「おばんざい」
   京都では月や日によっておかず“お総菜”がほぼ決まっており、順番に回ってくることから“お番菜”とよぶようになった。順番に回ってくるから“お回り”とも呼ぶ。
 例えば、毎月一日、“小豆ご飯と昆布巻き”5月5日は“粽と柏餅”、6月30日は“水無月(小豆しんこ餅)1月7日は”七草粥“など、月々食べるものや風習が決まっており、これを守ることで家族の健康と繁栄が保たれた。

寸言
 妻“今夜、何が食べたい?”夫“何でも良い”妻“いい加減ね”夫“どうせ、俺がいったものなんか作れないくせに”という喧嘩をしなくて済む。さすが一千年、都人の知恵。
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「人間は脳で食べている」
 おいしさを次の4つに分類できる。
 (1)生理的おいしさ(のどの渇いたとき、空腹な時など)(2)文化によるおいしさ(民族、地域、各家庭で異なる、食べ慣れた味。(3)やみつきになるおいしさ、(4)情報によるおいしさ
 (2)と(4)は現代人の味覚をリードしている。生物学的には痛覚による警告信号である辛みの激辛ラーメンにしてやみつきになるおいしさに転嫁させているのは人間だけ、この辛さが生命にまで危険は及ばないという安全情報を手に入れているからだ。
 自分の香りでなく、CMや産地表示、他人の噂でも人の味覚は左右される。脳で食べているからである。
伏木亨 (筑摩書房)


寸言
TVの食べ物レポーター常套語、“超美味しい!!”“甘い!!”“柔らかい!!”
   お前たちは糖尿病か?入れ歯か?語彙をもっと研究しろ!!
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「中国のレストランメニュー“鳥料理”の項」
 多種類の料理が並んでいる、しかしそれらの鳥料理には「鴨」「鶏」という字があるだけで、「鳥」と言う漢字は全く使われていない。
 日本では焼き鳥と言えば確実にニワトリの肉だが、中国料理では鳥といってもなんの肉かと言うのが理由。
もう一つ過去の中国語では「鳥」はあまり穏当でない文字。かなり特殊な意味で使われていた。
 この字は時として男性の性器を意味する。鳥をさす“ニイアオ”と言う発音が男のものをさす“デイアオ”とよく似ていたから「鳥」はやがて男のものをさす“このチンポコ野郎”という品のない罵倒語として使われた。

阿辻哲治 (京都大学中国文化史、教授)

寸言
デート中、うっかり鳥肉好きとはいはえないね。
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「地獄のステーキ“タルタルステーキ”」
 “タルタル”とは中世ヨーロッパに攻め込んだモンゴルの“タタール人”のこと。モンゴル人の残虐性と地獄のステーキ。
 ギリシャ神話の“地獄”を意味する“タルロス”という言葉もこれにかけられている。
 モンゴル人は生肉は絶対食べない。馬の生肉を食うことは人間を食うといっしょ等しいから驚愕のタブー。タルタルステーキは中世のモンゴル、ヨーロッパ攻めの象徴。

椎名誠“ひとりガサゴソ飲む夜は”(角川書店)


寸言
タルタルステーキなど滅多に食べないからいい。俺のカーチャンの料理など毎日地獄だぜ。
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「ジンギスカン料理とは何のこと?」
 モンゴルに存在しない。モンゴル人は肉は焼いて食わない。肉は煮て食べるか、蒸すか干すかである。
 中国には焼き餃子はない。餃子は中国では面の部類に入り、おかずではなく主食である。
 基本は水餃子か蒸し餃子、焼き餃子は前の日の蒸し餃子がの残ったものを始末するため、作っているのだからこれをおかずにご飯を食べることはない。
椎名誠“ひとりガサゴソ飲む夜は”(角川書店)

