平成11年5月1日、本州・四国を結ぶ第3のルートとして、尾道〜今治ルートが開通したことを記念して地元ではいろいろなイベントが企画され開催されている。
  その1つとして自主企画イベント「'99しまなみ海道100km遠足(とおあし)」が開催された。
  6月6日まだ暗い。半月がまだ残っている。
 福山城内に北は青森県から南は沖縄県までの参加者が集結した。茶髪の外人がいる。企画者の海宝道義さんが平成6年トランスアメリカ・フットレースに参加したさい、全長4700kmを64日間1日も休まず走り通してニューヨークのセントラルパークにゴールインした5人の中の1人、ハワイ出身のカビカ・スポールディングではないか。
  この時のトランスアメリカ・フットレースでは、終盤の5日間をフットレースのランナー達と一緒に走るステージランが企画され、日本から阪本真理子さん(平成9年、オーストラリア大陸横断4200kmを77日かけて走破した)と、横浜市の金井靖雄と小生の5人が参加して、偉大なるランナー達と浸食をともにした。(詳しくは本ホームページの、みのむしの「世界駆けある記」を参照下さい)
  そのときのカビカである。挨拶して記念写真を撮らせてもらう。
  5時、海宝さんの合図で今治城に向かってスタートする。18歳から72歳までの471人。

  5km毎にエイドがあり、大会事務局を始め途中の6つの島では、地元の走ろう会などのボランティアによるエイドで温かいサポートを受けた。感謝に堪えない。
  若い女性の参加者が多いと感じていたが、翌朝の新聞によると471人中126人が女性であった。

  灼熱の日差しにもかかわらず、みなよく頑張った。夕方降り出した雨は、燃え尽きようとしていた身体を冷やして完踏率を良くしたようだ。60%に近い完踏率になったのではないだろうか。

 小生のことに移ろう。5月のゴールデンウィークの萩往還140kmに参加したのはよかったが、腰の痛みに堪えかねて23kmでリタイアしてしまった。
 そんなこともあって本大会も完踏は最初から諦めていた。50km走れればまあまあ、それ以上走れれば御の字と思いホームページ用の写真を撮りながらゆっくり走った。
 5kmを45分、10kmを1時間半とはいくらなんでもゆっくり過ぎる。
 UMML(ウルトラマラソンメーリングリスト)のTシャツを着た人たちも大勢いる。
 越田さんは相変わらずビデオカメラを持っての走りである。今回は如何なる作品が出来るか楽しみである。
 浅井さんも先に行った。越田、浅井のコンビで日本縦断を計画し実行している。5月の連休には山陽道を完走している。長崎街道、薩摩街道は今度の年末年始の休みに挙行するとか。
 「みのさんでしょう。出田裕子です」とYUKOさん。平成6年末東海道53次遠足に参加した折りに会って以来である。「お産をしたので賭場楽休んでました」と。以前からのパソコン通信仲間であり最近はUMMLでお馴染みである。
 いろいろな人に、どんどん追い抜かれていく。腰も痛くなり体をよじったり叩いたりしている内に痛みは忘れてた。次は膝が痛み出す。バンテリンを膝や腰に塗布する。
 25km辺りからは前後に人影は見えずひとりぼっちになってしまった。
 瀬戸内の風景は霞が濃く期待外れであった。フィルムを5本用意して来たのに風物を撮る意欲も沸かない。
 2つ目の橋、因島大橋に取りかかったところで若い女性に追いつかれた。ゼッケンNo258(大石さん)をモデルに撮影。小生も取ってもらう。しばらく並走。彼女は10kmの大会しか経験がないとのこと。これから先、一歩一歩が記録更新になる。
 因島大橋は二階建てになっており(写真参照)上が車道、下がバイクや自転車道と歩道になっている。因島大橋を降りて35kmのエイドで休憩していると、目の不自由な人と伴走者が到着した。写真撮影して出立。
 40kmのエイドに10時35分到着。お馴染みの浅井夫人がにこやかに迎えてくれる。コップに二杯も三杯も水をお代わり。5km毎のエイドではバナナやレモンや菓子パンなどが用意されており、なにかつままないことには次のエイドまで空腹で持たないような状態である。途中のコンビニで買った500mlのボトルに冷たい水を詰めてもらう。ひっきりなしに吹き出す汗に、5kmの間に1リットル近い水を飲んでいる。
 再び258番さんと一緒になる。「この分だとフルの大会に出られますよ。制限時間6時間の大会もあるから」などと話しながらいつの間にか離されてしまった。
 3つ目の橋、生口橋も格好いい。Aの形をした柱である。いろいろな角度から撮影する。
 12時半、50.7kmのエイド瀬戸田町のB&G海洋センターに到着。着替えや履き替えのシューズを必要な人は運んでもらっているが、まだ20近く残っているようだ。
 ここでは握り飯がサーピスされた。2つ頂き水分をたっぷりと補給しボトルにも一杯もらう。
 先着していた258番さんを置いて先行する。
 しばらく行くと観光客でごった返しているところがある。アイスクリームも持った人がいる。とたんに欲しくなってアイスクリームを求めて人込みをかき分けて商店街に入って行った。
 ここには、平山郁夫美術館や耕三寺があって観光のメッカ。本州と四国からの観光バスで混雑を極めていた。
 足の裏が焼けるように熱い。膝から水をかけて凌ぐ。
 55kmkエイドは、地元老人クラブの人たちのようだった。
 多々羅大橋を降りると、いろいろな施設がありイベントが行われていたが、ゆっくり眺めるゆとりを失っていた。
 その一角に設営されたエイド(61km地点)で水分補給やエネルギーを補給していると、後ろから呼ぶ人がいる。「何回呼んでも知らん顔して」と座り込んだ堀池さんだった。横に座り込んで写真をとってもらう。居合わせた女性2人を撮って先行する。
 風物をカメラに納めたりしながらのんびりと走っていると、堀池さんが追い越して行った。堀池さんは、さくら道を走った後、萩往還を完走するという怪物である。最近ウルトラの梯子走をする人が多くなったが、彼が梯子走の先鞭をつけた。案の定、彼は、底力を発揮して18時間余で完走したそうである。
 このコース唯一のアーチ橋、大三島橋を降りると、66.5kmの伯方町走ろう回のエイド。「次のエイドにはそーめんがありますよ」に元気づけられ、ひたすら走る。
 17時、70kmのエイドに到着。待望のそーめんをお代わりして頂く。各エイドでは菓子パンやバナナばっかりだったので食傷気味になっていたので、そーめんはまた格別だった。
 体力はまだ余裕が残っていたが、今からなら、ゴール地点でのイベントには間に合うだろう。
 85km地点の下田水港〜今治港にフェリーがでているとのことであったが、ここでリタイアと決めた。
 17時15分のバスが、渋滞で相当遅れてやってきた。ここまで自転車でやってきた広井兄弟(ひょとして夫婦だったかも。聞き漏らした)もバスに乗る。
 少しうたた寝をして目を覚ますと雨が降り出して、ランナー達はずぶ濡れになって走っている。
 終点の下田水港からフェリーに乗り継ぐ。25分の航海であるが、船内にはテーブルが並び、飲み物食い物が販売されており、乗客は楽しそうである。
 広井さんが寒いでしょうとジャンパーを貸してくれた。
 今治港からゴールの今治城までは1km足らず。小降りの中を歩いた。うしろから「あら、みのさん」と声がかかる。何と福岡から一緒に参加した仲道さんではないか。彼女がゴールインしたのは19時を少し回っていた。

