◆◆ よろんマラソン奮闘記 ◆◆

1997.01.23 掲載


修復なったばかりの朱里城
を見学した。
守礼之門をバックに
朱里城本殿 那覇から小型のプロペラ機で
与論島に向かう

平成5年2月14日(日)1000余人が雲一つない南の島「与論島」を走った。
 与論島は、鹿児島県の最南端にある面積20.5平方キロ(外周約24キロ)の小さな 島で人口は6705人(平成2年現在)。
 島民の1/6がボランティアで大会を支えてくれる。

<鉦や太鼓に送られて>

 スタート地点では、目標タイムが4時間〜5時間のプラカードの後ろに並ぶ。
 同じツアーのメンバー江藤氏、矢野さんも近くにいる。柴田氏は3時間位のところに、 香田氏はその後ろ辺りに並んでいる。佐藤夫妻はどこにいるのかな。
 8時、ドンバリバリバリと威勢のいい打ち上げ花火を合図に、ランナー達がどよめきだ す。ドドンドンドンと大太鼓数面による演舞で送り出してくれる。
青梅マラソンのときは「帰ってこいーよ」のレコードが送ってくれたのを思い出す。
沿道には、腰の曲がった老人からよちよち歩きの子供まで、島を挙げての応援合戦。
小太鼓や鉦を手に手に太鼓や鉦のない人は、フライパン、バケツ、洗面器、鍋、石油缶 など音が出るものはなんでも持ち出してやんやの応援。
 応援に応えて手を振り笑顔でも見せようものなら、鉦や太鼓を一段と強く叩きながら道 路の中央に踊り出してくる。
 応援の殆どが半分腰を浮かせて何時でも踊りだせる態勢をとっているのには驚いた。
好きなんですね。踊りが・・・

<早い手拍子>
 『フル百回楽走会』『フルマラソン134回完走』と書いたリボンを背中に付けた小柄 な人に追いついた。
63年7月のサロマ湖100キロで暫く一緒に走った人である。
与論の空港で会って
 「サロマ湖で一緒でしたね」と話かけたら、頭をかいていたので、完走できなかったの だろうか。
その人が、今回が初マラソンという息子を同伴して
 「下を向いて走ったらいかん。前の人の背中を見て走るんだよ」
とコーチしながら走っている。
 「頑張って下さい。お先に」
と先を急ぐ。
 コースは、指宿菜の花マラソンコース並みのアップダウンの連続。
 折り返しまでに7つの峠があり、特に4つ目は、1キロの間に60メートルも登る急な 勾配。早くも歩いている人がいる。
 右手間近に、沖縄本島が大きく横たわっている。
 やっとの思いで登りつめると、今度は急な下り。あまり飛ばして雲仙の二の舞いになっ てはいけないと用心して駆け降りる。
 10キロ地点のタイムは、56分と好調。

 「いちに、いちに」と早い手拍子で応援している大会役員がいる。
 横を走っていた婦人が
 「あんな調子で走ったら伸びちゃうわ、走ったことないのかしら」とプリプリ。
 10キロ過ぎ辺りから、珊瑚礁が大きく島を囲んでおり、珊瑚礁の内側はコバルトブル ーが眩しい。鏡のように静かな海面には、名物のウインドサーフィンも見えない。
 沿道には、鉢植の花が並べられていたり、いたりつくせりの歓待振りである。
 刈り取りを待っている砂糖きびとモクマオ(松科、上に伸び防風林にしかならない木) の林に挟まれた道を駆けて行く。
 左のふくらはぎが痛み出す。筋肉消炎軟膏を用心のためにポッケにしのばせているが、 辛抱しながら走っていると、17キロ付近で筋肉消炎剤のスプレーを置いているエイドス テーションを見つけ、吹きかけてもらい、一応痛みは薄くなる。
 若い男が、「萩の250キロにでたのですか」と声を掛けてきた。
 背中に青抜きした『萩往還』Tシャツを着ていたのが目に留まったのだろ。
 「ええ、今年もでますよ。あなたは?」
 「あんな距離、恐ろしくて走れません」
と山口から来たという青年はぐんぐんと先に行ってしまった。

