11月20日、6時半起床。外はすでに明るい。快晴。
朝食を済ませ、老女将に天竜川の左岸に出る道筋を確認し、7時20分出発する。
すごい霧だ。視界は50メートル程度。朝の天気予報では晴れ、最低気温は氷点下2度だったと報じていたが、たんぼ等の水たまりには氷がはっていた。
天竜川の左岸に渡る。朝霧に渓谷はなんとも言えない雰囲気を醸し出している。
川は狭くなったり広くなったり。狭いところは岩が切り立って峡谷を作り、川幅が広くなったところは、整備されて運動場などになっている。
あちこちの風物をカメラに納めながらのんびりと走っていると9時を過ぎてもまだ天竜峡駅に到着しない。少し慌て気味になり、工事中の人に尋ねたら、「すぐそこですよ。5分もあればいいかな」
丘の影になって見えなかったが、すぐに天竜峡駅についた。9時10分。左岸には川下りの案内所と船の発着場があり早くも観光客で賑わっている。短い橋(姑射橋)を渡ったところが天竜峡駅だ。川幅は狭く下流の眺めは絶景である。時間が許せば船に乗りたいところだが、天竜峡発の9時56分の列車に乗らないと、今日の宿「楽書荘」に17時までには到着出来ない。
車窓空の眺めも最高である。紅葉は過ぎて黄葉になっていたが。
パスの始点、水窪(みさくぼ)駅で下車。11時10分過ぎ。バスに乗り換えるのだが1時間半の待ち時間がある。
昼食にいい時刻である。駅員に食堂の場所を聞き、見物するところを聞くと「何もないよ」とここで下車したことを呆れたような言いぐさにカチンときたが、観光案内板を見ると成る程、町内には見るべきところも多いが、通りが2本しかない小さな町の中にはなにもない。
みさくぼ塩の道の大きな絵図の看板が有り、平成8年8月に開催された「塩の道(秋葉街道+北国街道)ジャーニーラン」で、2日目は足底にできた大きな豆のために走れず、坂下の秋葉神社から車に乗って水窪を通過し足神神社まで行き、そこから青崩峠を痛い足を引きずり山蛭を払いながら和田宿まで歩いた懐かしい思い出に浸る。
対岸の通りに出て食堂を探していると、商工会の建物を見つけて入ったが、誰もいない。玄関横で車に乗り込もうとしている若者に、見るところはないかと尋ねたら「ちょっと待って下さい。地図がありますから」と建物に入っていった。あっそうか今日は土曜日で商工会は休みなんだと納得。若者は商工会の職員だったのだ。全く運がよかった。
教えてくれた高根城址を訪ねることにした。途中食堂があったがゆっくりも出来ないので、返りに時間の余裕があれば寄ることにして先を急ぐ。
解説板によると、高根城の築城年代は南北朝時代(1331〜1391)となっている。後醍醐天皇の皇子、由幾良(ゆきよし)親王を守るために奥山金吾正定則が築城したとある。また、石垣を築いた城とは違い、山城で空堀や土塁の跡がのこっている。
山頂は高根城址の立て看板と、石碑の前に白い狐が2匹鎮座しているだけだ。山頂から水窪の町並みをカメラに納める。いい見学ができた。
昼食をとる時間がなく饅頭をかってバスに乗り込む。
ゆっくり見物したいような景色のいいところばっかりだが、今回はどうしょうもない。バスは佐久間ダムを通り、船明(ふなぎら)ダムに沿って下る。平成5年3月西鹿島から船明ダムの最上流まで往復市、更に天竜川を下り国道二号線に出て浜松城まで走った思い出もある。
西鹿島で下車し、天竜浜名湖鉄道に乗り換える。この沿線もいろいろと見るところが多いようだ。
西気賀から浜名湖沿いに通っており湖面が見えだした。
投函道五十三次遠足で通った姫街道は、引佐峠を越えたから、もっと山手だったようだ。
尾奈駅で下車。宿の楽書荘は、ここから4キロくらいと見て走ることにした。
この湖は、猪鼻湖と呼ばれ浜名湖とは南端の猪鼻瀬戸でつながっている。湖には海苔の養殖だろうか竿がきれいな模様を作って立っている。やがて猪鼻瀬戸に到着。この瀬戸には何故か2本の橋が架かっている。瀬戸岬の北端の小さな島に可愛い赤い太鼓橋が架かっており島には猪鼻神社がある。由緒によると人皇12代稽古景行天皇皇紀742年より以前御鎮座せられる、とある。
海岸線を走りハマナ・コスタ(何か謂われがありそう)港に寄って見る。側には有料道路の料金所があり、結構な人出である。海岸沿いの道をとり進んで行くと段々道は細くなり行き止まりではと心配したが自転車道が続いていた。岬の先に団子状の島があり、側に夕日が沈むところであった。解説板があり、浜名湖唯一の島、礫島で面積20アールだとあった。また、琵琶湖竹生島の市彼島姫と弁財天を移して祭った礫石神社があると書いてあった。釣り人が多く徹夜で釣る人もいるような様子だった。
5時丁度、やっとの思いで楽書荘に到着した。既に斉藤さんをはじめ巨人軍団の人たちが到着していた。
風呂で朝を流し、18時から「ぐるっと浜名湖一周マラニック」に参加する人たち9人で会食、初めての人もおり自己紹介で、親睦を深めあった。