第4回東海道五十三次遠足
<<第6ステージ 1月3日〜4日>>四日市〜京都三条大橋 108キロ
◆最後のステージ
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| 最後のスタートを前に |
5時半起床。残っていたカップ雑煮を2コ食べる。やや不足。
最後のステージになった。今日は篠田さんがいないので1人旅となるが、吉と出るか凶
と出るか?何しろ108キロという距離が不安を誘う。
初めからこれだけの距離であれば何も問題ないが、何しろ4日間で300キロ走った後の
108キロである。走ってみなきゃ分からんというのが本音である。
おまけに昨夜のミーティングに出てないので、コース上の注意事項を聞いていない。
これも不安材料の1つ。不安材料なんて探せば幾らでもあるだろう。弱気を起こさない
ことが肝要である。
6時半、四日市駅東口に集合して記念撮影して出発する。
◆日永追分・追分道標、伊勢神宮二の鳥居
篠田さんは四日市駅で皆を送ったあと、帰宅した。
最後のステージとあって皆は慎重なのか、連日のランニングに疲れたの足が遅い。
何時の間にか、昨日から参加している今坂さん(64才、本大会最年長者である)と肩
を並べて走っていた。
彼とは5年の萩往還(250キロ)で一緒だった。
その時、埼玉県狭山市の農民歌人だと自己紹介があった。
日永追分には、「左いせ参宮道」と彫り込んだ大きな石の標識がある。
◆石薬師・石薬師寺
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| 石薬師・石薬師寺 |
知らぬ間に今坂さんと2人がトップグループから抜け出して先頭を走っていた。
TBSの取材車が横にピタッとついて、2人の会話を録音している様子。トランスアメ
リカのステージツアーのことや萩往還などウルトラマラソンの話に花を咲かせる。
小柄の菅原さんが、飛び出して行った。
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| 石 薬 師 寺 で |
急な坂を駆け登る。日本武尊東征の折、足をいためて歩行困難となり、剣を杖にしたと
いう杖衝(つえつき)坂である。
坂の上には屋根のかかった芭蕉の句碑があった。先回りしていたTBSの取材班がカメ
ラを回している。
国道1号線を右にしたり左にしたりして、陸橋で1号線を越えて裏から石薬師寺に入り
込む。
追って来た中山さん、浅井さんも一緒に境内を掃き清めていた人に頼んでシャッターを
押してもらう。8時6分。
遠藤さん、手塚さん、田辺さんもカメラに収める。
◆庄野宿・本陣跡碑
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| 庄 野 白 雨 |
8時33分、庄野本陣跡の前を通過。
国道の下をくぐって左側に移り川に沿った集落の中を走る。
◆亀山宿・野村一里塚
安楽川の土手に上がって少し後戻りして和泉橋を渡る。8時52分。
ここで髭の田辺さんのグループが追いついてきた。
前方、遙か先に山脈横たわっている。鈴鹿峠はあの山脈のどこにあるのだろう。
今坂さんは、好調である。後ろから追いついてきたグループについて走っている。
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| 亀 山 雪晴 |
小生は、少し調子に乗ってペースを上げていたので疲れが出て、皆から遅れてマイペー
スに戻る。9時10分のことである。
9時28分、和田一里塚を通過する。
立派な門構えの屋敷がある。「亀山宿、江戸の道」の地図入りの大きな看板も立ってい
る。入ってみると公園になっているようだった。
街には「江戸の道シティマラソン」の幟があちこちに立っていた。どこでもやっている
のだな。
坂を登りなから反対側に薬屋を発見。バンテリンスプレーが空になったので、買いたい
と気を付けていたのだ。ばあさんが出てきた。
「バンテリン下さい。チューブ入りの方がいいかな」
ばあさんは、「よく分からんから」といいながらスプレーとチューブの箱を取り出して
来た。チューブ入りをもらった。1236円。
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| 遙か彼方の鈴鹿山脈 |
外にでると反対側を酒井さんと金子さんが並んで走って行った。
京口門跡で内部を覗いてみたら、コンクリート製の地蔵堂のようなものが多数並んでい
たがなんだろう。奇異に思って写真に収める。