寸言
 モンゴル人は“ジンギスカン”を 商標登録、中国人は“餃子”を新案特許にしておいたら
 日本との貿易外収支は大幅に改善したのに惜しいことしたなあ。
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「スープのルーツ」
 昔、フランス人はスープ皿の上に薄切りのパンを乗せてそれに汁(スープ)をかけて食べていた。丁度日本の味噌汁かけご飯。
 料理が洗練されていない時代、洋の東西を問わず、“ぶっかけ式”が民衆の食事の主流。スープ(汁)をぶっかけるパンのことを“Soupe(スープ)”と呼んでいた、語源辞典を引くと、スープはもともと“スープに浸した薄切りのパン”のこと。
 フランス語では未だに“スープを飲む”ことを“スープを食べる”という。ぶっかける汁のことを“ブイヨン”という。ブイヨンは肉と野菜をグツグツ煮込んで出来た汁のこと。

寸言
 なんといってもぶっかけ飯が旨いよ。昔、親から熱々の炊きたてのご飯に、味噌汁をぶっかけて食べると、行儀が悪いと叱られたものだが、これは口の中の火傷を戒めたもの。冷たい飯に冷たい味噌汁をぶっかけて食べるこれも美味。
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「焼き肉のルーツ」
 4C、朝鮮半島は三国に分れていた。北部の高句麗、南西部の百済、南東部の新羅、そこに仏教が伝播(ぱ)し、6C半ば朝鮮半島全土に仏教の戒律に従う生活を営むことになった。
 その戒律の一つ“殺生の禁止”、家畜の食用の禁じた戒律は必ずしも徹底されなかったようだが、食肉禁止を旨とし、植物性の食材を利用する“精進料理”的生活は7Cまで続くことになる。
 やがてこの食生活に変化が生じる。大陸から侵入してきた遊牧民族“蒙古”の朝鮮半島の南進を企てた蒙古と高麗の戦いは幾度となく繰り返された。
この戦いはバイタリティ溢れる肉食民族と定住型民族で精進料理の生活をしていた民族との戦いでもあった。
 戦いの勝敗の帰趨は食生活の差が大きく影響したのであり、13Cついに高麗は蒙古の軍門に下り、以後朝鮮半島は遊牧民族の生活文化の影響を受けることになる。
蒙古は高麗に十分な家畜がいなかったので、牧場開発に乗り出した。生産されて家畜は蒙古人の加工料理法によって、食用とされていく。その後、時代は変わり、14C末には高麗は倒れ朝鮮時代になる。
朝鮮政策は仏教を排して儒教を国教とした“崇儒排仏”これによって名実ともタブーされなくなった肉や魚料理が本格化していった。
この料理秘奥が日本にもたらされのは20C、それまでは“肉を強火で炙って焼く”という調理法は日本では一般的でなかった。
{焼き肉のルーツを辿れば}“焼き肉は好きですか”波、2001年7月号(鄭大聲 滋賀大学教)


寸言
 仏教で肉食禁止したのは、“欲望”を抑え、徒に競争意欲に駆り立てないないようにするための知恵?
 自然界でも肉食動物は凶暴で、草食動物を殺戮する。
 人間も権力者や、権力闘争に明け暮れる政治家など、歳をとっても、顔は脂ぎり、肉食動物的な凶暴な顔つきをしている。
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ある論文、「老いは何故尊敬されないのか」
「かつて、老人は人生の知恵を持っていることで尊敬されていた。
人生の知恵とは、端的にいえば、“欲望を抑制する知恵”、欲望にブレーキをかけながら人生を生きる。年を取ってから自らの体験に基づいた知恵を若い人々に伝授してあげる、だから年寄りが若い人たちから尊敬された。
 ところが現代の老人にはその知恵がない。戦後の成長期を過ごした老人はぎらぎらした欲望が肯定され、自分の欲望を満足させるようと必死である」とあるが、

指摘されている“ぎらぎらした欲望”は肉を食い過ぎた所為かもしれない。
“人類、肉食人口が増えると、賄うため、牧畜が盛んになり、放牧した牛馬や羊が草原の草を食い尽くし、地球の砂漠化が進行する。そのための気候不順が農産物を初め、疫病蔓延など、大きな悪影響をもたらす”と言う説もある。

 老人はすべからく精進料理を食すべし。その方が成人病を防止し、長生きできる。世のためにもなる。
歳をとると“穏やかになることを学べ”“神を抱いて穏やかになれ”と言う箴言がある。肉離れしないと無理かな
< ききみみずく >