<放し飼いの山羊も応援>
 この大会、ゼッケンが1枚しかなく前に付けているので、後ろから確認できないのが残 念である。ゼッケン番号から、新しいコミュニケーションが始まることが多いのに・・・
早くも、先頭が折り返してくる。ゼッケンナバー5000と5001が並んで走ってくる。
 時計は1時間35分。3位は2分遅れて、4位は更に5分遅れてすれ違う。
 島の道は、あまり広くない。やっと2車線とれるくらい。
道路使用許可を8時間とっているとのこと。
交通規制が実施されているらしく4輪車は1台も通らない。
外人さんが乗ったバイクが行ったり来たりしていたが、ランナーに筋肉消炎剤をスプレ ーしてやったりしている医療班であった。
 草原で放し飼いの山羊が「メェー」と応援している積もりなんだろう。
 20キロ辺りで、同じツアーの香田氏とすれちがう。
 中間点を丁度、2時間で通過。この調子では、4時間5〜10分ではゴールインできそ うである。
 22キロ過ぎの折返点の上に、浮き雲と並んで下弦の半月が白く輝いていたのが印象的 であった。
月に見惚れて、応援団として同伴したカミさんが、カメラを構えていたのを忘れて済ま んことをした。

 折返点を回ってすぐ、ランナーズの下条編集長とすれ違う。
「やあー」と手を振ると彼女も手を振って応えてくれる。
 ツァー仲間の松本氏ともすれ違う。
 23キロを過ぎると急に足が重くなり1キロあたり6分を超すようになってきた。
 「みのさーん」と声がして松本氏が追いついてきた。
4、5分は先を走っていると思ったのに・・・
若い女性を1人、引っ張っている。
暫く並走していたが、女性とともに先に行ってしまった。
 「さあ、頑張って ここで歩いたら完走できんよ。○○さん、大丈夫か」
 小柄の人が、女の子2人を引っ張りながら奮闘している。
 大分前に追い越したが、男が3つの帽子をバンドに挟んで両側の若い女性を叱咤激励し ていたので、学校の先生が教え子を連れているのだろうと思った。
 「このお父さん厳しいなぁ」
 と横の人が驚いている。
 そうか親子だったのかと感心している間に抜かれてしまった。
 日差しが強くなり気温も上がって、2.5キロ毎にある給水所で補水につとめる。
黒糖、バナナ、梅干、蜜柑いろいろな食物が提供されている。黒糖は疲労回復にいいし バナナは空腹を凌いでくれる。
 水コップを差し出しながら
 「頑張ってくださーい」と黄色い声で応援してくれる。
島の小学生、中学生はマラソンに参加した人以外みんながボランティアで大会を支えて くれているようだ。

<大太鼓に励まされて>
 海の色は、ますます澄んで南国情緒満点である。
 30キロで2時間55分、いいタイムだが、これから先がどうなることやら。
 親子3人連れを追い越したり、追い越されたりを繰り返す。
 『フル百回楽走会』の小父さんが、勢いよく1人で追い越していった。
息子を置き去りにして来たらしい。声を掛ける暇もない。
 いよいよ最大の登り坂に差し掛かる。給水所でたっぷりと補水し、お握りをもらう。こ の急な坂を峠まで駆け登る自信はない。途中歩きながらお握りにかぶりつく。
 途中に大太鼓数面が並んで、子供たちが懸命にバチを振るって応援してくれる。
 元気を取り戻して、駆けだす。峠近くでもう一度補水。
 「この坂を越えると後は平坦ですから・・・」と力付けてくれるが、実はまだ3つ4つ の小さな凹凸があるのを皆は知っているのだ。折角の励ましに「有り難う」と礼を述べて 必死に坂を登って行く。
 30キロから35キロまでの間、37分もかかって、時計は3時間32分。
 子供たちの楽団も疲れ果てたランナーをどれだけ元気づけてくれたことか・・・
 頑張っている親子3人組みを抜いて、ひたすらゴールを目指す。
 あと5キロの地点で3時間47分。
 ツァーで一番若い柴田氏(29才)が歩いているのに追いついて、そのまま追い越す。
燦々と降り注ぐ太陽に照りつけられて朦朧となりかける。
 見覚えのある背中が目に付いた。松本氏が引っ張っていった女性である。
 追い越して先を急ぐ。
後半に強いと自他ともに認めている小生。元気のいいときは折り返してから追い抜いた 人を数え200人とか300人を抜くこともある。でも今回はさっぱり。
トレーニング不足がたたって、後半スタミナ切れとなった。
 空港を廻り込んで岬を過ぎると、あとは2キロない。沿道の応援に応えて最後の粘りを 発揮、4時間20分26秒、ゴールに飛び込む。
 カミさんが飛び出してきて「撮ったよ」「うん、有り難う・・・」

