遭難 <2>

全員が穴から顔を出し咽ている。炭焼き釜の中で湿った木を燃やせば大変だ。煙が部屋の中に充満し、人間のスモークが出来る。
結局、焚き火をギブアップする。そして寒さ凌ぎに燃えるものを少しづつ燃やす。
大学のミルクホールで貰った安保反対のちらしを見ずにポケットに入れていたのを燃やす。
全員が一斉に手をかざす。暖かい。生き返るようだ。あっと言う間に元の暗さに戻る。
また、何か燃えるものを探す。そして終にポケットから百円札を出す。出来るだけ端の方に火を付ける。

「なあ、一部を残せば銀行で新しいのに替えてくれるかなあ」

「ところで今何時だろう。渡辺は我々が遭難したのを連絡してくれたかな。」

「捜索隊は来ているかな。」

一番入り口に近く陣取っていた私が僅かに外の雪明かりで時計を見る事ができる。

「今、十時」

しかし、本当はまだ九時を廻ったばかりだ。少しサバを読んだ訳だ。
既にこの洞穴に入って三時間経過しているのだが、既に四時間以上過ごしたように時間の経過が遅い。猛烈な眠気が襲う。
この気持ちの良さは何だろう。
このサバがだんだんエスカレートして行くようになった。

「皆で歌を歌おうよ」

「よし、歌声喫茶だ。最初は応援歌だ。」

こうして次々に大声で歌う。

「おい、山村、声が聞こえないぞ」

「うん、起きている。朝は再び〜」

「今、何時」

「十二時です」

「あと七時間立たないと夜が明けないね」(本当は八時間だ。ああ)

「お腹が減った。鼓月のカレーが食べたい」

「お好み焼きもいい」

「帰れたら腹一杯食べるぞ」

「おごつてくれますか」

「いいよ。食えるだけごちそうする」

隙間からの冷たい空気が痛い。

「今、何度位だろうな」

「零下十度以下かも知れないね」

そして、暫く沈黙が続く。

「また、歌いますよ」

「よし」

「おい、山村、寝るな」

「山村さん、寝たら駄目ですよ」

「分かつている。少しだけ頼む。五分だけでいい」

「いかん、歌え」

「山村、煙草を出せ」

また、大きな炎が浮かび、三人の蹲っている姿が侘びしく見え、そして消えてゆく。

「温いね」

「今、火のためなら幾らでも払うぞ」
(俺の千円は今月の生活費だ)

卑猥な歌を歌っている中に中畑達夫の声が聞こえない。

「起きてください。寝たらあの世ですよ。鼓月のカレーが食えませんよ」

「カレーは譲るから、少しだけ、すこし・・・」

「おい、起きろ、駄目だ」

山村俊郎は中畑達夫をゆり動かすが、中畑達夫は遊園地の乗り物に乗っているように気持ち良さそうに寝ている。

「あと、三時間ですよ。我慢してください」(本当は五時間)

それでも中畑達夫は気持ち良さそうに寝ている。

「少し寝させましょうか」

「駄目だ、皆が寝たらこのままおじゃんだ。君だけ起きておられるか?」

「嫌ですよ。自信ない」

「なんでも良いから起こせ」

「煙草貸してください」

私は煙草の火を借りると手袋を外し、暫く余韻を楽しんだあと煙草の火を中畑達夫の頬にギュッと押し付けた。

「熱っつ」

「眼を覚ましてください」

「わかったよ」

「歌おう」
(俺、今日死ぬのかなあ。まだ二十歳になったばかりなのに、平均寿命より短いな。 せめて女の子としたかった。チャンポンも食べたい。熱いスープを吸うとこたえられない。

チャンポンの具はイカが美味しいね。うん。美味い。幸せだ。おい何で俺のチャンポンを取るんだ。
痛てて。何で頬っぺたを叩くんだよ。邪魔をするな。)

「眼をさましたか。寝るなよ」

中畑達夫が私を平手打ちにしている。

「おいら岬の〜灯台も〜りの」

「もうすぐ夜明けだよな」

「ええ、あと一〜二時間でしょう」

「よ〜し、頑張ろう」
(本当はまだ四時間ある。本当の事は言えないよな)

「おい、もうあれから二時間はたったろうが」

「ええ、夜明けが遅いですね」

「夜が明けたら又歩くぞ。今度は雪が固まっていると思うから早く降りれるよ」

「渡辺は警察に連絡してくれているよな。もう捜索隊が出ているかもしれないね。」

「勿論、出ているよ。何か信号になるものないか。赤いパンツでも振れよ」

「茶色に染みたのはあるよ」

「おい、もう夜が明けても良い頃だろ」

「もう少しでしょう」

この頃になると全員猛烈な寝むけはなくなり、今度は寒さが一段と凍みてくるようになる。
腰のあたりと手袋の付け根が痛い顔はかなり強いみたい。つらの皮が厚いのは本当だ。
そして、漸く辺りが白み始めて長い夜が終わった。私はほっとする。

「よし、出かけよう。」

又、中畑達夫を先頭に歩く。暫くして後ろを振り返ると真っ白な景色の中で僅かな黒い点が見える。
よくこんな小さな雪洞を見つけたものだ。我々の命の綱でなく、命の穴だ。
手足はしびれているが、今日は雪も止み、昨日より歩き易い。
今日も風はあり、霧氷もあちこちに見える。しかし、昨日の美しさはない。
何処にも、捜索隊の声も、ヘリコプターの音も聞こえてこない。

「渡辺は連絡しなかったのかねえ」

「いや、彼は必ず連絡するよ」

「この山は高くないけど、縦走すると案外広くて各方面から来ると大変だものね」

それから、三時間ほど降りたところで、山の中の一軒家を見つける。
訳を話して暖を貰う。私は限界だったので、布団を頭から被る。しかし、震えは止まらない。
ここは炭焼きで暮らしているのだそうだが、ここの小父さんに布団を押さえて貰う。それでも、全身の震えは止らない。
食事を貰う。漬物と味噌汁がこんなに美味しいとは。手首の感触がなく、痛いような感じがする。
二時間ほどの休憩後にお礼をいって、再び下山の途につく。
遠くにヘリコプターの音が聞こえるが、姿は見えない。暫く歩いていると十人位の捜索隊と出会う。

「君たちか!」

「はい、そうです」

こうして、われわれ三人は救助され、私だけが担架で下山した。
それからの事は、あっという間に過ぎた。
網目のついた車両で揺られて警察署に到着する。

「テントは?食料は何日分か?ガンジキは?」

「100人以上の捜索隊が何班にも別れてでた。ヘリコプターも二機出た」

「無事でよかったね」

三人とも一言も無く、只頭を下げるだけである。
新聞は「長州大学生冬山で三人不明」と報道。病院で手首と腰に凍傷と診断される。
捜索隊の皆さん、警察、炭焼きの小父さん、渡辺くん、そして両親すみませんでした。
この日は80年ぶりの大雪と傾山ではマイナス十度を記録した。
この日、日本各地でも遭難が続出し、十二名が亡くなり、多くの人が救出された。
そして、この日を境に山で遭難したら捜索は有料となった。
大学に帰ると学部長に呼ばれた。

「遭難したんだって」

「そうなんです」

そして千円は一週間の生活費になった。あれからもう三十数年経った。
中畑達夫の頬にやけどの染みは残っているだろうか。


< とんだ 八郎 >