 ゴール地点の今治城の広場には、正面がゴールで、両側にはテントが張られ、ゴールインした人たちが、ビール等を飲みながら帰って来るランナーを出迎えている。
 YUKOさんが子どもを抱きかかえてゴールに向かっているのに気づき急ぎ駆けつけテープを切った瞬間をカメラに納めた。(下の写真参照)
 雨は小降りながら降り続いた。

 今治健康ランドに落ち着き、入浴時の体重は62.6kgと平常並であったが、福岡から参加した人たちと乾杯して食事をとって就寝。翌朝の入浴時の体重は61.4kgに減っていた。
 帰宅後の体重は62.4kgであまり変化無し。体脂肪は14.5%と平常より3%も少なくなっていた。
 昨年2月の大村湾一周(160km)から帰ったときは12%まで下がっていたことを見ると今回が如何に頑張りが足りなかったかが、よく分かる。

 海宝さんを初め多くのお馴染みに会えたし、また多くの出会いがあった。70kmでリタイアしたとはいえ、ウルトラマラソンを走れる健康を喜び、宇宙・自然・神仏、また大会スタッフとして、またエイドステーションでボランティアとして支援して下さった方々、また何時もグチ一つ言わず汚れ物を洗濯してくれたりする、かみさんに感謝を捧げます。


  スタート地点の福山城
  元和5年(1619)福島正則の改易により備後10万石の領主として入封した水野勝成が、3年の歳月を費やして構築した近世の城郭である。
  現在城内の堀は埋められ、三之丸とともに市街化しているが、二之丸・本丸は築城当時の姿を良く伝えている。

  月見櫓はもと京都、伏見城内にあったものを移築したものといわれ、本丸の東南隅に位置し、望楼の役割をなしていた。
  明治の初め頃とりこわされたが、昭和41年(1966)に天守閣とともに外観復元した。

