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スタートは南海電鉄高野線、紀見峠駅を9月14日午前5時。
コースは、紀見峠から金剛山(1120m) 、葛城山(960m)と大阪
府と奈良県の県境の尾根を北上、平石峠から東に向かい大和三山(畝傍山、天香具山、耳
成山)を巡ったあと、再び北上。。三輪神社、春日大社など「山の辺の道」を縫って、宇
治の平等院から山路に入り、炭山から岩間寺に登り、琵琶湖に近い石山寺にくだって、大
津、京都の大文字、銀閣寺、金閣寺、嵐山を通って、大阪城まで南下、城を回って今度は
西走し六甲山に登って、ゴールの有馬温泉に至る。
和歌山県、大阪府、奈良県、滋賀県、京都府、兵庫県の2府4県にまたがった壮大なコー
スです。
40人がエントリーしていたが、実際に参加したのは32人。
制限時間内にゴールインしたのは14人、時間オーバーでゴールしたのが3人という素晴
らしい結果でした。
◆9月13日、12時前の新幹線で大阪に向かい、南海電鉄に乗り換えて、紀見峠駅に着
いたのは17時近かった。馬の鞍部になった駅の周囲は大樹に覆われて、如何にも山深く
来たという印象であった。
集合場所は、駅から5分の国民宿舎「紀伊見荘別館」
懐かしい顔が次々と集まってくる。
平成5年の第2回よろんマラソンのツアーで一緒だった松本和夫さんと3年振りの再会で ある。そのほか「さくら道」で顔なじみの若穂井さん、吉田健治さん、浅井さんご夫妻 、荒谷さん、八重樫さん、香川さん、萩田さん、山本さん、金井さん、増田さん、木野本 さん等々。
22時、開会式が始まる。大会実行委員会の 阪本真理子会長の挨 拶のあと、 スタッフの紹介があり、続いてコースの説明 などが終わって、布団にもぐり込んだのは、24時に近かった。
◆14日午前3時、早くもがさごそと準備が始まる。
用意の弁当を開いて朝食をとっている人が多い。昨夜遅くに夕食をとったのに食欲旺盛な
人達だ。距離が長く過酷なウルトラマラソンを完走するには、旺盛な食欲と何事にも挫け
ない根性が必要である。ベテランと言えども食欲を失えばリタイアにつながる。
皆の持ち物は少ない。再度点検、パンツは長いトレパンで通すことにし、防寒用のコート
を1枚だけ持って、短パンや着替えのシャツ、靴下、デーピングようテープなどを預ける
ことにした。それでも2Kgは超えていただろう。
4時半、スタート場所「紀伊見荘」の玄関に集まる。2つのグループに分けて、1つは5
時丁度にスタート。次は5分遅れのスタートである。私は最初のグループ。
◆5時丁度、まだ明けやらぬ紀見峠をスタートする。
やがて山路に入る。登り坂は次第に急になり、丸太の階段や雨が降れば忽ち川に変わるで
あろうVに抉られた険しい路がどこまでも続く。後ろを振り向けば樹木の切れ間から、金
剛山地の山並みが美しい。
グループから遅れて1人で喘ぎながら登っていると、5分遅れてスタートしたグループが 追ってきて忽ち追い越していった。どうやら、最後部になったらしい。
気温が低くジッとしていれば寒い程であるが、霧がたちこめ湿度も高いのに、汗が止めど
なく流れ、拭っても拭っても額から滲み出てくる。
「さくら道」の2の舞にならなければいいが・・・
しばらくして後ろに話し声がして松本さんと春井さんが追ってきた。
「西ノ行者堂」の立て看板を見つけて記念撮影をしていると、後ろから増田さんが追いつ
いてきた。再度、 記念撮影。
松本さんは先に行ってしまった。
まだ後ろにいた。金井さん達3 人組が追ってきた。
「神福山と大沢寺」の案内板をバックに1枚撮る。出発しようとしていたら、もう1人や
ってきたので、2人で撮ってもらう。
このグループも先に行ってしまい増田さんと2人取り残された。彼とは有馬温泉まで一緒
であった。