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| 野村の一里塚 |
「史跡野村一里塚」は巨木であった。
ここで腰を降ろして、バンテリンをふくらはぎや腿に塗って、足の手入れをしている間
に浅井さんと志波さんが追い越して行った。
◆関宿・銘菓「関の戸」の深川屋
道は関西本線をくぐって鈴鹿川に沿って西に伸びている。高速道の下をくぐるとき壁に
広重のリレーフが3枚かけられていた。
四日市(三重川)と桑名(七里渡口)と石薬師(石薬師寺)の3枚である。
3枚撮ったら丁度フィルムが終わってしまった。
こんなことしている間に浅井さん達とは次第に離れていく。
線路を越え国道に出て100mほど走って再び街道に入る。
追分より先は「歴史的街区景観保存地区」になっていて、江戸の街並みがそのまま残っ
ている。
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| 銘菓「関の戸」の深川屋 |
黒い格子のある写真に撮りたい家がずらりと並んでいる。ところどころ開いている店が
ありフィルムを尋ねるが置いてない。
銀行も江戸造りである。撮影したいがどうしようもない。
コンビニエンスでも尋ねたがなかった。折角入ったので何か食べ物をと思って見回す
が、適当な品がない。蜜柑を買ったが1袋450円で10コほど入っている。重たいので
2つ3つでいいのだが仕方ない。
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| 関 本陣早立 |
フィルムは郵便局の前の店にあると教えられて、その店に入ったが店番がいない。弱っ
ているところに越田さんが自転車でやって来た。訳を話すと
「私の買いおけを分けて上げましょう」と24枚撮りを1本出してくれた。
500円玉を渡すと「大安売りで買ったのでこんなにしない。もう1本上げましょう」
大助かりだ。
彼は銘菓「関の戸」を買いに深川屋に入っていった。
先程買った蜜柑を2つバッグの上に置いて、深川屋やら江戸風造りの郵便局を撮影して
先を急ぐ。
◆坂之下宿 筆捨山
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| 後ろの山が筆捨山 |
近くに「歴史の道」と大書した石碑や常夜燈があった。側に地蔵院があり浅井夫人と娘
さんと長谷川三夫さんがサポートしてくれていた。
国道に出ると先方を山が遮っている。あれが鈴鹿峠かな。
筆捨山バス停の後ろに岩を振りまいたように岩が幾つもあらわになっている。
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| 坂 之 下 筆捨山 |
『東海道五十三次』には、「画家狩野元信が、画にも描けず、と筆を捨てたという筆捨
山は、岩間に松がはえた美しい形の山である」とあるが、元信が画にならないと筆を捨て
たというから元信も美しい山とは見なかったのだろう。
◆鈴鹿峠・万人講常夜燈
国道から右の街道に入ったところに東海道五十三次の宿場名を並べた案内板があってカ
メラに収める。
緩い坂道を登る。
ところどころにある民家は静まり返って人の気配は感じられない。
静かな街道を走っていると眠気に襲われてよろよろしながら歩く。
街道に入って3キロくらいの地点で国道と接し、そこから時々車が街道に入ってすぐ止
まる。何があるのかなと思ったら、谷の窪みに祠があり片山神社とあった。正月で皆が拝
みにきているのだった。
神社横の狭い山道が鈴鹿峠につながっている。
山道は急峻である。江戸時代の殿様は本当に、こんな狭い丸太道を駕籠で登ったのだろ
うか、それとも徒歩で登り降りしたのだろうか。
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| 天然記念物 鏡岩 |
13時11分、峠に着いたが展望はよくない。国道の曲がり具合もよく見えない。
峠の立て札が立っているところは展望ゼロ。滋賀県と三重県の県境になっている。
「田村神社跡に寄るように」とのメモがあったが、そのまま50mほど行くと「三重県
指定天然記念物『鈴鹿山の鏡岩』天下の峻険鈴鹿峠頂上の南方120メートルにあり、岩
石の種類は硅岩。
鏡岩の肌面は縦2、3メートル、横2メートル。むかし峠に住む盗賊が
街道を通る旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたという伝説から俗称『鬼の姿見』とも
いう。平成2年7月 関町教育委員会」と案内板があった。
急ぐ旅でもなしと折り返して南方のけもの道に入る。田村神社跡はすぐ側にあった。
