平成4年5月 ゼッケンNO17 見野 容

◆還暦記念に萩往還に参加
 「還暦記念にニューヨークマラソンに行こうや」と誘われ心が動いたが、3月には次女が結婚し、5月末には3女が結婚することになっている。
 物入りが続くあ とでもある。「僕は萩往還の250キロを還暦記念にするよ」と断った。

 5月2日18時前、山口市の瑠璃光寺前に思いおもいの出で立ちで集合した。
 ランニングシャツに短パンでウエストバッグを付けた軽装の人から、耐寒用トレーナー に身を包み大きなリュックを背負って250キロ耐えきるのかなと心配になるような重装 備の人まで。カーボーイハットの気取り屋さんもいる。
 昨年は夜中の冷込みに泣いたので、長いトレパンとウインドブレーカーを用意、懐中電 灯にサポーター、空の水筒をナップザックに入れて背負った。ウエストバッグには地図、 メモ用紙、眼鏡、小銭、「写るんです」、包帯、筋肉消炎剤、痛風の痛止め等を入れる。 参加者の3分の1位はリュックを背負っているようだ。250キロの距離、時間にして丸 2日も体力がもつかどうか、一番の問題であった。
 大会委員長の小野氏の挨拶が始まる。
 「いろいろ言うようじゃけんど、自分は、役員もしちょれば、ボランティアも兼ねとる し、スターターも審判もしちょるので、それぞれの立場で物をいいよるんじゃけに長うな ってしまうんじゃ」
 例によって皆を笑わせる。
 18時、小野氏の合図で一斉にスタート。250キロともなるとやはり押さえ気味、ゆ っくりと動きだす。
 JR山口線を横切り川の中に「重ね石」がある鰐石橋を渡って「山口秋吉自転車道」に 入る。18時34分日没。黄昏とともにランナーの列も長く延びてくる。
 九州横断走に昨年参加した仲間4人は「一緒に走りましょうや」と歩調を合わせる。
 1人が群馬勢を追い越して足を早めた。一寸心配になったが残りも後を追う。
 「九州は早いですね。高校の駅伝も早いし、マスターズの駅伝も早いし」
 19時28分、喫茶店の主人に呼び止められる。事務局が用意した補給所。いささか躊躇したが「先が長いんだから、気長に行こうか」と入ると先着は1人しかいない。コーヒ ーを飲んでいると後続一行が入ってきた。まだ後ろがいたのかといくらか安心する。
 上郷から右折して四十八瀬川に添って北西に向かう。
 次第に更けて星影が川面に映える。
 山間では狭い空に北斗七星が輝いている。福岡ではこんな美しい星空は見られない。

◆冷え込んで身震い
 21時33分、エイドステーション「ごとう」に到着。25位(通過した人もいただろ うから正確な順位ではない)塩の効いたラーメンを食ったあと、長いパンツにはき替えウ インドブレーカーを着る。早くも冷え込んで身震いがでる。他の連れも着替える。
 20分間休憩して出発。前を行く顔なじみの西峰氏の後についていたら、何時の間にか 九州横断組は見えなくなっていた。
 次の休憩所で待つことにしてマイペースで走る。
 秋吉町からの県道31号線、234号線には参った。道が狭く、坂がきつい。樹木が道 を覆って星明かりも届かない。
 真っ暗で懐中電灯なしでは恐ろしい。長い登りは腰によくない。毎度のことながら痛み だした。先日テレビでやっていた窓拭き体操がよく効く。指を広げて窓を拭くような感じ で大きく動かし、時々ピーンと腕を伸ばす。これだけの体操だが実に効果がある。
 やっとの思いで峠を越え急な下り坂、一人ぼっちで軽走。やがて豊田湖畔に出た。昼間 なら素晴らしい風景だろうが、所々に点いている照明だけでは、なにも見えない。

◆日が替わって3日
 日が替わって3日の1時03分、「石切亭」に到着。58位。
 塩辛かったラーメンのせいか喉はからから、途中自動販売機がなかったので水を5,6 杯お替わりする。次々と後続が到着、狭い店はたちまち一杯になる。
 うどんを食って、1時30分、九州横断組を待たずに1人で出発。
 暫く豊田湖畔を北上する。豊田湖は木屋川を堰き止めて作った人造湖。
 昨年は、12時過ぎに十八夜の月が輝いていたのに、今年は何時までも出てこない。
 2時25分、『俵山温泉2キロ』の標識あり。ゼッケン56番氏を中心に数人の一団に 抜かれる。2時40分、俵山温泉に到着。はずれの自動販売機でジュースを買う。ここも 1本110円になっている。