◆急な坂道を登り詰めると、今度はきつい下りとなる。写真のような丸太の階段が際限なく
続いている。先頭グループは一気に駆け降りたであろうに。
丸太の1段1段が高すぎて踵へのショックが大きすぎるので、丸太のないところを下って
いたら、木の根っこに足を取られて、あっと思ったときは、杉の立木を両手で支えて止ま
っていたが、右肩を強く打った拍子に首ががっくりと前に倒れて、鞭打ち病の状態になっ
た。首を動かして見ると左側の筋が幾らか引っ張るが大したことはなさそうだ。取りあえ
ずバンテリンを塗布する。
段々で丸太に足を取られていたら、前に支えになるものが無いだけに、どんな惨事になっ
ていたかと思うとぞ〜っと鳥肌がたった。
それからは、慎重になり1歩1歩を踏みしめて降りて行く。
◆金剛山の入口の第1チェックポイント(以下、CPとする)に、8時丁度に到着。
CPには阪本実行委員長他数人がサポートしていた。
我々が最後かと思っていたが、もう1人いるという。何だか気が軽くなる。
水越峠では、千田さん達が待機していた。
挨拶もそこそこに、国道309号を越えて葛城山に向けて山路に入る。
最後の1人に追いつかれないかと後ろが気になりながら、極度の疲労で足は進まない。
葛城山頂を目の前にして地図を見ていると、金剛山のCPにいた人が追ってきて、進路に
張っていたビニール紐を撤去しながら登って行く。後について第2CPに10時16分に
到着。金剛山からの8キロに2時間16分もかかっている。
いくら山路とはいえ、この調子では時間内完走はおぼつかない。
途中で、昨日紀見峠駅前の店で仕入れていたパンをかじっていたが、ひどく空腹を覚え食
堂に入ろうかと増田さんを誘ったが、彼は気が進まないらしい。近くのベンチに腰を降ろ
して彼の弁当をひらき、焼き握りをお相伴する。
近くの店の前で串餅を焼いており「美味しいよ」といわれて、注文する。
正月の餅の大きさのもの3コを串に刺して炭火で焼いている。それに味噌を塗って食べる
と実に旨い。増田さんも1本食う。
ここからは、下り基調であるが、所々に登りがあって疲れ果てた足には地獄の苦しみであ
る。初日最後の大きな登りは、30段登っては一息つき、20段登っては休むといった有
り様だった。
最後の登りで、最後部の人に追いつかれた。道に迷って時間をくってしまったとか。
その人は木野本さん、萩往還やさくら道の常連。顔はよく知っているが、話したことはな
い。
サポート隊の2人も追ってきた。ビニール紐を撤去したり、案内図を外したり。サポート
隊も大変である。そういえば、要所々々には、石灰だろうか白い粉で矢印が施されている
。有り難いことだ。それでも道を間違える人がいるから面白い。
第1日最後の山、岩橋山で記念撮影をする。
平石峠を右折して林道を下り詰めたところが第3CP、国道166号に合流する地点。
初めてのエイドである。大きなバナナを1本、お茶を何杯もお代わりした。
シューズの中の小石を出したり10分程休憩する。
◆国道166号線に出て奈良盆地を東走する。
ここはかっての竹内街道。前方彼方に低い山が見えるのが畝傍山らしい。
木野本さんを先頭に小走りで急ぐ。
畝傍山の左 (進路に向かって) のこんもりしたところが、神武天皇陵らしい。
御陵の北側をぐるりと回って南下すると 正面
の御門に出た。
そこで左折して500m東に行ったところが第4CPの畝傍御陵前駅。
地元の婦人が1人で、待機していてくれた。お茶やらスナック菓子を御馳走になりながら先行者のことを
尋ねる。
「先程、男女の2人連れが行ったばかり」だとのこと。誰だろう。
◆大和三山といわれている畝傍山、天香具 山、、 耳成山(みみなしやま)は東西を基線としてほぼ正三角 形に位置している。 山というより丘といった方がぴったりするような風景であるが、万葉集に数多く歌われた 山とは思われないようなこじんまりとした感じであった。