← 重要文化財 筋鉄御門
  筋金御門は京都伏見城の遺構といわれ福山城本丸の正門である。

→ 福岡から参加の一同
  左から、仁田野、仲道、中川路、矢野の諸子。その横が小生みのむしこと見野、最も右は千田氏

← 昭和63年の九州横断以来、11年ぶりに会った阿草氏と仲道、中川路氏

→ 平成6年のトランスアメリカフットレースで海宝氏ともども見事に4700kmを走り抜いた、ハワイ出身のカビカ・スポールディング。招待選手として参加。

← 福山城内で海宝氏の説明を聞き入る参加者たち。

→ 大会の説明をしている主催者の海宝氏。

← 5時の合図とともに城内から駆け降りるランナーたち。

→ 最初の橋、新尾道大橋(20kmを過ぎた地点)

← 目の不自由なランナー野口さんに伴走する池田さん(左)と阪本さん(右)

→ 30キロ地点
 向島走ろう会のサービスエイドステーション。

← 因島大橋をバックに
 追ってきた大石さんのスナップ。10kmの大会しか経験がないといいながら61kmの大三島ICまで頑張った。

→ 因島大橋は二段構成で上部が車道、下部が二輪車、自転車、歩行道となっている。

← 目の不自由な人(右)と伴走者の下田さん。35kmエイドで。

→ 40kmのエイドでサービスしていた浅井夫人と大石さん。浅井さんは最近好調で越田さんとともに日本縦断を実行中。この時間には50kmより先を走っているのでは。

← 右手彼方に展望できた水軍城。昭和58年に歴史家奈良本辰也氏によって築城、再現された全国ただ1つの水軍城。

→ 因島と生口島にかかっている生口橋。

← 生口島のエイドステーション、B&G海洋センター(50.7km)7時間半もかかったとは情けない。握り飯を2つ頂いて元気を回復。取り敢えずは60kmを目指してスタートする。

→ 暫くいくと大層賑わっている所がある。観光バスで渋滞。何だろうと思ったら、ここは瀬戸田町。平山郁夫美術館と耕三寺など観光のメッカである。

← 耕三寺は浄土真宗本願寺派の寺院。母親の菩提を弔うために出家し、初代耕三寺耕三和尚となった生口島出身の鉄鋼業者金本耕三が昭和11年から30余年の歳月をかけて建立した。各時代の仏教建築の粋が集結している。

→ 55kmエイドの手前のなぎさに建立されていた地蔵堂。

← 海岸端のモニュメント。「波の翼、新宮晋」とあった。疲れた体を和ませてくれる。彼方の島は大三島。

→ 多々羅大橋をバックに、通りすがりの観光客に撮ってもらう。

← 大三島のインターチェンジ。61km地点にエイドがある。レジャー施設等が揃っていそうな所。

→ 61kmのエイドには、堀池さんが休んでいた。調子が悪いとは言っていたがスタートから10時間も経過しているのに61km地点とは先が心配される。しかし18時間かかって完踏したとは流石である。

← 大三島インターチェンジのエイドで休憩を取っていた樋口さん(左)と臼井さん。

→ 風光明媚な瀬戸内の風景を撮ったりしている間に何人かに抜かれてしまった。正面の山は伯方島である。

← 大三島と伯方島に架けられた大三島橋。美しく弧を描くアーチは道中唯一。

→ 伯方SCパーク、70kmのエイドステーション。
地元の若者たちがそーめんを振る舞ってくれた。時計は17時度。17時15分にバスがでるというのでリタイアを決める。明るい内に今治城に届きいろいろなイベントを取材したかったから。

 伯方SCパークからバスに乗り終点の下田水港で降りる。そこからヘェリーで今治港まで25分の航海。バスは観光で賑わって渋滞。舟は待ち時間が長く今治港に着いたのは19時近かった。17時過ぎに降り出した雨は小降りになっているが降り続いている。港からゴールの今治城までは0.8kmと標識にあったので歩いた。城が近くなって、後ろから「あら、見野さん」と仲道さんが追って来た。ゴールに近くなって伴走したが、気持ちよく走れて、早々にリタイアしたことが少し悔やまれた。

← 赤ちゃんを抱いてのゴールは、お産をして暫く走っていなかったという出田裕子さん。NiftyServeのFWELLやインターネットのウルトラマラソン・メーリングリストの仲間である。平成6年の暮れから7年始めにかけての東海道53次遠足以来の再会であった。

← 今治城の広場にテントを張っての懇親会場。左から萩田三、巨人軍団の斉藤さん、と連れ、一番右は角田さん。彼もウルトラマラソン・メーリングリストのメンバー。いずれも「さくら道」の常連。

→ 左から篠田さん、高山さん、千田さん、仲道さん、中川路さん。

← 伯方大島大橋

→ 来島海峡大橋

 次回はこの2橋も走って渡りたいものである。