<プロローグ>
 10月30日の新聞に、“「大濠24時間駅伝」10年の歴史に幕”と記事があり11 月2日午後3時から「永光会」の実年ランナー8人が忍耐駅伝を実施するとのこと。
 待ちに待っていた絶好のチャンスである。
 昭和63年11月13日(日)、玄海町で24時間チャリティマラソンをやってますと いう当日の記事を読んで、急いで走って行ったが参加できたのは1時間余であった。往復 を含めて58キロ走ったが、帰りに「来年も実施するなら声を掛けて下さいよ」と頼んで いたが、以来声もなく記事も見ない。
 今年5月の連休に、山口100萩往還マラニックの150キロ連続走に恵村氏と参加、 22時間33分で完踏したので、さらに記録を更新したいと願って機会を窺っていた。

 10月は、ランナーズ主催の「走り込み大会」に東公園ランニング倶楽部(HRC)で 3グループを結成して参加、上旬は148キロでまあまあ、中旬は79キロと振るわず、 目標の400キロは半ば諦めていたが、下旬になって猛然とやる気が起こり通勤日は全て 通勤ランで距離を稼ぎ、日曜日はシティマラソンのハーフに出場して300キロは確実で あった。
 結局、10月の走り込み大会は、下旬330キロと旬間走行距離の記録を大きく更新、 月間走行距離も第2位を更新、557キロ(最高は62年8月の711キロ)となった。  明けて11月1日、午後から左足親指の付け根が疼きだした。通風の発作である。
 氷で冷やしながら執務した。
 このような状況での、24時間走の実施は危ぶまれたので、HRCの仲間には、連絡し なかった。
 2日当日、通風は治まっていたので、とにかく行って走れるところまで走ろうと大濠公 園に出掛けた。

<ランニングタイム>
 2時前、大濠公園に着いたが、入口道の突き当たりにテントが張られて、永田氏達が準 備をしていた。池側の柳に「第10回大濠24時間忍耐駅伝」の横断幕が張られ、若い人 達が別にテントを用意している。聞いてみると、福岡大学の体育部で彼らも24時間駅伝 をやるとのこと。またランナーから採血して運動量と血中乳酸値の関係を調査するのだと いう。
 自分の血液の変化には興味がある。
 頼んで採血者のリストに加えてもらった。
 2時半に、福岡市役所の職場対抗駅伝がスタートし、応援者が続々と詰め掛け沿道の両 側には厚い人垣ができた。
 3時、職場対抗駅伝の間隙を縫って、梶栗福岡走ろう会会長の号砲を合図に「永光会」 の8人が一斉にスタート。
 その後ろから小生もゆっくりとスタートする。急ぐことはない。先が長いのだから。
 福大のトップランナーは、大柄のおねーちゃん。このグループは、周回回数やらは、気 にしていないらしい。大勢が入れ代わりたち代わり、全員楽しく走ればいいのだ。
 いろいろと話しながら1周を付き合ってくれた。交代した2周目の人は、ゆっくりした ペースに付き合い切れず先に行ってしまった。

 人垣の中を、実年ランナーのように前後に 「24時間駅伝」のゼッケンを付けぶっ飛ば して走るのは恰好いいが、「九州横断150キロ」のシャツを着ていても、よたよたでは 何とも照れ臭い。
 「みのさーん」と声がする。福岡走ろう会の沢田さんがニコニコと手を振っている。
 3周もすると度胸がついて、知った人はいないかときょろきょろしだす。
 美和台5丁目の川原氏もいる。三苫の佐伯氏もいる。みんな一周する度に、声を掛けた り手を振ったりして応援してくれる。他にも顔見知りが大勢いた。
 3周の終わり辺りで、早くも実年グループに追い抜かれる。
 最初の3周は1周あたり10分台、24時間ぶっとうしで走るには少しペースが早すぎ る。12分を目標にする。
 4時、市役所の駅伝は終わり三々五々と応援団も引き揚げていく。中には、芝生にシー トを敷いて打ち上げを始めたグループもいる。
 7周して4時16分、第1回目の燃料を補給、途中で買ってきたクリームパン1個と家 から用意して来た、はぶ茶(1リットル持参)をとる。
 見覚えのある後姿が目に付いた。何とセンターの坂本氏と和田嬢である。
 「やあ今日は」と声を掛けて通り過ぎる。しばらくして「今日は」と和田嬢の小さい声 が返ってきた。すぐには誰か分からなかったのだろう。

