第4回東海道五十三次遠足

<<第2ステージ 12月30日>>沼津〜府中 62キロ

◆沼津宿場を発つ
 5時半、モーニングコールで目を覚ます。湯を沸かして残りの稲荷を食べる。
 長袖の下着に、トランスアメリカのTシャツ、その上にトレーニングウエア。
沼  津 黄昏図
 右膝には最初からサポーターを着用する。
 ロビーに集まったのは約30人。1/3は顔馴染みだ。
 『東海道五十三次遠足』かわら版の創刊号が配られる。5インチフロッピィディスク用 のラベルに、参加者が書いた一口メモを張り合わせてコピーしたものであるが、毎日発行 したいと田中さん。ラベルを使うとは仲々のアイディアである。
 6時半少し前に沼津駅に移動する。記念撮影の後、30分を少々過ぎてスタート。
 TBSの取材班4人がバンで追ってくる。
 旧街道から外れて、海岸線に出る。
 潮の香りがしない。子供の頃は海に行くと強い潮の香りを満喫していたように思うが、 最近は何処の海に行っても海の香りがしないのは何故だろう。
J R 静 岡 駅 に 集 合
 田子の浦が朝もやに包まれて延々と前方に続いている。高い煙突があるのは清水港辺り か。後ろから左手にかけて伊豆の山々が霞んでいる。
 北には富士の姿がある筈だが雲に覆われてなにも見えない。手前にこんもりとしている のは愛鷹の山群らしい。

◆吉原宿・吉原の左富士
吉  原 左富士
 工場に挟まれた道路で「名勝東海道左富士」と書かれた大きな標識を見つけて写真を撮 る。
 街道が曲折して右にある富士がここでは左に見えるのだが、生憎の雲で何も見えない。
名勝東海道左富士
 その後、次第に雲は薄くなり、富士山が次第に全貌を現してきた。
 昨年7月の夜叉が池伝説マラソンで意気投合した篠田雲峰さんと最初から連れ立ってい る。顔見知りではあるが、よく思い出せない高沢さんも途中から一緒になった。いろいろ 話しているうちに、昭和63年に初めて参加した九州横断マラソンで一緒で、萩往還でも 一緒に走った人であった。その頃は鈴木姓だったので思い出せなかったのだ。

◆水神の森
 富士川の手前で国道から右にそれて旧街道に入るのを1つ手前から入り、素晴らしい富 士の姿に、ガソリンスタンドの人にシャッターを押してもらう。少し先の土手を登ったら 公園になっていて富士が美しい。写真を撮り合って土手をそのまま走って水神森に出る。
 富士川からの眺めが、また素晴らしい。追いついてきた遠藤さんや菅原さんたち数人も 撮る。

◆蒲原宿・本陣跡(黒い板塀)
蒲   原 雪の夜
 山道を登っていると、峠に出るところが工事中で仮設の梯子になっている。
 先に行った越田さんがマウンテンバイクを押し上げるのに苦労していたが、我々の姿を 見るとカメラを回してくれた。
 「手伝いましよう」「いや大丈夫です」「ではお先に」
 峠を越えると、今度は急な下り坂。とても自転車で走れるような道ではない。自転車で の遠足もこりぁ大変だ。
 やがて蒲原宿に着く。黒い格子の門構えに黒の板塀、厳めしい造りの本陣跡である。
 沼津を出て初めての江戸情緒である。
黒い格子の門構えに黒の板塀
 写真を撮ったりしていると、おばあさんが、少し戻って左に入ると広重の「夜の雪」が あるよと教えてくれた。急ぐ旅でもなし、折角教えてもらったのだから見ようと篠田さん とバックする。
 町制施行100周年記念に造ったという大きなレリーフがあった。
 おばあさんと一緒に写真にを撮ろうとしたら「私はいいよ」と照れながら家に入ってし まった。お礼を延べて本陣跡を後にする。

◆由比宿・正雪紺屋、向かいに本陣跡
 由比の宿の由比正雪が住んでいたという紺屋の黒い板塀をバックに記念撮影。
 11時半を過ぎて、空腹を覚える。
 JR由比駅の近くに食堂を見つけて、篠田さん、高沢さんと3人で飛び込む。少し遅れ てきた志波さんを誘ったが、先を急いで行ってしまった。
 3人それぞれ丼を注文。11時52分から約25分を費やす。

◆蜜柑畑
 食堂を出てすぐのところで、右の山道に入ろうとしたら、ばあさんが「左だよ」と声を かけてくれたので、おかしいとは思ったが、左に行くとすぐ国道に出てしまった。後戻り して右の山道に入ると、石の上に香川さんのだったかメモが置いてあった。
 道の両側は蜜柑畑で大きな蜜柑がなっている。落ちた蜜柑をもらって食べる。乾いた喉 に美味い。
薩  た  峠
 さっきの食堂で食事をして我々よりも先に出た中年の男性に追いつく。地図を片手に歩 いているので話かける。薩C峠を越えて興津まで行くとのこと。

