長崎県立島原高等学校の沿革

◆島原高校の沿革
 昭和23年4月1日、学制改革により長崎県立島原中学校は、長崎県立島原高等学校となり、同県立島原高等女学校は同県立島原女子高等学校に、また島原商業学校は、同県立島原商業高等学校となった。
 昭和23年11月30日、県立島原高等学校(普通科男子)、県立島原女子高等学校(普通科女子、家庭科女子)県立島原商業高等学校(商業科男子)の3校を統合して総合の県立島原高等学校を設立し、旧島原高等学校校舎(第1校舎)旧島原女子高等学校校舎(第2校舎)の両校舎を使用。旧島原商業高等学校校舎は、島原市立第1中学校校舎に転用した。

 以上のような次第で、私たちは旧制中学校から無試験でそのまま高等学校に進学した。
昭和26年の卒業生は、普通科、家庭科、商業科を卒業、大学を卒業したりして就職し生活の場に落ち着くと○○26会(例えば長崎26会、福岡26会、東京26会など)と称する同窓会をつくり友好を継続していた。

◆島原26会全国大会
 昭和55年8月16日、初めての島原26会全国大会を、島原市九十九ホテルで開催、以来5年ごとに開催されてきたが、平成12年の大会で、年々物故者も増えているので今後は2年ごと開催しようという事務局の提案を満場一致で決定した。


 島原高等学校校歌

一、ばらいろの 峰にかかれる 雲晴れて
   古城の森のまなびやは 今南国の夢かをる
   若き命の朝ぼらけ 誇りてここにみとせをば
   いそしみはげむ つどひこそ
   島原高校 あヽ我等が母校

二、はるけくも ゆうべにはやる 汐満ちて
   まことの学を たづぬれば 仰ぐ理想も空高く
   ときめく胸に一つ星 交はる友と語らいて
   かざす文化の ほむらこそ
   島原高校 あヽ我等が母校

三、つきせぬは 清き泉と ちぎりおき
   巣立つ光の 野に立てば 燃ゆる希望のあこがれを
   いななくこまの緑風 いざともどもに 古里の
   名をばたたへん 力こそ
   島原高校 あヽ我等が母校

  


 島原中学校校歌

一、地を抜く四千八百余尺
   天そそりたつ普賢の峰は
   見よや高ゆく理想のかげを
   み空にかがくる久遠の姿

二、東紫溟の雲はれゆきて
  朝の磯に新潮させば
  あけぼのきよき大海原の
  浪にながるる進取の光

三、鞭つ心の駒こそいさめ
  里に名に負う桜の馬場の
  月照り花散る学舎の窓を
  めぐるや江山崇高の霊気

四、徒爾やすべき人生の春
  希望にもゅる益荒雄われの
  胸の緒琴に共鳴りするは
  天地にみなぎる自然の黙示




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