<たそがれ>
 5時過ぎには市役所の表彰式も終わり人影は随分と少なくなった。
 江渕夫妻(福岡走ろう会)が夫婦で走っている。3時前にも旦那の顔が見えていたが、 家が近いのであろうか。何周もしていたようだ。
 黄昏て街にはネオンがきらめきだした。福岡タワーも頂部の2筋の空色のネオンが鮮や かである。池の中央を2分するように作られた、島と橋には、オレンジ色の灯が輝き、水 面に群れて漂っているかもめ達の上に映えて、おとぎの国のように美しい光景である。
 5時50分、14周でパンを取りに寄ったら採血しましょうかといわれて採血。ついで に10分休憩して6時丁度にスタート。
 暗くなった池の周辺には、いつまでも人影が絶えない。静かにトランペットの音が流れ てくる。ギターを奏でている一団もいる。人の邪魔にならないようにと気を使っての静か な演奏。
 20周して食料を取りに寄ったら丁度、有里(我が家の3女)が「パパ」と応援に寄っ てくれたところであった。ときは7時12分、普段なら団欒のときである。有里は「頑張 ってね」と名残を惜しみつつ立ち去る。2本目のバナナを食べながらスタート。
 早くも1/6を経過した。
 西中洲の「あら津」のママが握り飯を差し入れに来てくれるのを、心待ちしながらひた すら走り続ける。この頃になるとペースは1周13分台に落ちた。
 27周したとき(8時40分)、和服のママが、手を振って待っていた。
 休憩して、俵むすびを3こ食べ、ついでに採血してもらう。「血液が粘ってますね、水 分を沢山とって下さい」と右の耳朶を絞って血液を取っている。「遠慮せんで、がばっー っと切っていいよ」。だって絞り上げられるよりスパッと切られた方が気分がいいもの。
 通風の発作点が時々疼きだしたので、痛み止めと腫れ止めの薬を服用する。
 ママは店があるからと早々に立ち去る。
 9時から9周して11時過ぎに採血休憩。残るは16時間、1/3は消化したわけだ。
 犬の散歩、お休み前のジョギングの人達は、いなくなったが、若いアベックがやってく る。
 尿の出が近くなる。1時間も辛抱できない。色は無色透明。
 昭和62年の錦帯橋マラソン(26マイル)のときは、真っ黒く濃いコーヒーのような 色の尿が頻繁に出て心配したが、マラソンが終わったら途端によくなった。

<釣り上げられた三日月>
 美術館の方から、音量を絞ったロックが聞こえてくる。若い数人が練習しているのか、 楽しんでいるのか2時ごろまでダンスに興じていた。
 深夜にもなると街のネオンも消えて寂しくなる。空は曇っているのか星1つ見えない。  2時近くなって、睡魔が襲ってきた。気が付いてみると歩いている。躓いて手をつきそ うになったりする。それでもテント付近になると走って通り過ぎ見えなくなると、また、 歩き出す。
 3時近くなって一気に晴れ上がり、高く上がったオリオン座の3つ星を中心に大きな星 が幾つかきらめきだした。北の方は周囲の灯りのせいか余り見えない。
 8月の九州横断マラソンのときは、オリオン座は4時頃になってやっと地平線から上が っていたっけ。
 東には、とても明るい星が1つ、その少し右上にやや小さい星がある。志賀島老壮年マ ラソンの朝、輝いていたあの星なのだろうか?
 先月下旬、通勤ランの朝、日の出前に輝いていた星と同じ星かな?などと考えながら走 っていると下からもう1つ明るい星が登ってきた。
 6月だったか、金星、火星、木星が大接近して話題になったのは。あのときは3角形を していたが、今は一直線。下2つが同じ位の明るさで一番上のが少し小さく、等間隔で並 んでいる。こんな星空を見ただけで幸せだと感激しながら走っていると、いやー驚いた。
 小舟を浮かべたような3日月が現れてきた。先程の3つの星が釣り竿で3日月(後で調 べたら月齢26.2、月の出3時10分)を釣り上げたといった感じである。
 実に素晴らしい自然の美である。1人で楽しむのは勿体ないと福大の皆さんにも教えて やった。
 後日、星について少年科学文化会館に尋ねてたら下から金星、木星、獅子座のレグルス だとのことであったがレグルスには疑問が残る。
 50周して休憩、採血、エネルギーと水分を補給する。
 もう一度、痛み止めを服用、膝も用心のためサポーターを付ける。
 3時20分スタート。冷えてきた。半袖1枚では耐えられず厚手のランニングシャツを 重ね着する。若い2人連れは、未だ石のベンチで寄り添ったまま。
 駅伝大会などで、懸命に走るときは100mのマーク間を82歩位であるが、今は何と 125歩もかかっている。足が前に出ていない。