 上下を緑に包んだ人もジュースを買いに寄った。
 「みのさんでしょう?」「ええ」「後藤です」  そうそう、一昨年120キロに参加したとの手記が「ランナーズ」に載ったが、そのと き一緒に掲載されたゴールインの写真に写っていたのが後藤氏他で、ネガを貸してほしい と便りがあって、それからの付き合いである。昨年は会いたいと思いながら会えずじまい の人。今年は参加者の顔写真付きの一覧表があったが、後藤氏は写真よりも実物の方が若 い感じである。
 知らぬ間にまた一人ぼっち。やがて登りも終わって砂利ケ峠を越えると下りになる。
 下りになるとこっちのもの。脚の動きに任せて転げるよう駆け下り、登りで追い抜いて いった人達を片っ端から「お先に」と抜いて行く。

 一人の男が凄い勢いで追いついてきて、いろいろと話かける。
 今回は疲れで眠気が酷くどうにもならないこと。そういえば途中、道端にしゃがみこん でいる人がいたがこの人らしい。2回目以降いつもゼッケンNOは1番をもらっているこ と。自分がリタイヤしたら喜ぶ奴が多いだろうなどなど、いろいろと話してくれる。不幸 にして彼の名前も業績も知らないが、いろいろな大会に出場してリタイヤしたことがない ことで有名な人らしい。
 そんな彼が、次第に後ろに下がってしまった。暫くして再び追いついて来たが、またも 振り切った。こんなときの気持ちは一流ランナー。

◆通風発作の予告が
 快調に飛ばしていると左足親指の付根がジーンときた。危ない、痛風の発作の予告であ る。用意の痛み止めを唾で飲み込む。何とかゴールまでもって欲しい・・・
 北斗七星の杓の部分が山の端に隠れ空が白じんできた。
 長かった234号線の下りもようやく終わり国道191号にでたころには星もすっかり 消えていた。時は午前4時半。ここでまた後藤氏と一緒になる。
 191号を1.5キロほど西に走って、県道66号線に入る。追いついて来たゼッケン 70、81の千葉県勢に煽られて並走する。

 5時29分、津久のエイドステーション「海湧」に到着。35位。
 握り3ケ、揚げ豆腐と味噌汁。喉の渇きがひどく食欲はない。しがし、揚げ豆腐は美味 かった。味噌汁も頂き、握り飯は返す。持参の空の水筒に半分、水をもらう。
 25分ほど休憩して出発。「川尻岬7キロ」の案内板あり。川尻港を下に見ながら大き な峠を越える。水を張った狭い段々畑が印象的だった。
 またも後藤氏が追いついてきた。川尻港をバックに写真を撮り合ったあと、彼はどんど ん先に行ってしまう。  7時丁度、岬の第1チェックポイントの「おきた食堂」に到着。47位。大分順位が落 ち込んだが、「海湧」に寄らない人が多かったのか。走行距離98キロ。
 ここでも食欲はない。皆は良く食う。うどんだけではものたらず握り飯まで食っている 人がいる。こっちは、おでんの卵1コ(80円)と水数杯を流し込む。

 千葉県勢一行と記念撮影。15分ほどの休憩で出発する。
 8時03分「海湧」に寄って到着順位表を見ると九州横断組は7時05分に到着してい た。小生より1時間半の遅れである。ジュースを飲んで出立。

◆うらめしい山越え
 ここから長門市までの海岸線は平坦だと思い込んでいたら凄い山越えである。
 山口県は何でこんなに山が多いのかと恨めしくなる。
 66号線から左に入ってからが長い。だらだら坂が何時までも続いている。
 追い越したり追い抜かれたりしながら10時50分、千畳敷高原に到着。46位。
 風が冷たく強い。一軒しかない特産品売り場のウエートレスが、戸外に用意してくれた カレーライスを皿を押さえながらかぶりつく。お姉さんたち、滅多に作ったことがないら しい。香辛料が辛く飯も固い。しかしこの大会のエードステーションでの食事で一番美味 かった。
 霞んで遠方はよく見えない。折角、事務局で展望を楽しむようにと折り畳み式の望遠鏡 をくれたのに。
 長居は無用と11時12分、出発する。  西峰氏を先頭に数人の集団が下っていく。
 坊ちゃん坊ちゃんしている男の子は高校生(18才)。先に出ると61番(福山氏)が 追ってきた。以後、青海島まで並走する。
 長門駅付近から左折して青海島の方に向かう。青海大橋からまたも登り坂。早くも戻っ てくる人がいる。同じ海岸なのにこの辺りは潮の香りが強い。
 第2のチェックポイント静ケ浦キャンプ場に14時53分に到着。40位。  丼物、うどん、焼きそばができるというので、焼きそばを注文。仲々できない。お客が 多くてさばき切れないでいる。かき氷はすぐできた。乾いた喉には最高の美味。氷水を水 筒に補給。アイスクリームをもう1本。
 天気は良し、芝生で昼寝したらどんなに心地好いだろう。横になって見たが落ち着かな い。仮眠は中止。
 「行こうか」と誘うが皆ぐずぐずしているので一人出発する。15時37分。
 仙崎で武田氏を追い越す。この人ともずっと抜きつ抜かれつ同志。
 191号線に出たのは丁度17時。サイレンの音を聞きながら。

