激しい雨 <5>

第三話 沢庵

「ねえ、おまえさま。何とか話を聞いてやって下さいましな」

「聞くだけでいいのだな」

「それはそこ何とか力になればと思いまして」

非番の日、縁側でお茶を飲み沢庵をかじりながらの会話である。
八郎の屋敷はご城下の外れ、風師山の麓にある。このあたりは城下の侍でも下級武士が多い。
九百石のご城代や三百二十石の町奉行は論外としても、三十石や五十石ないとどんなに精励しても、炭奉行はもちろん役付にもなれないのが、十石三人扶持の八郎の身分である。
せめて二十石あれば勘定所や蔵役など事務方の仕事に就きうまくいけば加増の上、役付になれないこともない。
しかし、普請方は現場であり、認められることの少ない場所である。
従って八郎は先祖代々からの十石三人扶持を大事にして、減らさないようにしなくてはならないのだ。
しかし、八郎は二十五歳、妻女のきくは二十歳で、まだ子供はいないので、今の所貧しくとも不自由はない。
これは屋敷の裏が風師山に続くので麓の畑を開墾し、唐芋や大根などを植えて家で食する以外は城下の商家が購いにくるのに回しているのも役に立っている。
藩も庭での畑つくりを奨励しており、販売も下級藩士の場合黙認されている。生活費は一応現銀で支払われるが、三人扶持は米を現物支給される。
 だから、醤油、味噌はさすがに買うが、漬物などは殆ど自分で漬ける。
特に水菜の浅漬けや沢庵は一品である。これらは町奉行の渡辺様や組頭の秀村様や同僚からは催促されるほどである。
そして、いずれも

「貴殿は良い妻女を貰ったのう」

と礼のかわりに誉めるのを忘れないでくれる。
しかし、実を言えば、八郎の家では漬物を漬けるのは八郎である。亡くなった母親が漬けるのが上手く、父の徳松が好んだので部屋住の頃こっそり練習し、他所で美味い漬物に出会った時は必ずその製法を聞くことにしていたのである。

「いや、実に美味い。早速作り方を妻女に伝えるでござろう」

そして必ず美味いを連発すれば次に行く時は又別の漬物を出してくれるのである。
当初こそ父の徳松は

「侍の癖に漬物をつけるとは」

と嘆いていたが、夕餉の食事に沢庵がついてくると

「うん、うまい。美代の沢庵もうまかったが、おまえの方のが美味いかもしれんて」

と実利につられて何も言わなくなったのを幸い研究を重ねているのである。
こうして得た漬物の知識は、免許皆伝の腕になっている。
もっとも剣では実力はご師範からは力を認められつつあるが、まだ目録しか頂いてない。
もちろん、八郎が漬物を漬けているというのは人には知られていない。
特に美味いと言われるのは、沢庵である。肥沃な山裾の畑で陽の光をいっぱい浴びて大きくなった大根を干し、糠と塩で漬けるのだが、湊の漁師から貰う海藻の干したものを細かく切って混ぜるのである。海藻はてんぐさ、和布、昆布など何でもよいのだが、一旦干したものでなくてはならない。これは漁師から聞いた方法である。

「とにかく一度話しを聞いてみよう。そういえば最近見ないな」

こういう理由でお茶を飲みながら隣家の揉め事に巻き込まれたのである。
隣家の主、村上市之進も、十石足らずで、乾門詰めである。門は足軽が交代で立ち番をしているが、その監督である。
市之進には、十七歳になる嫡男市助がおり、藩校も十六歳で終わりというより、それ以上は進めなかったので、八郎と同じ平野道場に通っていたのだ。
早速、村上市乃進の非番の日に焼酎と沢庵を持参すると、市乃進は喜び