<早朝ウオーキング>
 5時になるとウオーキングの年寄りが増えてきた。
 「お早うございます」と声を掛けても返事戻ってくるのは稀である。
 宮崎市の大淀川の堤防、佐賀市の城の周囲では80%は気持ちのよい挨拶が戻ってきた のだが。都会になるほど挨拶は悪くなるようである。
 再び睡魔が襲ってきた。5時半、遂に堪り兼ねテントの横で、ジャンパーを羽織りカッ ターシャツで足を覆い膝を抱えて居眠りする。
 丁度20分の休憩であったが、その後の3周は、1周13分台とすっかり元気を取り戻 していた。

<素晴らしい朝焼け>
 南から西にかけて稜線が美しい。背振山から雷山にかけての県境の山々か。
 6時になると、あっちの道こっちの道からぞろぞろとゴキブリのように(表現が悪くて すみません)ジョガーや犬の散歩が集まってくる。
 6時半、東の空が燃え出した。山火事のように赤く、大濠の水に映えてそれはそれは、 見事な光景である。感動が全身に走る。この大濠の人達は何時もこんなに素晴らしい光景 を眺めているのだろうか。
 西側の芝生では、ラジオ体操でもしているのか30人位のグループが手足を動かしてい る。太極拳だったのかも知れない。
 山火事は少しづつ消えてやがて大きな大陽が宝満山の右手太宰府の上から姿を現した。  時は、6時52分。今日1日、快晴間違いなしの日の出である。
 日の出を拝みながら1周して、延べ63周で休憩。
 水分、食料を補給して採血をしてもらう。

 7時15分、走りだすと、丁度来たばかりの戸田氏(福岡走ろう会、62歳) が伴走しようと一緒に走りだした。かなりペースを落とした積もりだったが、1周12分30秒と ハイペース、2周目は、更にピッチが上がって12分15秒。しかしこれが限界、少し歩 くからと1人になる。
 8時を過ぎる頃から人が減り始めた。朝飯前の運動に来ていた人達なのだろう。  実年グループと福大のグループには、自転車の伴走者が付いていて、追い越す度に、声 を掛けてくれていたが、よろよろと走っているので心配になったのか、この頃から私にも 自転車で伴走してくれるようになった。
 「足は大丈夫ですか」「心臓とか異常ありませんか」「何時から走り始めたのですか」 伴走者が変わる毎に同じような質問を受ける。
 大濠を1周や2周する間に8年間の走暦は語り尽くせない。
 ある人には、山口の萩往還を昨年120キロ、今年150キロを走ったことを話す。
 別の人には、カナダのバンフで通算25,000キロを達成したこと、グランドキャニ オンの標高2000mの台地を走り息苦しかったことを語る。
 また、別の人には、サロマ湖100キロの話、テームズ河やセーヌ河のほとりを走った こと、北上川、最上川、信濃川の堤防を駆けたこと。筑後川や遠賀川は、源流から最下流 まで走ったこと、九州横断走のこと、国内29都道府県を走っていること等々。
 「大学祭の最中で、バザーを開いたり屋台を出したりするのも楽しいが、ここで汗を流 し苦痛を味わう方がよっぽど有意義です。」と彼らはいう。仲々頼もしい。

