'94さくら道完踏記(その1)

◆懐かしい顔が勢揃い
『さくら道260Kmウルトラマラソン』は、太平洋と日本海を桜で結ぼうと計画し、 12年間で2,000本を植え夢なかばにして47才の生涯を終えた、旧国鉄バス名金線 (名古屋〜金沢)の車掌佐藤良二さんを偲びながら、名古屋駅から金沢駅までの260キ ロをマラソンで楽しもうという、ロマンに満ちたイベントである。
 昨年、暮れもおし迫って例年の行事になっている『山口100萩往還マラニック』に申 し込もうとしていた矢先、ロマン溢れる『さくら道・・・』の案内が届いた。
 1も2もなく申し込んだ。
 HRC(東公園ランニング倶楽部)にも回覧。仲道さんが申し込んだ。

 大会は、4月30日午前6時から7時にかけて逐次、名鉄名古屋駅前をスタート、愛知 県、岐阜県、富山県、石川県の4県にまたがる23の市町村を通過して、48時間以内に 金沢駅にコールインしようという国内最長のウルトラマラソンである。

 天気予報は、4月30日から5月2日にかけて全国的に晴れ模様というものであった。  事前に配付された大会のTシャツに短パンの軽装。ウエストバッグとリュックの中には 長距離に必要な品々を携帯する。長距離なるが故に身軽で走りたいと最小限度に抑えたが 荷物の重量は3Kgをオーバーしたようだ。

 6時過ぎ、スタート地点の名鉄名古屋駅前メルサ前には早くも大勢が集まっていた。
 本大会の呼掛人である酒井さんに挨拶し荷物を預ける
。  堀池さん、内田さんなど懐かしい顔が揃っている。萩往還の常連が、ごそっと本大会に 参加したので、萩往還の250キロの部は、さぞ淋しくなったことだろう。

◆膝の痛みをサポータでカバー
 6時30分、先行する組に加わって仲道さんも一緒に出発する。
 『さくら道』というロマンに溢れたコース。
 260キロという未経験の超距離。
 心をときめかせながらJR名古屋駅前の桜通りを直進。
 しかし、はやる心を押さえて威勢よく飛び出すランナーはいない。
 悠然と交通信号に従って大通りを駆けて行く。
 名古屋に相応しく古色豊かで、城をモチーフした県庁、市役所をバックにスナップ写真を撮る。 桜通大津の交差点を左折して進み、名城公園をぐるりと回ると逆光の中にの名古屋城の 天守閣が聳えている。
 巾下橋で国道22号線に出ると、そろそろ本気になって走る人が出てくる。
 堀池さん、温泉川さん、三宅さん達は、先に出たようである。
 福岡からさんかのグループは、後ろの方でマイペースを維持する。
 20キロを通過した辺りで膝に軽い痛みが走る。最も心配していたことが起きた。
 4月1日の若杉〜宝満クロスカントリーの後、走り初めに痛み、我慢しながら宥め透かししているうちに良くなるといった状態が続いたので、24日(日)以来、この1週間で5キロを1回走っただけである。この休養がどういう結果になるかは、神のみぞ知る。用意のサポータを着用する。
 サポータの効用を皆さん余りご存じないようである。
 以前は、相撲取りが進退のちこちにサポータをしたりテープを貼ったりしているのを見て、格好悪いと思っていた。具合が悪ければ着用も仕方ないが、せめて相撲を取っている間だけでも外しておけばいいのにと思っていた。然し、自分が経験して分かったことは、サポータやテーピングをしているからこそ思い切った力が出せるのだった。

 平成元年の九州横断走の際、宮崎と熊本の県境を過ぎた下りで、右膝の外側の筋肉が痛み、走れなくなったが、包帯を巻いたら痛みが和らぎ、残りの70キロ以上を無事に走り通して完走した経験がある。以来、サポータの効用を認め、多くの人たちに勧めている。