「よく来た、上がってくれ」

八郎の屋敷とよく似たつくりなので、早速縁側で湯呑に焼酎を注ぐ。

市乃進は四十位だが、もう小鬢には白いものが見える。

「お主も黒くなったのう。やはり普請はきついだろう」

「はあ、やはりじっと見ておく訳にもいけませんですし、もっこを担ぎますよ」

「やはりそうか。まだわしのほうが体は楽だが、毎日が退屈でのう」

暫く、最近の仕事について話を交わしていたが、漸く本題にもってゆくことにした。

「ところで、最近市助どんを道場で見んようになりましたが」

「そうか、気がつかれたか。実は道場に行くのを嫌がってな。叱っておるのだが、その時だけ殊勝になるのだがな」

こうして、八郎と市乃進の妻女の頼み通り、さりげなく市助の悩みに話を持って行くことが出来たのだ。

「なるほど、よく分りました。幸い私もまだ平野道場の門人で腕はとも角、古参ですので、何とか考えて見ましょう」

市助は道場では、仲間外れになり、屋敷では母親に乱暴し、ぶらぶらしているのだそうだ。
市乃進も最初は家長の威厳よろしく押さえつけていたが、身の丈もすでに大きくなり、腕力でも適わなくなっていることもあり、一度市助がどなり返したとき、思わず黙りこんだのがいけないのか、それからは無視されてきた。
さすがに勘当するとまではいってないが、早晩その恐れが出てくるところまできている。
ところが、市助が勘当を恐れていないのが、踏み切れない理由でもある。

「それにしても、美味い沢庵ですな。いや、お宅の妻女は上手だ。ぜひうちのにも漬け方を教えてやってくれまいか」

これで話は終わったとばかり、市乃進が沢庵を誉めにかかったのを汐に帰ることにした。

「はあ、伝えておきましょう」

市乃進と妻女からの話を併せてみると、市乃進はまだ隠居する年でもなく、市助はもう十七歳になり、藩校にも進学しなければ退屈なのだ。
と言って剣術の腕も上がらず、兄弟子や同輩とも上手くいってないのだが、腕力だけ強く、市乃進も持て余しているようである。

それから何度か道場に通つたが、市助の姿を見なかった。と言って夜討ち朝駈けしてまで市助の帰りを待つ義理もないので、気になりながらも何もしなかった。
初夏とはいえ、八郎は陽の強い日差しにやられてぐったりとして、川筋の護岸の普請作業から風師山の屋敷に帰ると妻女のきくが

「お前様、大変です。お隣様の市助さまが大変です。何とかしてあげてください」

「どうした。大変では解らぬではないか」

日ごろは物静かな妻女の慌てぶりを叱りつけ取り敢えず隣家に急いだ。
村上家もやはり生垣を屋敷に廻らせ、わずかに屋根らしいものがついた門をくぐり、声を出した。

「おお、八郎殿 ちょうど良かった。何とかしてくれ。」

見ると、市助がなにやら大声をあげながら刀を抜き、板戸や障子に切りつけているところだ。

「どうしたのだ」

「とにかく、何とかしてくれ。頼む」

市乃進に木刀を借り、静かに市助に近づき

「これ、市助さん。どうしたな。まあ、刀を納めなさい」

市助は目が血走っており、いきなり八郎の方に向かい切りつけてきた。本来なら市助の剣はもう少し、伸びるのだが、今は伸びが少ないので、八郎が避けると少したたらを踏んだ所をすかさず木刀で、刃を叩くと市助は堪らず刀を取り落とした。
八郎は刀を取り上げ市乃進に渡して、いきなり市助の頬を平手で殴った。市助は勢いに押されそのままへたりこんだ。