◆薩た峠・富士山の絶景
 金子さんが追いついてきた。薩た峠では田中さんも追いついてきて賑やかになる。
 山道は整備されて丸太の階段があったり、崖側には手すりがついていたり自然歩道にも なっているようだ。
薩た峠からの霊峯富士
 薩た峠からの富士がまた素晴らしい。歩いている男性も記念撮影して名刺をもらう。
 峠から降りて国道に出るところで墓地が造園されており、道が消えて分からなくなって いた。こんなところを1人で通ると心細いことだろう。我々は田中さんの先導で細い蜜柑 畑の中の道を抜けて国道に出た。
 金子さんはランナーには珍しくタバコを吸っている。1日に20本程度で、その代わり 酒は一滴も飲まないとか。酒を止めた理由などいろいろと話を聞かされた。

◆興津宿・清見寺、家康ゆかりの名刹
 興津の清見寺に1時50分に到着。
興  津 興津川
 高沢さんの旦那さんが待っていた。彼は、トライアスロンが専門で長距離は初めてとの こと。足を痛めて遅れていたのをバスで追いついた由。
 篠田さんと2人で高い階段を登りお寺の境内に上がってお参りをする。
 三輪夫人が飴を1つづつ配っていた。彼女は旦那さんの先回りをして要所要所でサポー トをしては次の地点までバスや電車を乗り継いで移動している。
清  見  寺
 街道に入ってしばらく行くと清水駅、「清水港の名物はお茶の薫りと男伊達・・・」と 歌われた次郎長親分が住んでいた所かと思うと懐かしい気がする。次郎長シリーズを20 数本全部見たが、心を躍らせて見たものだ。
 歩道の側溝の蓋の上を走っていて、躓きたたらを踏んだが堪えきれず転倒した。右膝と 右手の甲を強く打つ。右手中指の先の皮が向けて痺れるような感じがする。
 膝には幸いサポータをしていたので、たいしたことはなかったが血が滲んでいた。

◆江尻宿・追分羊羹、赤い大暖簾
 やがて川に突き当たって右折し300m程上流の稚児橋を渡ると、1キロ少々で、大き な真っ赤な大暖簾が出ている追分羊羹。「是より志三づ道」とある。
追分羊羹の真っ赤な大暖簾
 14時46分に清水追分を通過。あとゴールまで10.5キロ。
 相変わらず、篠田さん金子さん、高沢さんの4人連れ。
 府中宿が近くなると高沢さんと金子さんが飛び出していった。篠田さんと2人は、マイ ペースを維持して走る。
 歩道を走っていて再び転倒する。さっきと全く同じ右膝と右手を打つ。初日だしそんな に疲れているわけでもないのに、2度も転ぶとはどうしたことか。
 「2度あることは3度あるというからネ」と篠田さん。全くだ。
江  尻 (清水) 遠望
 競技場の大きな照明設備が見えてきた。総合運動場である。地図では、国道を斜めに横 切って東海道本線にぶつかるようになっているが、分かり難い。なんとか国道を渡って進 んでいると駅に出た。静岡鉄道の運動場前である。
 ミーティグの時に説明があった碑もある。
 篠田さんと写真を撮り合っているところへ高沢さんが追いついて来た。道が分からなか ったとのこと。
 広いJRの操作場の左側の陸橋を渡り、街道を通って操作場が終わったところで、線路 の下をくぐり抜けて線路の左側に出る。この辺りから高沢さんが再びスピードを挙げて抜 け出す。

◆府中宿・JR静岡駅北口
 駿府公園の角を鋭く左折して直進すれば、第2ステージのゴールJR静岡駅北口であ る。 黄昏かけた駅前に16時21分に篠田さんと2人でゴールイン。
 昨年の春、静岡の情報センターを訪問したときは工事中であったが、広々とした駅前の 広場、ユニークなモニュメント。構内も広い。
忘  年  会
 カメラ屋を見かけて、電池とフィルムを買う。構内では高沢夫妻が我々を待っていた。
 宿泊は静岡第1ホテル。駅から5分位のところにある。

◆忘年会
 先に行った金子さんも道に迷って我々より少し遅れてゴールイン。
忘  年  会
18時半からホテルの食堂で夕食を兼ねた忘年会。
 食堂の前室には、ヨーロッパの舞踏会の大きな画が飾られていて優雅な雰囲気を醸しだ していた。ローママラソンの帰りに寄ったベニチュアのホテルを思い出す。
 忘年会は、30数人が参加、4つのテーブルに別れて鍋を囲み和気あいあいで時の経つ のも忘れて語り合った。


まえがき
・ 第2ステージ 沼津宿〜府中宿 62km
第3ステージ 府中宿〜浜松宿 84km
第4ステージ 浜松宿〜岡崎宿  72km
第5ステージ 岡崎宿〜四日市宿 84km
第6ステージ 四日市宿〜京都・三条大橋 108km



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