鏡岩は崖っぷちにそそり立っていた。磨けば艶がでるのかも知れないが、とても鏡のよ
うに輝いていたとは考え難い代物であった。
岩の回りをぐるっと廻って見る。
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| 万人講常夜灯 |
東から登っている国道3号線の九十九折の様子がよく見えて、カメラに収める。
峠に戻って西に進むと、下り坂の取っかかりに大きな自然石を組み立てた「万人講常夜
燈」があって綺麗なトイレもある。
トイレを借りて、褌を締めなおし残り69キロ余に備える。
◆土山宿・本陣跡
峠を降りるとトンネルを抜けた国道に合流、すぐそばに「山賊なべ」が営業している。
入ってみると結構お客がいる。
道路が見える席に陣どってチャーハン(スープ付きで700円)を注文する。
後ろにまだ何人かいる筈なので、追い越す人はいないかと注意していたが、1人も来な
かった。13時30分から15分時間を消費した。ちょくちょく寄り道したり休んだりで
時間を浪費しているようだ。引き締めなくては。
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| うかい屋で一休み |
5キロ半ほど国道を走って田村神社(坂上田村麿を祀る)前を左に折れて街道に入る。
江戸の面影が濃い街並みを進んでいると「東海道五十三次遠足お休み処」の立て看板を
見つけて覗いてみると、上品なおばあさんが
「お茶でもどうぞ」と奥の茶台に案内してくれた。
そこには既に出来上がっているお人よしの小父さんが
「まあ1杯飲みましょう」とコップをくれる。
「あと10キロくらいなら飲んでもいいが、まだ60キロ以上も残っているから」と平
に断る。
ここに寄った人達の書き置きを見せてもらったが浅井さん志波さんは一緒に頑張ってい
るようだ。
「腹減ってるだろう。餅を食べなさい。ばあさん餅焼いてやって」と注文している。
「ここはお茶の産地だから美味しいですよ」とお茶のサービス。
「どちらからですか」「福岡です」に小父さんもおばあさんもびっくり。
「お土産を何か・・・」
「雨が降りそうだから軽くて濡れてもいいものがいいですね」と店の中を物色する。
広重の「夜の雪」の小さい額を選ぶ。
「お茶は如何てすか?土山の特産ですよ」と1袋1000円のと800円のを持ってき
てくれる。
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| 土 山 宿 本 陣 跡 |
「福岡にもお茶はあるので・・・」と喉まで出た声を押さえ込む。
「私がプレゼントしよう」と小父さん。どうしても何かくれたいらしい。
海苔を巻いた餅は最高の味。やっと正月が来た感じである。
おばあさんが四角く長い箱を持ってきて
「うちのカレンダーだけと貰って下さい」本当に有り難いことだ。喜んで頂く。
田中さんと浅井さん親子が入ってきた。
小父さんと一緒に1枚、おばあさんと一緒に1枚撮ってもらう。
小父さんやおばあさんにお礼を述べて出発する。
店の名前は「うかい屋」
おばあさんが外まで出て送ってくれる。田中さんが、走り出すところを撮ってくれた。
有り難う。優しいおばあさん、小父さん。もいちどゆっくりと歩いて江戸の面影を偲び
当時の人情そのままのおばあさん達に逢いたいな。
3時3分から25分までお邪魔した。ここでもゆっくりしてしまった。
土山の本陣跡は、すぐ近くだった。
◆水口宿・大岡寺
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| 水 口 名物干瓢 |
残りは62キロ。10時間かかるとて見て、4日の1時か2時に到着の見込みとなる。
とうとう小雨が降りだした。
雨を通しにくいウインドーブレーカーを着ているので小雨程度ならいいのだが。
営業している店を見つけては、合羽を尋ねるが、どこにも置いていない。
街道は国道1号を右に左にしながら、小雨で日暮れが早まって次第に暗くなってきた。
そろそろ大岡寺ではないかと、通りの玄関にいた人に尋ねたら、住宅地図を持ち出して
きて調べてくれた。大岡寺は、まだ2キロくらい先だった。
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| 大岡寺・観世音 |
疲れで時間と距離の感覚が奇怪しくなったらしい。
水口宿の大岡寺山門に到着したのは17時27分。
11キロ余を2時間かかっている。もっと頑張らなくっちゃ。
店を見つけてもどの店も合羽は置いていない。
10分ばかり行ったところのY型の交差点にガラス張りの時計台があった。時計は江戸
