第4回東海道五十三次遠足

<<第3ステージ 12月31日>>府中〜浜松 84キロ

◆萩田さんと再会
 5時半、モーニングコールに起こされる。
 6時過ぎ、ロビーに降りると
 「見野さん久し振りです」と萩田さん。平成2年11月のローママラソンツアーからの 付き合いで、平成3年の萩往還以来の再会である。
 彼は、掛川市の出身で、地元のコースに1日だけの参加である。
J R 静 岡 駅 に 勢 揃 い
 6時半、静岡駅北口で記念撮影したあと、第3ステージのスタート。
 駿府公園の角を左折、次の角を右折、3つ4つ通りを過ぎて左折、東海道本線と並行す る。
 萩田さんと篠田さんは旧知の仲だった。萩田さんは、我々の先導を勤めてくれることに なった。彼は、前日、試走して分かり難いところには、矢印を付けた紙を張ってくれてい たので、大会の趣旨には沿わないが、コースは萩田さん任せで気楽なものだった。
 安倍川橋の袂の店に越田さんが寄っている。名物安倍川餅の石部屋だ。
 安倍川橋は、昨年の3月、静岡県の中小企業情報センターを訪問した際、安倍川の左岸 を遡り、上流で橋を渡り右岸を下って、安倍川橋を渡ってホテルに帰った思い出の所。

◆鞠子(丸子)宿・丁子屋前(広重の版画で有名なとろろ汁屋)
鞠  子  宿
「鞠子宿丁子屋」と書かれた大きな立て看板のある家に7時22分に到着。記念撮影を する。
 ここでは、篠田さんの他に加村さん、吉川さんも一緒だった。
 丁子屋のとろろ汁は自然薯を摺って白味噌で薄め、湯気の立った麦飯にかけて食べると と特に美味しいそうだ。いつの日にか賞味してみたいものである。
 広重の鞠子「名物茶屋」は名物「名物ととろ汁」と大きな看板を出した茶屋で客がとろ ろ汁を啜っている画である。
 時々、国道から外れて旧街道に入る。この辺りから金子さんも合流。
 宇津之谷トンネルの手前で右折して街道を行くと秀吉ゆかりの御羽織屋が昔の佇まいを 見せている。
岡  部  宇津の山
 2、300m先の宇津谷峠は標識もなく寂しい。

◆岡部宿・十石坂観音堂
 国道脇の階段を登って十石坂観音堂で記念撮影。
 『膝栗毛に「豆腐なる岡部の宿に着きてけり足に出来たる豆をつぶして」あり、難所で あったことが忍ばれる。おかべは豆腐の異名である。』と保育社のカラーブック「東海道 53次」(徳力富吉郎著)にある。


◆藤枝宿・大慶寺の「久遠の松」
大慶寺の「久遠の松」
 僅かに松並木が残っている県道を走り、藤枝4丁目の商店街から50m左に入って大慶 寺に寄る。9時29分。
 大慶寺の門前で、三輪夫人が飴玉のサービスをしていた。寺の境内では檀家による普請 が行われていたが、角のコンビニで仕入れたヨーグルトやプリンで腹拵えをする。
 一休みしている間に、遠山さん、鈴木さんが追いついて来た。出発間際になって越田さ んも自転車で着いたので、久遠の松の大きな幹をバックに改めて記念撮影する。

◆島田宿・大井川川越え遺跡(川会所跡)
旧 道 の 松 並 木
 大慶寺を出て松並木が僅かに残っている旧街道(県道)を約11キロで島田宿に着く。
 大井川の東岸の宿場である。
 「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
島  田 大井川 (駿岸)
 増水して川止めのことである。川止めを食った旅人を慰めたのが島田の女郎衆。
 大井川川越し遺跡(川合所跡)の建物がある。土台がブロックだったから最近建て直し ものだろう。
大井川川越し遺跡

◆金谷宿・金谷坂石畳
 先を走っていた菅原さんが土手から降りて来て右に曲がった。跡を追う。
 後ろからは吉川さんが追って来る。
 川を渡るにはやや水量が多い。長い橋を渡った。
 昨日以上の強風である。おまけに向かい風。橋の上では吹き飛ばされそうになるのを懸 命に耐えながら走る。
金谷坂の石畳
 大井川の西岸を少し下って街道に入り、2キロ少々で金谷坂のチェックポイントに到 着。11時57分。
 休憩所が新築されている。その前から丸石を敷きつめた金谷坂の石畳。だ続く。
 高沢さんの旦那が先回りして到着していた。休憩所や石畳をバックに写真を撮る。