◆木曽川は静岡県?
 第1CP(チェックポイント)の富士3丁目交差点(24キロ)を9時31分に通過。
 24キロを3時間とは、ややスローペース。
 身体が重い。そりゃあそうだろう。3キロ以上のリュックを背負っているのだから。
 仲道さんについて行くのがやっとである。
 「草臥れた!」と思わず漏らして
 「みのさんが草臥れたなんて弱音を吐いたのを初めて聞いた」と笑われてしまった。
 一宮市に入った。隣の江南市に高校時代の親友、塩田が住んでいる。昨夜電話をして名古屋に来ていることを伝えた。出てこんかというのをまたの機会にと、断って早く床に就いた。ここから数キロしかないようだ
 10時40分、木曽川を渡る。あれ、木曽川は静岡県ではなかったか?
 伊勢湾に注いでいるのは、河口堰の建設で問題になった長良川と揖斐川ではなかったのか、などと無知を曝け出す。

 次第に空は雲に覆われ、遠くは霞んで、北方の山々が姿を隠したのは残念である。
 岐南町で21号線と直行しており、そこから先は156号線となる。21号線を横断するのに、赤い矢印に添って左折し迂回したが、先を走っていた人が急に見えなくなったと思ったら道を間違えて遠回りしていた。

◆カモシカの出現
 第2CPの岩戸トンネルの入口(40キロ)に11時30分到着。
 暫く休憩しようかと、腰を下ろす。平成2年の萩往還120キロ(この年は120キロが最長)以来懇意にしている和歌山〜高野山往復110キロの主催者、西峰さんも休んでいる。女性ウルトラランナーとして、いろいろな大会で活躍している阪本さんも、ほぼ同時に到着。
 給水しながら周りを見ると仲道さんがいない。なんと先を急いでいる。「座り込んだのが見えずに後を追ったのかな」と、急いで後を追う。
 岩戸トンネルを抜けると、サポート車がおり仲道さんがなにやら尋ねている。
 第2CPを単なる休憩所と勘違いして先を急いだらしい。そんな人が他にもいた。
 西峰さんが追いついてきて先に出る。
 ときおり、雲が切れて近くの山々の新緑が日差しに映えて眩しい。

 キャロル・ハワーズさんが軽快な恰好で追いついて来た。
 長身でカモシカのような美しい脚。
 薄手のランニングパンツとシャツの間が切れて背中が覗いている。ウエストバッグを付 け、雨具を腰に巻きつけただけ。夜中の寒さは大丈夫かな?と人ごとながら心配になる。

 彼女とは、平成3年の萩往還250キロの部で一緒になり、川尻岬で撮影した写真に完踏記を同封したのが縁で、キャロルさんが副編集長をしている『日本国際ロードランナーズ』の機関紙に、その手記が載り、以後いろいろな手記が掲載されることになった。
 彼女は、次第に力を付け、会うたびに精悍になっている。

 第3CPの美濃上条(61キロ)に、14時25分に到着。
 美濃市役所前の広場で休憩して給食給水。キャロルさん、高山さん、仲道さん達をカメ ラに収める。
 市街地を通過すると左の対岸に発電所が見えた。「長良川発電所」と書かれている。
 長良川は、1級河川で唯一、ダムのない川だと聞いていたのに。
 これは、どういうこっちゃ。
 板野川が合流しているので、この支流から取水しているのかも知れない。
 幾らか調子を取り戻して、仲道さんと並んで走る。