時代の物、台には広重の水口「名物干瓢」のレリーフがはめ込まれている。
◆石部宿・真明寺
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| 石部宿・真明寺 |
街道を真っ直ぐ進んで野洲川にぶつかったところに一里塚があり、大常夜燈が雨の中に
聳えていた。
常夜燈の前は水が張られた区画があり屋根付きのベンチも整備されている。立派なトイ
レで小用を足ししばらく休憩する。
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| 石 部 目川ノ里 |
国道に出てすぐのところに開店中の焼肉屋があった。8時24分。
家族連れや若いグループで賑わっている。
焼肉は少々重たい。メシ、キムチ、スープ(各250円)で腹拵えする。
常夜燈で休んで、またここで20分休む。時間の無駄が多いが仕方ないか。
野洲川の横田橋を渡って、また街道に入る。
雨は何時しか止んでいた。
チェックポイントの真明寺の先の大きな右曲がりらしい道があるが、手前に真明寺がな
い。何度も行ったり来たりして調べたが分からない。
通りがかりの自転車の婦人に地図を見せて尋ねたが、地図の上で現在地が分からない。
「石部はこの道を真っ直ぐ行けばいいですよ」というが、道は真っ直ぐでなく右に大き
く曲がり、もう一方は左斜めに折れている。地元の人達はこれを真っ直ぐというらしい。
お礼を述べて先に進んでいると、さっきの婦人が旦那さんの運転で追っ掛けてきて
「案内するから乗りなさい」といってくれる。乗れない事情を話して納得してもらう。
「先に行って探しておきます」とあくまでも親切である。
地元の通り掛かりの人に尋ねてやっと分かった。
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| 草 津 名物立場 |
真明寺は路地の奥であった。芭蕉の句碑は境内にあるのだろう。閉まった門の付近には
見当たらなかった。20時31分。
親切な夫婦にお礼を述べて別れる。街道の住人は人情に溢れている。
ここでも距離を2キロほど間違えたのだった。
◆草津宿・田中本陣跡、追分道標
真明寺の先で道路は大きく右折しており地図の通りである。
再び小雨が落ちてきた。
旧和中散本舗跡を過ぎ、六地蔵を21時17分に通過。
草津までは迷うこともなかった。東海道、中山道追分道標はあったが、草津本陣跡は分
からず、通りがかりの人に聞いても分からずじまいだった。
追分道標をカメラに収めて(22時46分)直角に左折し商店街(本陣通り)の中を歩
く。
◆大津宿・義仲寺門前(芭蕉墓、木曽義仲墓)
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| 瀬 田 川 の 唐 橋 |
琵琶湖までは難しところはなかった。
瀬田の唐橋の東端には、日が変わって0時37分にたどり着く。
予定より大幅に遅れた。
唐橋とはどういう意味があるのかは分からないが、欄干が白い陶器様なものでできてお
り雨に濡れて白く光っていたのが印象に残っている。たもとに常夜燈があった。
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| 大 津 走井茶屋 |
琵琶湖から流れ出ている唯一の川が瀬田川である。
北側の瀬田川大橋の灯が小雨にけぶる湖面に揺れて美しい。
橋を渡って思案の挙げ句、湖畔の道路を選んで北上する。
次第に雨が強くなり、風も強くなってきた。
ウインドーブレーカーも雨を通してびっしょりと濡れてきた。
ガソリンスタンドの屋根の下を借りて地図を見ていると、店員が出てきて
「どこに行くんですか?」
「義仲寺に行きたいんだけど」
「この道をずうっと行くと西武デパートがあるので、そこを左に入ったところです」
と教えてくれた。
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| 義 仲 寺 |
近江大橋の灯も湖面に揺れて情緒的だが、次第に強くなってきた雨には参った。
正面に大きなビルが見えてきた。西武デパートである。
義仲寺の案内板を出ていた。
左に入るとコンビニエンスストアがあり、合羽があった。有り難い。
プリンとアイスステッキを買ってエネルギーを補給する。
合羽が入ってたビニールの袋は地図を入れるのに役に立った。
義仲寺はすぐ側であった。1時40分。
◆逢坂山・逢坂関跡碑、常夜燈
義仲寺の前の通りを真っ直ぐに進んで滋賀県庁の裏通りに出る。大通りにぶつかって左
折して直進すると逢坂の関に出ることになっているが、1つ手前の道を左折してJR大津