◆小夜の山中・扇屋
 登り坂を歩いているとTBSの車が追ってきて側で止まった。車から半田さんが降りて きた。彼女はずっと先に行っていた筈なのに。
 「道を間違えて・・・」と半田さん。扇屋を目の前にして走り出した。以後一緒になる ことはなかった。
 12時42分、小夜の山中、扇屋に到着。1軒小さな店があり簡単な土産物を置いてい る。これが、有名な扇屋。98才という小さな婆さんが1人で店番をしている。
 98才にもなって現役で、しかも1人で店番をしているとは驚きである。
 500円の水飴を買う。お釣りの間違い等ないのだろうか。
 割り箸に水飴を巻き取ったものが1本で100円、結構売れていた。
 TBSの取材班も婆さんを撮っていた。
 右手の山の剥げたところに、緑で大きな「茶」の文字が見える。茶の木を植え込んでい るのだろうか?
夜  泣  石
 遠くの山には送電線が張りめぐらされ、近くの山は茶畑で、霜避けの扇風機を取付けた 塔が林立して如何にも茶所といった感じである。
 下りの途中の「夜泣き松」に芭蕉の句碑がありカメラに収める。
 『昔、日坂に妊婦がいて、ある夜金谷の夫を尋ねる途中、この小夜の山中で山賊に切り 殺された。その時、側にあったこの石が赤子を助けてと泣いたという。ところが、この女 が日頃信心していた観音様のお蔭で僧が現れ、子供を取り出して付近の女に養育を頼ん だ。女は飴でその子を育てたが、成人してこの子供が母親の仇を討ったという。夜泣石は 今は旧道から移され安置されている。』(カラーブック東海道53次から抜粋)
 これで扇屋の隣にある「夜泣石」と飴のことは分かったが、途中にあった「夜泣き松」 はなんだろうか?

◆日坂宿・本陣跡
 昼はとっくに過ぎて腹はぺこぺこ。「何処かで昼食をとろうや」と萩田さんに提案。
 旧街道を駆け降りる途中で、広重の「日坂」の画をはめこんだ碑を見つけて写真撮影す る。
 本道に出た。コースは本道を横断して街道に入ることになっているが、近くに食堂があ るというので足を伸ばす。
 セルフサービスの店内は昼どきとあって殆ど満席の状態。それぞれ適当に注文する。
 小生は、卵うどん。
 萩田さん、篠田さん、高沢夫人(旦那は足を痛めて走れずかなり遅れている)、金子さ んが一緒である。もう1人いたが、誰だったか思い出せない。
 トイレを借りて、朝からのつかえを除き、すきっとなる。
 ここで20分を消費する。(1時13分〜33分)
 今は幼稚園になっている日坂本陣跡に1時37分に到着。

◆掛川宿・十九首塚
 日坂本陣跡から700m程で国道に出て4キロ余り走った跡、再び街道に入る。
掛  川 秋葉山遠望
 掛川のチェックポイントは十九首塚になっているが分かりにくかった。
 十九首塚は、平将門の一門を祭ったものとある。大きな石の台の上に石塚があり、でか い木製の賽銭箱があった。
 広重の「掛川」の「秋葉山望遠」は、宿のはずれの塩井川に架かった丸みの大きい橋を 腰の曲がった老婆と子供などが渡っている風景である。
 『東海道五十三次』(徳力富吉郎著)によると、「広重の橋とは少しちがうが、今どき 珍しい土橋である。橋杭も古風であり・・・」とあるが、夢中で走ったので気が付かなか った。新しい地図には塩井川はなく逆川になっている。

◆袋井宿・宿場広場
 ひたすら街道を走って、袋井宿場公園に到着。15時50分。
 大きな門の前で、「歓迎袋井宿」の看板に招かれて公園の中に入ると、萩田さんが所属 している袋井市体育協会の人達が10人位で、湯茶の接待をしてくれていた。
袋  井 出茶屋図
 うむ、萩田さんも可成り体育協会のために貢献しているのだなぁと感心する。
 櫛団子のあんこの甘味が疲れを癒してくれる。何杯も何杯もお茶をお代わりする。
 公園の門の脇には大きな看板があり「東海道五十三次どまん中、二十七番目の宿 袋井 宿」と書かれ中央にどっしりとした大きな松を配し、左に大きな凧が上がっている。白地 に黒のあっさりした大きな画は印象的であった。
 門の前で全員一緒に記念撮影をする。
 萩田さん、篠田さん、金子さん、高沢夫人と小生の5人連れであった。
 別れを惜しんで16時6分出発する。