走っているときは、何とか付いていけるが、歩いているときは、次第に遅れ走っては追い
つき、遅れては走るの繰り返してあった。木野本さんや増田さんを観察すると、歩幅はかわ
らないのに2人ともピッチが早い。ピッチを上げて必死で付いて行く。
天香具山は、手前にもこんもりとした森があって側に行くまで山を特定できなかった。
裏の畑を回り込んで頂上に登ると鄙びた神社があった。天香具山神社である。
藪蚊に追われて早々に裏手から下山する。
前方の小高い丘が耳成山のようだ。
第5のCP、耳成山登山道入口で山本さん大野さんに追いついたが、彼らはすぐに出発した。
そのまま一緒に行きたかったが、トイレなどの要望もあり、しばし休憩する。
「だんだん調子が出てきたのでは」と千田さんに冷やかされた。
◆東に4キロ余、ひたすら歩いて第6CPのJR桜井駅で山本さんと大野さんに追いついた
が、彼らは、ここでリタイアして車で仮眠所になっている森田電気まで行き、仮眠のあと
体調の回復次第で先のことは決めるという。走行距離は62キロ、一応ウルトラマラソン
の距離である。
腹ごしらえしょうということになり、駅前の食堂に入る。親子丼を注文する。
木野本さんは名物の三輪そうめんの大盛り。
山本さん、増田さん、大野さんは別のテーブルに座り、ジョッキで乾杯している。
山本さんと大野さんはリタイアするのだからいいとしても、増田さんは大丈夫かな?
懐中電灯を出したり、反射テープを用意したりと夜行の準備をしたりで、約40分休憩し
、18時10分に出発する。
桜井駅から約1キロ半の初瀬川を渡る付近から「山の辺の道」となり万葉の歌碑が点在しだす。
本大会の大きな目玉になっている「山の辺の道」は次第に黄昏て平等寺ではすっかり暗く
なっていた。
大神神社(三輪明神)の御神体である三輪山も全く見えない。お月さんも新月で姿を見せ
ない。残念なり。
大神神社の表が、 第7CP(18時43分到着)で数人のス
タッフが待っていてくれた。本当にご苦労さんです。関門を大幅に過ぎている我々のため
に・・・有り難いことです。
◆「山の辺の道」は暗いと分かり難いので国道169号に出て北上する。
コンビニで水分を補給し、スタッフに電話で状況を連絡したりして歩き続けていたが、2
2時過ぎて木野本さんが遅れだした。睡魔が襲って来たという。
「何処かで仮眠しようか」と聞くと
「近くにJRの駅があるから、そこのベンチで寝よう」という。
眠くなったらブラックガムで凌ごうと用意していたが、此処に1人置いて行く
わけにもいかん。彼の提言を入れて駅に寄る。
JR檪本(いちのもと)駅の側に公園があり、ベンチが3脚並んでいた。
木野本さんはリュックから寝袋を取り出して潜り込んだ。
リュックは大きく見えなかったのに、畳んだら小さくなる寝袋がはいっていた。
増田さんは、長いパンツに長袖のトレーナーを着込んで横になった。
私は、スタートのときから履いている長いパンツに近畿ツーリストの参加賞「地
球を走る会」の薄い風防を着たが寒い。ビニールのゴミ袋を持って来たのを思い出して取
り出し頭を通す穴を明けて被った。
21時40分頃だったので、22時半に起きようということにして横になったが、
駅前の広場に若者達が集まって大声で話しているのが喧しくて、とても眠る雰囲気ではなかった。
それでも、うとうとっとして時計を見ると23時半に近かった。
2人はよく眠っているらしい。余りゆっくりするわけにもいかんので起こし
て23時30分に出発する。
ラーメンでもとりたいと思ったが駅付近にはこんなに遅くまで営業している店はない。
国道169号に戻って暫く歩いていたら、そば屋を見つけて入る。ここでも30分費やす。
しばらくして、木野本さんがまた遅れだした。まだ眠いとふらふらしている。