◆ひと風呂あびると
 歩いたり走ったりしながら、宗頭文化センターに着いたのは18時38分、40位。
 スタートして24時間40分、走行距離160キロ。大濠公園の88周(1.95*88=171k) には及ばないが坂の多いコースで、よく走ったもんだ。
 疲れのせいか食欲がない。1人前3コの握り飯を1こだけ味噌汁をかけて流し込み、水 やお茶を鱈腹のんで、水筒にも入れる。
 風呂があるのだがタオルを忘れてきた。センターの人に尋ねたがないという。諦めてい たら、近くの店から買ってきて進呈してくれた。本当に親切な人達である。
 頭の先から足の先まで塩まみれになった身体を洗い流して気分を一新。
 ゼッケン1番氏が到着。まだ本調子にならないらしい。
 61番の福山氏も到着。青海島で別れて以来である。
 何人かに声を掛けたがはっきりしないので、20時に一人で出発する。
 この辺りで、昭和59年2月に走り初めてからの総走行距離は28,000キロになっ た筈である。
 目標の4万キロには、まだ遙かではあるが・・・
 最初かなりの登りのあとは下り坂が続く。しかしこの辺りの国道191号線は狭まく、 ガードレールの外側は崖になっており、危なくて走れたものではない。
 三見市から左折して工事中の64号線に下りる。
 後ろから後藤氏と16番氏が追いついて来た。

◆右折を直進して
 山陰本線の三見駅の手前で線路添いに右折するところを直進して迷い込んでしまった。
 やっとのことで県道に戻る。道は暗闇に吸い込まれ、同じ道をぐるぐる回っているよう な錯覚に陥る。追いついてきた人を加えて4人、やっとの思いで抜け出すと海が開けて萩 の灯りが見え出す。玉江駅から左折して常磐橋を渡り萩城に向っていると、カーボーイハ ットのゼッケン3番の中島氏とビニール袋をかぶった若い人が戻ってくる。
 「笠山に行ったが、なんにもないよ。食堂も閉まっているのでいってもだめだ」  
 「それで貴方たちは?」
 「どこか休むところはないかな。自分は宗頭まで帰るけど、この人が疲れているから」  思案に暮れている。若い方は半袖に短パン、ビニール袋を被って寒さに震えている。荷 物は文化センターに置いて来たらしい。何を考えているのやら。
 24時近いが、開いている旅館はあるだろう。
 我々はとにかく進むことにして2人と別れる。今度は、ゼッケン70、81番のグルー プが戻ってきて、
 「行かない方がいい。店も6時になると開くので萩で休んでいた方がいい。小野さんも そうするように言っていた」と。

◆4日の夜明け待ち
 萩城で着替える人達の荷物はバンで届いていたので、彼らはそれを受け取って何処かに 消えた。我々もその言につられて、夜が明けるのを待つことにして近くの店の自動販売機 の横に蹲る。と今度は勢いのいい連中が4、5人やってきて、着替えの荷物の番をしてい る人に、大会運営の有り方を非難しだした。後藤氏の知り合いらしい。文句いってもケリ がつく問題ではない。いろいろ言っていたが結局、笠山に行くことに決して我々にも誘い をかけた。まず後藤氏が同意した。私もそれに乗った。16番と他の人は残った。

 朝食は最初から期待せずパンを用意していた。
 笠山に向けて動き出したのは、1時50分。1時間以上も時間を無駄にした。
 案内書によれば距離は約12キロ。1時間半から2時間みておけば充分だろう。
 左手に湾内の灯りを見ながら国道191号線を北上。昼間なら素晴らしい風景だろうと 思うと惜しい。