◆見附宿・旧見附学校跡(最古の学校建築)
見  附 天竜川図
 木原畷古戦場跡を右に見て三ケ野橋を渡り、道を左にとって街道に入る。
 日の入りが早い。次第に黄昏ていく街道を只々走る。
 「腹が減ったネ」と誰ともなくいう。国道1号線に戻った所で食堂を見つけて入る。
これより姫街道
 ラーメンが主である。皆はラーメンと餃子を注文していたが、食欲が余りない。
 味噌汁と餃子を注文したが、出てきたのは豚汁であった。美味かったが餃子は半分しか 食べられず、他の人に回す。一緒にいたのは、萩田さん、篠田さん、金子さん、高沢夫人 の5人である。
 見附の最古の学校建築として残っている旧見附学校跡に到着したのは17時43分。
これより姫街道
3階建ての四角の洋館の上に2重の塔がライトアップされ闇夜に浮かんでいる。何だか 街道にはしっくりしない感じの建物であった。
 少し行ったところに「遠州見附宿、これより姫街道、三州御油宿まで」と大きな案内板 があった。姫街道は、浜松から暫く北上した分岐、追分道標からだと思っていたのに。

◆池田宿・行興寺(熊野の長藤)
 再び街道に入って田圃の中を走る。前方に仲間を発見。地図を確認しながら手間取って いる様子である。
池田宿・行興寺
 我々のグループは、前日試走した萩田さんが先導してくれているので、全く安心して萩 田さん任せのジャニーランである。
 田圃や疎らな集落の中を右に左にしながら、池田宿の行興寺の門前に付いたのは18時 26分。
 大会の案内図には「ゆやの長ふじ」とあるから、境内には大きな藤があるのだろうが真 っ暗で何も見えない。ゆやとは熊野と書く。
 越田さんがマウンテンバンクで追いついて来た。一緒に写真に写る。

◆浜松宿・JR浜松駅東口
 天竜川の土手に出る。
 5年3月、公務で静岡県中小企業情報センターを訪ねた帰りに、浜松に泊まり、翌早朝 遠州鉄道に乗り鹿島駅で下車、天竜川を遡って二俣城跡に寄り、船明ダムの終端まで北 上、そこから折り返して天竜川の西岸を下り、国道1号線から西走、浜松城までの40数 キロを走ったことを思い出す。
 新天竜川橋をくぐって、1つ下流の天竜川橋を渡る。強く冷たい向かい風に阻まれなが ら帽子を手に握りしめ体を斜めにして必死に走る。
 反対側の歩道を吉川さんが追い越して行く。この人、昼頃から何度も追い越して行く。  先に行った筈なのに、また追い越して行く。きっと迷い子の達人だよ。吉川さんは。  彼方に明かりの灯ったタワーが見える。多分その明かりが浜松駅近くのホテルであろ う。 右岸の土手を少し下って土手を降り街道に入る。残りは7キロ一寸。
 19時41分。JR浜松駅北口に無事に到着。駅には高沢の旦那と女性が待っていてく れた。
JR浜松駅北口に到着
 タワーのような灯は駅の手前にあるノッポのホテルだった。
 宿泊する浜松サゴーホテルの近くのコンビニエンスストアに寄ったが、弁当の類は殆ど 品切れだった。
 プリンやヨーグルト、ビールのつまみ等を買い込む。
 萩田さん、篠田さんとビールで乾杯しながら記録表を整理する。

エレベーターの前で酒宴
 21時からのミーティングが終わったあと、7階のエレベータの前に集まって、高沢さ んの連れの女性が差し入れてくれた料理を肴に歓談が始まった。

 懐中電灯は、必要なときに買う積もりで持参しなかった。今日一日注意していたが電気 屋は見当たらなかった。そこで萩田さんが、袋井宿場公園の開園行事の記念品として貰っ たというライター並みの大きさのライトを貸してくれた。スペアの電池も一緒に。
 みんなのリュックは以外に小さい。そういえば、小生のリュックには不要なものがいろ いろと入っている。思い切って送り返すことにして整理する。
 トレーニングウエアの上下、着替えの下着、小夜の山中峠の扇屋で買った飴、通過する 県のエリアマップ5冊、これが結構重い。これだけ外すと結構軽くなった。
 フロントで貰った袋に詰めて、発送を依頼する。
 ひょっとすると先程のコンビニエンスストアに懐中電灯があるかも知れないと思い行っ てみたら、幸い単1電池2本を使う防水用が1本だけ残っていた。
 弁当の類も、いろいろと入荷していたので、焼き握りや、海苔巻きを買って帰る。


まえがき
第2ステージ 沼津宿〜府中宿 62km
・ 第3ステージ 府中宿〜浜松宿 84km
第4ステージ 浜松宿〜岡崎宿  72km
第5ステージ 岡崎宿〜四日市宿 84km
第6ステージ 四日市宿〜京都・三条大橋 108km



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