<完走パーティ>
 1時過ぎ、ホテル(アイランド)に戻り、香田氏、松本氏や遅れてきた江藤氏と健闘を 讃えて乾杯。ホテルが用意してくれた「モズク粥」が旨かった。

 5時から完走パーティ。砂浜につくられた立派なステージ。
傾いた日差しに肌寒くなった浜辺に座り込んで、企画運営を担当したランナーズが配っ た缶ビールを傾けながら成果について話が弾む。
周囲には、おでん屋やうどん屋の店がでて会場はいよいよ盛り上がっていく。

 『フルマラソン完走200回』 『小島義一』と背中に書いた人がいる。
 「あなたが山田敬蔵さんの記録を破った人ですか」と話しかける。
 昨年11月の雲仙普賢チャリティマラソンの際、山田敬蔵氏が「私のフル最多記録を破 った者がいる」と話していたが、その人であった。写真に入ってもらう。

 ランナーズの橋本代表取締役、下条編集長にも入ってもらい記念撮影。
 午後4時、道路使用許可の切れる時間。ゴール地点では心から待っている大会役員の思 いも虚しく時間ぎりぎりになって戻って来る人はいなかった。
まだ、40人近くが走っているらしい。
道路使用許可の時間が切れて、ゲート等の設備は撤去されたが、記録の方は最後までと ってくれて、最終ランナーがゴールインするときは、放送するというので、会場に戻る。
 5時半前、最終ランナーの到着が放送されたので、ゴールに行ってみると、若い夫婦が 子供を挟んで感激のゴールイン。
子供の人生が、42.195キロを走り通したことで、大きく広がったことでしょう。
 抜きつ抜かれつした親子3人組みは、4時間26分で揃ってゴールインを果たし、妹の 方は、10才で1位だったと、疲れた中にも嬉しそうな表情に溢れていた。
本当によく頑張りましたね。

 やがて総合優勝など上位者の表彰式が 始まり、ツァーの仲間、伊藤氏が総合6位でステ ージに登った。カメラに納める。
 最高齢者賞は男子は85才。70才以上が9人。
 女子ではツァーで一緒の佐藤夫人が67才で最高齢者。
名前を呼ばれたがホテルで休養しているのかステージに上がってこない。
残念!!前持っての連絡はなかったのかな。
 ステージでは、島の子供たちによる艶 やかな踊りや青年男女による太鼓の演舞。
 黒糖で造った島の焼酎「与論献奉」の大杯によるイッキ飲みなど盛り沢山のイベント。
南国の夕日が海に沈んでいく。感傷的な一刻。イベントは続いていたが、ホテルに引き 揚げ、ホテルで宿泊者全員(約60人)で完走パーティ。
 「与論献奉」「よろん島」でイッキ飲み、 飲みっぷりによって3段、5段などの認定証 がホテルのオーナーから贈られたり、楽しいパーティでした。

完走パーティ 澄み渡った与論島の海 翌日の海遊び

珊瑚礁の見学から帰還 楽しかった与論島とお別れ 那覇に向かう船上で

那覇に戻っての完走パーティ 食い放題の焼き肉料理 再会を約して最後の撮影



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