スーパーの出入口付近で2度目の仮眠をとる。(日が変わって15日の午前2時20分か
ら3時30分まで)コンクリートが冷えまので、出入口にあるカーペットの上で横になる。
ここも人が来て騒々しく、かつ寒くて眠れなかった。
◆中央分離帯で鹿が草をついばんでいるのを見つける。
道路の向こうは公園らしい。時計は3時45分。
次の交差点が春日大社への入り口であった。左手に奈良県庁が照らし出されていた。
東大寺大仏殿の入口を通過、北上を続けているとY型の交差点を白線の指示に従って左に
とると登り坂となり丘の上に、おとぎのくにのような建物が浮かんできた。
近づいてみると、それは奈良少年刑務所であった。
途中「奈良矯正展」の垂れ幕があって、いかぶっていたが、これで納得。
◆国道24号線はところどころ歩道がない所もあったが、幸い夜明け前で交通量が少ない
ときだったので助かった。
JR関西本線の木津駅を5時31分に通過。
5時48分、公衆電話を見つけて木野本さんに本部に連絡を入れてもらう。
山城町の上狛でYを右にとり旧24号をJR線に沿って北上。第11CPのJR玉水駅
(通算距離は118.7キロ)に到着したのは7時20分。
自販機でジュースを買ったり、駅のトイレを借りたり、暫し休憩をする。
8時過ぎ、空腹になってコンビニでそれぞれ食料を仕入れて、外でビールの運搬ケース
に座って蕎麦の朝食をとる。
左足4指の豆はテープを巻いたので痛みもなく、右の方は指のつけ根中央部に違和感はあるが、
豆はまだできていない。
◆城陽新田交差点で右折してバイパスに入る。
立派な登りの道路が続き広大な城山総合公園、総合運動公園が広がっている。公園を大
きく右に回り込んで2.5キロ程南下したところが、第11CPで仮眠所になっている森
田電気。
店の様な構えはなかったので倉庫ではないか見たが、到着したのは11時22分。
ここの関門は5時なので6時間半の遅れである。全く人の気配はない。
外に水道があったので足を冷やしたり頭から被ったり、水筒にも補給させてもらう。
足の手入れなどもして暫し休憩。
◆今来た道を1キロ程戻り、細い道に入り更に北に進路をとる。
やがて大きな川に突き当たった。白線は左を指示している。川は宇治川であった。
川縁に店がならんで、観光客で賑わっている。
満員の食堂に入ったが、殆どの客が注文したばかりで、老夫婦がてんてこ舞をしている。
これでは何時になるか分からんと出る。
もう一軒の食堂は、全館予約で一般客はお断りという。
ここで腹拵えをしておかないと、この先20数キロは山道である。対岸に何かあるだろう
と、 朱塗りの朝霧橋を渡る。
神社の横に茶店があった。素麺と団子しかない。丼物を食べたかったが仕方ない。
素麺定食と蜜かけを注文。増田さんも素麺に団子である。
木野本さんは、腹の調子を崩して素麺だけであった。生き返った。
水筒にお冷やをもらって出発したのは13時10分であった。
◆途中、炭山陶芸村に寄る。陶器を並べた店が2軒ならんでいた。
伝統的工芸品も展示されていたが、光線の具合が悪くカメラに収められなかったのは残念
である。
ここでも大方30分見学を兼ねての休憩をとる。
峠を越えてつづら折れのような急なカーブを下っていると、バンバンと2つ連続の音が谷
間に響いている。下るに従って音は大きくなる。
「何だろう」
「射撃の練習だろう、2発の連続音がするのは、
かわらげを投げてそれを打っているからだろう」
テレビなどでは、よく見かけるシーンだが、直接音を聞くのは初めてである。
左に脇道があり、入口に笠取国際射撃場の建看板があった。
ここでも暫し休憩 (16:27 〜16:45) 足の手入れをする。
登ったり下ったりの結構凹凸のある曲がりくねった道である。
◆アンテナ塔が立っている高い山地を東に見ながら下っていると民家に出た。
集荷場らしき建物の前に老人と若い婦人がいた。岩間寺への道を尋ねたらアンテナが立っ
