◆◆ LASDEC海外研修(カナダ・アメリカ) ◆◆
はじめに
◆夢はカナダに◆
61年10月、地方自治情報センターの海外研修でヨーロッパを訪問したときも、ジョ
ギングの用意をして行き、ロンドン、パリ、コペンハーゲン、ブラッセルの4都市で合計
120キロを走った。
早朝、夕食前、自由行動日などの時間はすべてジョギングに費やした。
テームズ河畔、セーヌ河畔、カメラ片手に走り回り歴史的な建物、公園、橋、風物など
を撮影した。
ブローニュの森で、夜の女ならぬ朝の女に出会ったり、美しい街の化粧前の汚れた素顔
を垣間見たりもした。ごみ一つ落ちていない美しい街とされている、これらヨーロッパの
街も、ネオンの灯が消えてしまった後は、上野の山と変わるところはない。ただ違うとこ
ろは、夜明け前に清掃車が出動して、人が動き出す頃には、もとの美しい街にしているこ
とである。日本では考えられないことである。せいぜい早起きの老人が自分の家の回りを
掃除したり、ときたま奇特な人が公共の場を清掃しているくらいである。
早朝や夕闇の中のジョギングが、見聞録などに書かれていないこと、昼間の観光では気
付かなかったことなど、いろいろな事を教えてくれた。
このようなことが、世界に興味を覚えさせかのか、62年には、タイの首都バンコック
のロイアルマラソンに妻を同伴して参加、63年には、韓国の慶州で開催された世界老壮
マラソンにやはり妻を伴って参加して見聞を広め、多くの友人も得た。
時代は変わり平成元年、再び地方自治情報センターの海外研修に参加する機会を得て、
カナダ、アメリカを訪ねるこにとなった。
研修に参加の申し込みをした後、走り始めてからの通算走行距離が2万キロ近くになっ
ているのに気づいた。このままの調子では、9月の終わりか10月の始めに2万キロを突
破することになる。
「カナダで2万キロを突破することになると素晴らしいな」とロマンチックな気分に浸
ったりしていたが、だんだんと実現させたい欲望にかられてきた。
いろいろと夢をみながら距離を調整しつつ走っていたら、7月半、痛風の発作が出たの
か、右膝が腫れあがり歩くのがやっとという状態になった。医師の最終診断は感染症らし
いということであった。
11日目にやっと1キロを走り、少しずつ距離を伸ばしていった。
8月11日から3日間の九州横断マラソンの参加も覚束ないと心配したが、どうやら参
加できた。
そして2日目、宮崎と熊本の県境からの下りで右膝が痛んだが、包帯を強く巻
いて急場を凌ぎ、3日目はテーピングをして何とか完走した。
全行程の丁度真ん中で4キロを救急車のお世話になっただけで約140キロを走り、
ロッキーで2万キロ達成の夢をつないだ。
膝の痛みはテーピングのお蔭か、奇跡のようにとれて順調にスケジュールを消化した。
10月に入ると、連日のように壮行会が続き、痛風に最も良くないアルコールのとり過
ぎを心配したが、毎日少しずつ積み上げて出発の前日までに19,970キロと30キロ
を残すのみとなった。
事前研修で参加者全員が集まったとき、ジョギングの同好の士を募ったところ、埼玉県
坂戸市の中島氏が同走を申し出てくれた。
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