「彦島氏何をするんだ」

市乃進が慌てて言った時は、八郎は既に市助の肩をしっかり抑えつけていた。

「市助さん。落ち着け。もう終わった」

言葉はやさしいがしばらくは強く押さえつけてじっと市助を見つめているとふいに市助の肩から力が抜けるのが感じられた。

「すこし、市助さんを借りますよ」

八郎は返事も出せないままおろおろしている市乃進の側を市助の肩を抱いて玄関から出て行った。

「とにかく一緒について来てくれ」

というと、市助は黙って八郎と肩を並べて歩き出した。市助の背は八郎ほどあり、市乃進より背が高い。
屋敷の裏は村上家の畑になっており、細い山道を少し登ると桜の木が多く植えられている傾斜地になっている。
夕日が八郎と市乃進の屋敷の藁葺きの家に落ちている。
全体的には何年も経っているので藁は黒くなっているが昨年葺き替えたところだけが黄色く映えて光っている。市助に木の下に座るように命じ

「何だ。あの腕は。あれで道場に通っていると言えるか」

と目だけ笑いながら市助を見ると、少し落ち着きを取り戻したようだ。

「稽古で教えていただろうが。あの切り込みはへっぴり腰で刀の重さで切りつけているではないか。
左手でしっかり持って両手で絞るようにして踏み込まなければ、大根も切れまいよ」


どうしたのだとか訳を聞かれると思っていたらしい市助は、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。

「申し訳ありません。彦島様。取り乱しました。もう駄目ですね。」

「何がだ」

「父上は勘当だと申されました。ついかっとなって、気がついたら刀を抜いていました。
前にも勘当するといわれた時、勘当されたらせいせいすると言っていたのに変ですね。」


「そういうことがあったのか。それはな、お父上も勘当したくないし、そなたも勘当されたくないからだよ」

「本当にそう思われますか」

「あたり前だよ。わしには未だ後継ぎがいないが当然だ。そなたは村上家の嫡男ではないか。
いつも自慢されて羨ましかったよ」


「しかし、最近怒ってばかりだし、一月前位から少し言い返すと今度はおどおどして私のことを見てくれないんです。
父上が彦島様のように強ければなあ」


「なに、剣が出来ても十石三人扶持は変わらんな。それよりわしは市乃進殿が好きじゃ。あの人は良い人じゃ。
わしはあんな人のように成りたいと思っている」


「そうですか。背も低いし、風采もいいとは思えませんが」

「馬鹿野郎。親父のことをそう言うな。」

「そうですね」

漸く、市助に笑いが出て来たようだ。

「ところで市乃進殿が台所で味噌汁でも作っていたらどう思うか」

「侍のなおれです。」

「そう思うか、おう、大分暗くなったな。そろそろ帰らないとそなたの親父殿は二人で決闘をしていると心配しているかもしれないぞ」

春は満開だった証に今、所々に小さな実をつけている大きな枝を手で払いながら二人は降り始めた。

「彦島様、私はやはり駄目なんです。道場でも皆が私を避けているような気がするんです。」

「何だ、まだそんなことを考えているのか。わしでも道場では優しく稽古をつけてやらんだろう。
優しい露木師範代の方にみんな行くぞ。
そうか。そなたは結構打ち込みが激しいから敬遠されているだけだ。それだけ認められているわけだ。堂々として打ち込め。
避けられたらお願いしますと言って無理に稽古を申し込め、そしたら今度は認められるようになるぞ。」


「はい、そうします」

「ところで我が家の沢庵を食ったことがあるか。」

「はい、お菊様のは大変うまく私も大好きです。」

「あれは、わしが台所でせっせと漬けているんだ」

「えっ」

市助は立ち止まり八郎を見て何といって良いか言葉が見つからなかったと見え、黙って又屋敷への道に歩き始めた。
村上家との境で八郎は市助をにらみつけた。

「よいか、わしを切ったので腹を切るなど親父殿をからかうなよ。」

「はい、これから父上にお詫びします」

「うん、それから、わしが沢庵を漬けていることを吹聴したら、道場で容赦のない剣を振るうから覚悟しておけよ」

市助が笑いながらくぐり戸を開けて屋敷に帰っていくのを見て八郎はまだ晩飯を食べてなかったことに気づき大急ぎで屋敷に帰った。


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