   美並村に入る。霞がなければ左右に迫った山々が美しい筈だが・・・
 「日本の真ん中○○」の看板がでている。○○は村落名らしい。この辺りが日本の重心 になるのかも知れないなと日本地図を心に描いてみる。
 『道の駅、日本の真ん中園』と看板がでている食堂兼土産店があったので、食料補給に 寄る。16時05分。
 スターと以来、抜きつ抜かれつとている長尾さんと連れが入っていた。長尾さんとは、琵琶湖畔一周マラニックで知り合い、何となく意気投合した仲である。琵琶湖では骨折した直後の足指が痛み出したからとリタイアだった。
 今回は連れがいる。後姿は若い男性で、声を聞くと女性かなと感じる不思議な連れである。
 月見うどんを注文する。その間に長尾さん達は出て行った。若い人が入れ替わりに来店。たっぷり給水し、水筒にももらって16時35分に店を出る。

◆自動販売機の海老ピラフ
 足音が追いついてきた。長身の男性である。
 「福岡からですか?御苦労さんです」
 後ろに廻ってゼッケンを見ると(ゼッケンは後ろ1枚だけ、やっぱり前にも欲しい) 海宝とある。本大会の最高責任者である。
 本大会の企画にたいし謝辞を述べ、1週間前か2週間前に実施されたと途中で聞いた、同じコースのウルトラマラソンについて質問した。その経緯を詳細に説明して根貰ったが、整理すると
・白鳥町の協力というより強い要請があって1週間前に国際ウルトラマラソンということで開催した。
・国内、国外のウルトラランナーを招聘して22人が参加した。
・自衛隊がランナー1人に1台のサポート車を付けて実施、11人(?)が完走した。
・そのうちの3人は、この大会に参加している。
・国際大会は今後も続けるだろう。
・この大会にエントリーしていたが、国際大会に振り替えた人が何人かいる。
・白鳥町は、この大会にも協力的で、第5PCでは町民がサポートしていてくれている。
・峠の蛭ヶ野の桜は、まだ満開になってないかも知れない。
・荘川桜はまだ咲いてないかも知れない。
など、いろいろと教えてもらった。
 「また遇えるとは思うが、ここで写真を1枚』とカメラに収まってもらう。
 彼は、「マイペースで頑張って下さい」と言い残し先に行った。
 三日市トンネルの入り口に赤い注意書きがあり「トンネル内は歩道がなく危険、左に迂回道がある」安全のために迂回する。17時56分。次第に黄昏てきた。九州に比べてかなり日没が早い。

 第4CPの郡上八幡(ぐじょうはちまん)(90キロ)に19時34分到着。
 ここは、自動販売機の専用店。飲み物、食い物すべてが自動販売機で買える。
 先着の海宝さんが「残り物ですが」と赤飯をくれる。  焼き飯、握り飯、麺類、スナック菓子等々。
 海老ピラフが目についた。1食分550円。コインを入れてボタンを押すと紙箱が出て きた。箱を破って電子レンジで箱に書かれていた数字のボタンを押すだけでいい。ホーと 感心しながらスイッチが切れるのを待つ。

 防寒衣やトレーニングパンツを着込み、反射帯、懐中電灯、点滅灯などをだして夜の支 度をする。この間に海宝さん、長尾さん達、金井さん、阪本さんが発って行った。
 サポータの1人から「夜叉ヶ池伝説マラニックでは写真を有難うございました。千田です」と礼を言われ、仲道さんと一緒に写真を撮ってもらう。こんな時は最高に嬉しい。
 初めての人でも、ゼッケン番号を手がかりに住所を調べて写真を送り、ついでに手記を同封すると、とても喜ばれる。だからウルトラマラソンでは、少しでも身軽にしたいのだがカメラは必ず携行することにしている。
 先行しているのは、60人位。後ろにまだ30人ほどいるとのこと。先頭から7割辺りをキープしているようだ。
 40分ちかく休んで出発する。
 平地と下りは走り、登りは積極的に歩くことにし、スタミナの温存を図る。

