない、ヘンリー八世は后の喪に服したとき、中国人がよくやるように、白衣を着た。
     ビルマ人は黄色、トルコ人はすみれ色、南洋諸島では、人生には喜びと悲しみ、暗さと明るさが常にあい合わされていることを象徴させる白と黒の縞模様を好んで使った。
     中国ある地方では、伝統的に紫色が用いられた。ところが、あるアメリカのチューインガム業者が包装を紫色にしその地方に輸出したたため、評判ががた落ちになったそうでる。
 (これがはじまり 西洋迷信故事物語、R・ブラッシュ/松本亨訳、三笠書房)


寸言
 しかし、悪魔(サタン)が赤や、白、黄色だったら笑うだろうな。サンタと間違えられるのではないか?
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