ている山を指して
「あの山の裏になる」
どうもそうではないかと思っていたがやっぱり。
「どの位かかるでしようか?」に
「30分はかかるだろうね」
明るい内に通過したいと、いろいろ話しかけてくる老人たちに別れを告げて、先を急ぐ。
少し下って左折して山路に入る。灌木を縫って路は頂上に向けて直線で延びている。
やがて大きな広葉樹のトンネルに入ると、急に暗くなった。丸太の階段になったり、雨に
現れて地肌が現れ木の根っこが剥き出しになった路が続く。
ところどころ、木々が切れて明るくなり、着いたかと思わせる。
老人に分かれて約30分、山頂を回り込んだところにある 岩
間寺に着いた。(18時28分)
休むことなく境内を通過、駐車場に出て観光道路を下る。
途中からの街の灯が美しい。灯が切れているところは琵琶湖らしい。
国道に突き当たってコンビニで遅い夕食を取る。
木野本さんが本部に連絡を入れた。
元気を取り戻して旅を急ぐ。
◆20時44分、第14CPの石山寺山門に到着。
「何処かで仮眠しませんか」と木野本さん。
「いっそのことカプセルに泊まりませんか?大津駅付近には有るかも分かりませんよ」
意見の一致をみて、大津駅までバスに乗ることにして時間表を見ると、大津駅経由の石山
駅行きが多い。21時丁度があり、待ち時間は10分足らず。
時間前に来た石山駅行きに飛び乗ったら、何と石山駅に直行してしまった。
石山駅付近は商店も多く、人の動きも賑やかである。
大津駅は大きいが駅前は差ほど賑やかではない。
駅前の交番で、カプセルホテルはないか聞いたら、すぐ側にあると教えてくれた。
コンビニに食料を買いに寄る。数日前のテレビドラマで、コンビニでパンツを買うシーン
があったのを思い出す。
新しいパンツをはくと股擦れにもいいだろうと、結婚以来初めて自分でパンツを買った。
柄物しかなかったが600円也が高いのか安いのか見当もつかない。
ホテルはカプセルではなく、ビジネスホテルだったが泊まることに決めた。
ツインで5500円、シングルで7500円だったかな。
先ず汗を流してから、ビールで乾杯。紀見峠をスタートしてから40時間の健闘を讃える。
翌日は大津駅までワープして、そこから長等神社に参って大文字山に登り、銀閣寺をゴー
ルにすることとし、7時ロビーに集合と決めた。
綿のように疲れた体は忽ちベッドに溶け込んで仕舞った。
◆最終日の16日、7時にロビーに集合。JR東海道本線に乗り込む。大津駅で下車。
7時25分、大津駅前をスタート。ここにも白い矢印があった。
殆どの神社は鄙びた白木造りであるが、長等神社は朱塗りの大きな門があり立派である。
参拝客も多く賑わっているのだろう。
矢印に導かれて西走する。
小関峠には山から清水を引いて蛇口付きのタンクに溜めている。
自然水として地元の人に愛飲されているのだろう。
そこで乗用車を洗っている人がいた。ここなら遠慮なく水洗いができる。
山科駅を過ぎると琵琶湖疎水に滔々と水が通っている。
トレーニングコースにはもってこいだなと思いながら歩いていたら
「東山緑地ジョギングコース」の大きな案内板があった。片道距離は3.3キロ。
「走ろうか」との声に、待ってましたとばかりに走りだす。
しばらくして後ろを見ると2人は見えない。歩きに変えたらしい。
昨夜ベッドで眠って体力を回復したのか快調である。そのままゴールまで走る。
◆右手の山の松が枯れてしまったところあった。山口の松も枯れ果てていた。
渥美半島の松も全滅していた。九州の松もひどい。
何とかしなくては、日本の松は全滅するかも知れないな。
ゴール左手には天智天皇御陵があることになっているので、尋ねると、2つ東の路地を下
りるといいと教えてくれたが、御陵らしいものは見当たらない。
ゴールは琵琶湖疎水の終点で、広場があってゲートボール場もあり、大文字山への登り口