◆夜更けの豚汁
 天気が良ければ、20夜位の月がでるんだが、生憎雲が厚く、ところどころに星が潤ん でいる程度である。
 ”なんとか24時”という自動販売機コーナーを見つけてトイレに寄る。
 ランナーが1人椅子に長くなっている。
 客が2人いて「名古屋を何時に出たの?」「今夜はどこに泊まるの?」」「金沢までどのくらい掛かるの?」と質問攻めに遇う。
 出発するとき、休んでいたランナーが付いてきた。
 「あなたは、さっきの小倉にいたと話していた人だね」
 「そうです。清末です」
 暫く歩いたあと、走りだす。
 「よかった。1人でどうしょうかと思っていたところです」を皮きりにいろいろと話が 弾む。
 現在大阪府に住んでいるが、和歌山の西峰さんのグループにいること。西峰さんは後半に馬力を出すこと。大阪ベイエリアマラソンと同じ日に、六甲で高速道のマラソンがあってそっちに参加したこと等々である。

 第5CPの奥美濃大橋に到着。23時38分。112キロ地点。
 長良川を右岸に渡ったところに町民が大勢でテントを張ってラーメン、うどん、豚汁、 握り飯など盛り沢山のサービス。豚汁と握り飯を御馳走になる。
 先程から、降ったり止んだりしていた雨は本降りになってきた。
 今回は何となく元気のない阪本さんが、仮眠するとかでどこかに消えた。
 15分程休憩して仲道さん、清末さんと本降りの雨の中に飛び出す。
 
 奥美濃大橋の豚汁が辛かったせいで、喉の渇きがひどい。道路下の自動販売機でジュースを買う。側に小奇麗な小屋を見つけて覗いてみたら、長良川鉄道の白水長瀧駅だった。仮眠しようかと誘ったが、皆落ち着かず早々に出立する。
 暫く行くと北濃駅の小屋が目に付いた。長良川鉄道の終着駅である。
 再び睡魔が襲ってきた。駅舎のような小屋(消防小屋)を見つけ、窓から覗いたら3人の先客の椅子に寝ている。今度は全員賛成したので仲間入りをして休む。
 皆が休んでいる間に、宇宙パワーを受けようと、ウォークマンを取り出そうとしたが、ガサゴソと大きな音がするので、仮眠を妨げてはと中止し、土間にしゃがみ込む。
 気が付くと、3人連れはおらず時計は40分程経過していた。
 仲道さんや清末さんを起こして出発する。

 上り坂で、ふらふらしながら走っている人を追い越した。
 「足を痛めたのですか」
 「眠くって」琵琶湖畔一周マラニックでサポートを勤めてくれた浅井さんだった。
 「仮眠した方がいいですよ。私達も休んで来ました」
 その前を走っていた長尾さん達もふらふらしている。
 屋根のある車庫を見つけて仮眠を勧める。

 峠は標高900m近い筈なのに、登ってきたという実感がない。それほど緩やかな登りだったのか。
 元気を取り戻した清末さんを「お先にどうぞ」と先にやる。
 3時半を過ぎ次第に夜は明けてきた。山は緩やかになり高原の様子を呈してきた。
 桜の並木は7分咲き位である。
 5時丁度に分水嶺を通過。天気が良ければ太平洋や日本海を展望する素晴らしい景観だろうに残念至極。

◆下りになると調子が出る
 第6CPの蛭ケ野新開地(138キロ)に5時10分到着。
 給食、給水をとる。やはり70位をキープしているようだ。
 総行程の半分は過ぎた。然し、時間も23時間ちかく経過している。余りゆっくりは出来ない。早々に出発する。
 再び睡魔が襲ってきた。歩いていても千鳥足、右に行ったり左によろけたり。
 トイレを見つけて庇の下に腰を降ろす。仲道さんの足を引っ張って申し訳ないが我慢の限界であった。
 「そんな所で寝ていると風邪を引くぞ」と消防小屋で一緒だった人が声をかけてくれたのを聞きながら、何分間うとうとしただろうか。
 ここから、当分下りが続く。登りには弱いが下りには強いのが身上。
 次第に調子が出てきて飛ばしていると、仲道さんが
 「ゆっくり行きます。荘川桜で降りますから」
 「じゃあ、お先に」と置いて行くのは忍びないが、ここで頑張らないと完踏が難しくな る。心を鬼にして駆け下りる。
 いつの間にか先を走っていた阪本さんに追いつき追い越す。西峰さんも追い越す。
 湖が見えてきた。御母衣(みほろ)湖である。