駅前の広場に出た。右折して大通りに合流する。道路は逢坂山へと登っていく。
峠には関所跡の碑と常夜燈がある。関所跡を大きく迂回して下る。
山を下りると国道、高速道、旧東海道が交差しており分かり難い。
山科駅の標識を見つけて右を見ると駅は遠い。先程の分かりにくかったところで間違え
て国道を通っているらしい。
◆京都・三条大橋
駅に行くのを止めて近くの24時間営業のうどん屋に入る。
月見うどんを注文、
「公衆電話ない?」と聞くと
「ありません」「近くにない?」「さあ」と取りつく島もない。
月見うどんがきたが、どうも食欲がない。無理して食べたが半分近く残した。
京都のホテルの電話番号がすぐ分かるように地図に書き込む。
店を出てすぐ公衆電話を見つけて京都のホテルに電話をいれて田中さんに山科にいるこ
とを報告する。3時25分。
「何時ごろ着く予定ですか」と聞くから
「2時間後でしょう」と答えると
「あと5キロですよ」という。
「あれっ、9キロじゃないんですか、9キロと思っていた」
「いや5キロですよ」
「じゃあ、1時間で着きます」と電話を切る。
あと2時間の積もりでいたのに1時間で着けるとは、何だか儲けた気分になった。
途中から京阪京津線(市内電車)が道路に沿って通っている。
市内電車に沿って左折したら後は一直線で2キロ。この2キロが長かった。
早くも人が動きだしている。傘を差した和服すがたの女性もいる。こんな時間にこの雨
の中をご苦労さん。
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| 三条大橋に到着 顔が腫れている |
やっとの思いで三条大橋に辿り着く。4時20分。
通りを直進してホテルに向かっていたら、田中さん、越田さん、浅井さん、小森さん達
と出会う。
「皆何処にいくの?」
「見野さんを迎えに、早かったんだね。皆は電話して1時間10分後に到着するので見
計らって出てきたんだけど」
テープをきるところを写真に撮ってくれるなんて夢にも思っていなかった。そこまでし
なくてもいいのに。
「とう一度行かない?」「いいよ、皆も帰ろう」
田中さんがホテルアルファ京都に案内してくれて、他の人達は「すぐ到着する人がいる
から」と三条大橋に行った。
まだ4人残っているという。
ホテルの部屋に着いて、早速ビールをもらったが美味くなかった。弁当もあったが全然
食欲がない。
シャワーを掛かってさっぱりして体を横にしたが、ふくらはぎが、ずきんずきんと疼い
て眠れるような状態ではない。疼く足を揉む力も残っていない。まさに疲労困憊の極みで
ある。
5時頃、戻ってきた阪本さんは、記録表と一口メモを残して帰宅した。今日も出勤する
とのこと。彼女は本当に頑張り屋さんである。
◆打ち上げ会
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| ゴールの三条大橋で記念撮影 |
10時、ゴールになっている三条大橋西詰に集合して記念撮影をする。
宮内さんが駆けつけてくれていた。
近くのベーカリーで打ち上げ会。それぞれが自分で注文して自分で支払う方式の会であ
る。この方法も世話なしでいい。
誰かの差し入れの冷酒が振る舞われる。
アルコールが入って少しずつ食欲も正常になった。
刺し身とか焼きとりなどで乾杯できると最高なんだが。
ある程度、落ちついたところで、一口ずつ挨拶。
「あっちこっらで歩いて延べ80キロは歩きました」と大満足な三輪夫人。
「今回は沼津からの参加で何とか完走できたが、まだ若いのでトレーニングを積んでフ
ルステージに挑戦したい」と小生。
「見野さんが完走の最年長を狙っているようだが、自分もまだ4、5年は走って記録を
守りたい」と自称農民歌人の今坂さん。
今回は、19人が全ステージに挑戦して9人が完走したが、新しく「東海道五十三次遠
足の達人」になった人はいない。達人とは、2回完走した人に与えられる称号である。
吉川さんに「道迷いの達人」を、小生に「転びの達人」の称号を進呈したい。
完走者9人の内4にんが女性でる。
打ち上げ会は早めに解散したので、急いで京都駅にいったら12時12分ののぞみに間
に合ったので切り換えて16時頃には帰宅できた。
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| 酒井さんと自称農民歌人の今坂さん |
中山さんと呼びかけ人の田中さん |
6日間カメラを回しつづけた越田さん |
東西南北駆けある記/
世界駆けある記/
マラソン大会/
ウルトラマラソン
気儘にジョギング/
我らの仲間/
福岡情報あれこれ