<かき氷>
 10時になると人出が増えた。家族連れで、恋人同士で好天に浮かれて行楽にやってき たのか、ボートハウスの前はいっぱいである。
 高校生位の女の子が3人、水路にかかった橋の上でダンスを始めた。周囲に大勢いるの も目に入らない様子、恥ずかしいなんて感情は持ち合わせていないのだろうか。
 「どこか具合の悪とところはありませんか」と聞かれて、どこもないと答えたものの、 左足の裏に100キロ辺りからできた豆がますます大きくなってパンク寸前といった感じ である。また、足の裏が燃えるように熱く土踏まずが突っ張りだした。
 伴走車がいなくなったとき、シューズを脱いで流水に漬けたら、水は思ったより冷たく 痺れるほどであった。左足の裏には、なた豆位の大きな豆が2段重ねでできている。靴下 やサポーターも濡らした。走りだすと、豆が以前より痛い。どうも靴下の滑り止めのゴム が当たっているらしいので左の方だけ脱いでみた。この方が具合がいい。以後、最後まで 左は素足にシューズを履いて走った。
 11時13分、77周し過去最長の150キロを走破。走行時間も20時間13分と萩 往還の記録(22時間33分)を大幅に上回っている。山道と平地であるから、この記録 は当然といえば当然であるが。
 差し入れの握りがまだ沢山残っている。学生達にどうぞと出すと「いただきまーす」と 本当に気持ちよく食べてくれる。
 11時30分、スタート。残りは僅か3時間半となった。もうひと頑張りである。  これからは、1歩ごとに記録更新となる。
 1周16分前後にペースが落ちている。これから何周できることやら。
 明け方から、テントの前を通過する度に、「ファイトッ」とか「マイペース」「頑張っ て」と声援してくれていたが、人出が増えてきて照れ臭くなる。
 実年グループの浜氏が元気が余っているかのように、走者を待ち切れず、中継点で行っ たり来たりしている。
 喉の渇きが酷くなって毎周水道の水を飲みに寄る。伴走車はその間待っていてくれる。  ハンバーガー販売車に氷の幟が立っているのを見つけて寄る。
 氷一杯200円、美味かった!
 日本庭園で何か行事があったのかな。和服姿の女性が並んでいたが、この時間に終了し たのか一斉に出てきた。そう今月は、七五三であった。着飾った親子も氷やハンバーガー を求めている。

<エピローグ>
 自転車で伴走してくれてた女の子に「ブラジャーが欲しいよ」「ええっ」
 胸部の肉が上下動して凝ってきた。腹部の肉は早くから凝った感じであったがランパン のゴムで押さえているので何とかなっている。胸の上下運動は痛みさえ感じる。
 びっくりしていた女の子も意味が分かって「そりゃー奥さんのがいいよ」だって。
 残り1時間となった。最もよく伴走してくれた学生に「後3周だね、少し歩くよ」とゆ っくり歩く。九州NTTデータシステムの中川社長がウオーキングしていたが追い越され てしまう。歩けば、ウオーキングの人に追い抜かれるほど疲労困憊している。
 最後の2周は、恰好よく走ろうと元気をだして頑張る。1周13分台。
 関係者や通りがかりの人達の拍手の中をゴールイン。
 合計88周、171キロ。我れながらよく走ったものだ。

 3時丁度、「永光会」の8人が揃ってゴールイン。
 新聞社のカメラマン達に交じって撮影する。
 福大生やチャリティ募金の寄付先で目下建設中の身障者授産施設「ひかり協同作業所」 の人も一緒に写真撮影。
 別に福大生達と一緒に撮ってもらう。
 この人達のお蔭で本当に楽しい24時間でした。
 「来年は、福大が主催して24時間駅伝をするといいのに。そうしたら、また来ますよ 」といいながらみんなに別れを告げる。永光会の皆さんにもお礼を述べる。
 大濠公園の24時間をカメラに収めたい欲望にかられ、その機会があることを祈りながら公 園の全てに手を振りながら「さようなら」をする。

<後日覃>
 翌日4日は、すこぶる快調、夕方5キロ走ったが時間があればもっと走れたかも。
 5日から通勤ランを再会しようとしたら足の甲が痛みだし、以後足の裏が火照って氷で 冷やしたり、とても走る段でない。
 翌日から便の色が真っ黒になり3日続き、やっと本来の黄金色に戻った。
 頻尿も10日あたりまで続いた。
 体重は、3日帰宅後、57kgになっていたが、以来たらふく食いランニングはさぼって いるにもかかわらず58kg止まりである。腹部もバンドの穴が1つ小さくなったままの状 態を保っている。
 12日からランニングを再開。
 17日の筑豊さわやかマラソン(10キロの部)では47分39秒と、自己記録の2位 を更新(最高は60年11月の46分15秒)快調そのものである。 (11月17日現在)

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