 昭和26年、独立国家として踏み出した日本は、空前の電力不足に見舞われていた。電力再編成で「九電力体制」が確立され、また、国家資本を大量に投入して電源開発を行うため、電源開発(株)が設立され、政府は全国で9ヶ所の開発地点を定めたが、その1つに御母衣ダムがあった。
 御母衣ダムは、日本発の本格的ロックヒル式のダムで、800万立方mの岩石と土を高さ130m、はば450mに渡って築き上げた巨大なダムである。最高出力は215,000キロワット。
 420億円を投じ、360戸、1300人の立ち退きという大きな犠牲を払い昭和36年1月に完成した。

 岩瀬橋を渡って湖面の左岸に移る。予想外の大きな湖である梅雨に備えて水面を下げているのだろう。剥き出しの山肌が2、30mはありそうである。
 この辺りの国道は白川街道と呼ばれる。沿道には桜が咲き、左右の山々は荒々しさを霞 で覆い、湖面は、そぼ降る小雨を受けて穏やかな表情をしている。

◆樹齢400年の荘川桜
 やがて、第7CPの荘川桜(151キロ)に到着。8時08分。
 サポータの人達が、親切にしてくれる。「うどんがありますよ」「お握りは?」「飲み 物は?」と濡れた椅子を拭いてくれたり・・・
 2人が到着。西峰さんも意外に早く着く。
 うどんを注文して、握りを貰う。熱いうどんが冷えた体を内部から温めてくれる。
 「飲み物は?」「コーヒー下さい」インスタントのコーヒーだが最高の味がする。
 空腹が収まり、渇きが止まると、素晴らしい周囲の景色が目に入る。
 リュックからカメラを取り出していたら、千田さんが「撮りましょう」とカメラマンをかって出てくれた。

『荘川桜』は満開。直径が大人の身長の3倍以上もある樹齢400年以上といわれる巨木 が2本。幹の太さの割に枝の張りが少ないのは、移転の時に切られたのが未だに影響して いるのだろうか。
 『さくら道260kmウルトラマラソン』の垂れ幕の前でも撮ってもらう。
 そうこうしているうちに、置き去りにしてきた仲道さんが到着。約16分の遅れ。

 さあ、残りの距離は100キロ。残り時間は22時間。何とかなりそうな感じである。
 「ここから先、店もなく自動販売機も少なくなるので何か持って行きませんか」といわ れて、水を1ビンとクラッカーを1袋もらい、ここをゴールにするという仲道さんに別れ て、8時35分、拍手に送られ1人で出発。遥か前方の数個の豆粒を追う。
 湖中程の尾神橋を渡ると、防雪覆いとトンネルが交互に続いている。後ろを振り向くと橋の向こうに、1人負ってくる人がいる。

 昭和30年代の半ば、巨費を投じて建設したとはいえ、こんな山中の道に歩道がつける考え方も、また、経済的余裕もなかっただろう。
 大型車がスピードを出して通り過ぎる時は、恐ろしい。そんななかを路肩に身を寄せながらやり過ごす。
 坂の上で車が止まっている。そこに岩田さんがしゃがみ込んでいた。サポート車からお茶をもらい「行きましょうか」と岩田さんを誘うが動かない。置き去りにする。
 堰堤が見えだした。本格的ロックヒィルダムを見るのは初めてである。
 上流から見る堰堤は、無造作に土砂を積み上げたような何とも頼りない様である。
 堤頂に出る道があり出て見る。大きな湖面である。満水になったときは凄いだろうな。


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