◆厳密には失格?
 笠山の頂上に、4日3時40分到着。頂上には、最後のチェックポイントの食堂が見当 たらない。展望台はあるのだが。  一緒に登った8人は、手持ちの用紙に署名して展望台に置いてきた。
 「岬を回らずに帰ろうか」誰かの言にみんな同意して191号線を南下する。
 何とチェックポイントは、岬にあったのだった。厳密には失格?
 ここからゴールまで50キロ足らず、残りは1/5となった。  いよいよ本大会のメインテーマ萩往還に入る。  「今日は」「頑張って」「お疲れさん」各種目の人達と擦れ違いながら挨拶を交わす。
 明木の饅頭や佐々並市の名物豆腐でエネルギーや水分を補給しながらコースはいよいよ クライマックスに入る。
 夜中に連れになった一行も、散り散り。
 東京から来たという5児の母と、2人連れで長いながい急な石畳みの最後の往還を滑る ように下り、県道62号に出てホッとする。
 石畳みの途中で追い越していった中年男と若い女性が、まだ見えている。その先に男性が一人。

 「もう走れません」といっていた5児の母に
 「追い越しましょうか、大丈夫ですか?」彼女は無言でうなずき歩を早める。
 ここからは下り調子で5キロ程でゴールの瑠璃光寺。
 次第に追い詰めて後30m、気が付いた2人は2言3言交わすとピッチを挙げた。
 追いついた男性は、夜中に連れになった中の1人、武田氏であった。
 「お先に」と出たが、痛めた足を引きずりながら付いて来る。
 前の2人組みとは距離が縮まらない。
 下り切ってあと1キロ、また1人の男性に追いついた。
 これまた、昨日から抜きつ抜かれつしながら、道に迷うと地図を取り出し案内役をして くれた後藤氏である。

◆つないだ手を高々と
 「頑張れる?一緒にゴールインしょうか4人揃って・・・」  「はい」「いいですね」全員賛成。
 横一になって参道を駆ける。先に着いた人達や観光客が拍手してくれる中をつないだ手 を高く差し上げながらゴールイン。そのときフラッシュが一閃。
 41位、44時間15分。感激の一瞬。やった!やりましたよ!未踏の250キロ!
 握手を繰り返しながら胸が熱くなる。
 「まだ10キロ位走れそうですね」いや本当にそんな感じだった。
 完踏賞をもらい皆と別れて、事務局も兼ねている食堂「五重」で先ずは祝杯。
 珈琲を飲んでいる人がいる。 「あれ、ビールじゃぁないんですか」 「ビール駄目なんですよ」 「どうして?」体調でも悪くしてドクターストップでもかかっているのかと思ったら 「160キロ過ぎてリタイヤしたもんで」寂しそうな顔だった。

 痛風も何とか発作に至らず、筋肉痙攣も免れ、ザックの重荷にも耐え、眠気と闘いなが ら44時間よく走ったと思う。一番心配したのが、ザックだったが、差ほど負担にはなら なかった。
 膝やふくらはぎやシューズの内外に貼った、エスパーシールが宇宙エネルギーを取り込 んでくれたのかも知れない。またはジョギングを始めて以来欠かしたことのない卵油球が 効いたのかも知れない。とにかく250キロ無事完踏したことを万物に感謝する。

 帰宅後、体重は60キロ。行く前と全然変わらず。3キロは軽くなると思ったのに。  足の豆が痛く4日間は休養したが、筋肉の疲れは意外と軽かった。
 5日目から来年を目指して練習開始。
 今年も8月下旬に九州横断が開催されることになった。是非とも参加して、来年の本番 には40時間を目標に頑張りたい。

 ◆250キロの記録表届く(平成4年5月30日)
 『山口100萩マラニック』の成績一覧表が届いた。
 1位は、手塚綾子(49才)さん。他に男性2名と一緒にゴールイン。
 川尻岬で一緒に写真に写った人達がいい成績でゴールインしている。
 鈴木冊子さんが、何と4位で38時間07分。キャロルさんが21位で40時間14分。
 中山伸元さんが23位、40時間20分。長谷川さんが24位、40時間23分。
 明木で追い越して行った吉田健治さんが27位の42時間13分。
 西峰さんが28位で43時間13分。
 三見市から夜中に一緒だったが、萩城で朝まで待つというので別れ、佐々並で追い越し て行ったゼッケン16の大山さんが31位で43時間49分。
 我々4人組は、順位が上がって35位、44時間15分。
 福岡県からエントリーしていたのは9人、完踏者は小生だけと惨憺たる有り様だった。


◆山口100萩往還マラニック250キロの部の記録

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