でもある。
◆写真を撮ったりしていると、小太りの中年の人が撮って上げましょうかと近づいて来た。
御陵のことを尋ねると、案内しようという。
山科のマラソンクラブに所属している山田さん。
前日は9時まで仮眠所になっている森田電気でサポートしていた、
今日も橋の袂に張っていた案内書を剥がしに来たところだったという。
連れの2人が到着するのを待って、山田さんの車で御陵に案内してもらう。
御陵正面入口の左側に、天智天皇が考案したという日時計があった。
日時計は9時20分頃を指していたが、腕時計は9時19分。ピッタリ。
奥に進んで 御陵に参拝する。
正面入口で通りがかりの婦人に頼んで、山田さんと一緒に 記念
撮影する。
バッテリーが上がって動かなくなった山田さんにお礼を述べて別れる。
全くの偶然で他の参加者達が拝観できなかった「天智天皇御陵」を参拝することができた。
ジョギングコースで「走ろうか」と声をかけた人、3.3キロを最後まで走った自分、
たまたま来あわせた山田さん。
幾つもの偶然が重なった結果の御陵参拝であった。
自然の意思、宇宙の意思に感謝の気持ちで一杯である。
◆琵琶湖疎水の終点に戻って、大文字への入口をバックにゲートボールを楽しんでいた人の
手を借りて記念撮影をする。9時51分。
山路は以外にきつい。三叉路に出て「どうせ1つになるだろう」と左に取ると目の前を左
に進んでいる人を見つけて「大文字はどっちですか」と尋ねると「こっちです」との返事。
三叉路で右に進んでいたら迷い込むところだった。
地図上からは判断の付かない三叉路であった。
大樹の中で多くの人が休憩していたところが「七福思案処」。
路は5つの方向に別れているので、どっちだろうと思案したのかな?
それにしても七福とはなんだろうか?
大文字山(466m)の三角点で記念撮影。
老夫婦や子供連れの登山者も多い。木樹の切れ目から、京都の街が見える。
タワーが見えるのが京都の駅前だろう。
ここから下り一方で、11時12分、大文字に到着。京都の街が一望できる。
街を挟んで対する山に「妙法」の文字が浮き彫りになっている。
左手の山に「大」の文字が見えるのが小文字だろうか?
コンクリートの角材が2本並んで飯盒炊飯のかまど状の場が線
状に繋がっているのが、大文字の焚き場であろう。
テレビではよく見るが、現物を見るのは初めてであった。
銀閣寺は、時間がなかったの入口で案内図をバックに1枚撮っただけで通過する。
3時前、できたら2時半には有馬温泉に着いて、懇親会が始まる前に温泉に浸かりたいと、
タクシーで京都駅にでる。駅は改築中で混雑していた。
最短時間のルートは、神戸まで行き、神戸高速鉄道に乗換え、1つ先の新開地で神戸電鉄
有馬線に乗換えたがよいと確認したあと、昼食を取る。
13:00発、新快速で京都を離れ電車を乗り継いで、有馬温泉の関西電力明山荘に到着
したのは、15時29分であった。
14人が時間内完走でまだ3人走っているとスタッフ達は六甲山から下りて来るランナーを待っていた。
16時過ぎから成果発表があって記録は下記の通り。
1位 原 健次(51) 12:24
1 八重樫智彦(50) 12:24
3 関根 孝二(40) 12:26
4 荒谷 光夫(46) 13:00
5 吉田 健治(36) 13:05
6 若穂井 勉(48) 14:18
6 萩原 義雄(45) 14:18
8 成田 卓江(女性) 14:35
8 大森 洋 (50) 14:35
10 中道 進雄(54) 14:35
11 津川 14:53
11 平賀 俊夫(41) 14:53
11 金井 靖雄(57) 14:53
14 大野 正富(66) 14:59
女性の健闘や66歳のぎりぎりの完走、凄いですね。
若穂井さんは3年連続の完走、見事ですね。
時間外完走者は萩田、寺沢、松本の3人です。