◆◆ トランスアメリカ・フットレース ◆◆

   ステージラン参加記(ステージ59)

◆月15日(月) 快晴
 8時前、ルート30を西に向かって出発する。
 8時36分、トップランナーと出会う。
60日近く走っているのでヨロヨロではと想像していたが、どうしてどうして、今日が 初日のような元気な足取りで走り去って行く。
 すぐ後ろを若くて大きな青年がマウンテンバイクな追っている。その人はバイクを止め て何やら説明しだした。
徳升さんが対応する。我々をステージランの参加者と気づいてのことだった。
その日のターンシート(行程の詳細を書いたもの)を貰う。
 朝食をとろうとマクドナルドに入ったとき2位の佐藤さんが通過。8時40分。続いて 3位も通過。
何にしようかと物色しているとき4位の海宝さんが通過した。8時54分。

◆マクドナルドで朝食
 店のカウンターの向こうに無線機を携帯し、マイクを装着した相撲とりにしたいような 大きな女性が、注文を奥に通している。大きな女性が多いようだ。
 部厚いハンバーグとチーズを挟んだ大きなハンバーガーが 1.99$。
ハンバーガーは苦手だが、ここはアメリカ。ないものは仕方がない。やっとの思いで平らげる。
 海宝夫人と息子の裕太くんは食料を仕入れてすぐに出て行った。
 ここから皆のあとを追ってスタートしたかったが、海宝さんが先で食事をとるというの で、そこで合流し、スタートすることにした。
 金井さんだけが、ここ(約23マイル地点)からスタート。

◆ステージランのスタート
 9時52分、エイドステーション14で海宝さんが食事をしているのに追いつき、急い で準備をする。
九州横断のTシャツ、灰色の短パン、新品の赤い筋のシューズ(『さくら道260Km ウルトラマラソン』のとき、雨が降っていたにも係わらず200キロまで豆が出来なかった シューズ、アシックスのターサーcx−αを2足購入し、他と併せて4足を持参)被いの 付いた帽子、右膝にややきつ目のサポータ、ウエストバッグには筋肉の痛みによく効く バンテリン、ノート、ボールペンなどを入れて、小型のバッグにカメラも入れる。
海宝さんの家族、小野さん親子(海宝さんをサポートするため8月12日から参加)に 挨拶して阪本さんと一緒に海宝さんの後を追ったが、たちまち引き離されてしまう。とて も60日近く走った人とは思えない元気である。
 エイドステーションは、2マイル毎に設けられており、路面左端に大きな×印と距離が マイルで書かれており、大きなボトルが2本と板チョコみたいな非常食が数個が置かれて いる。
ボトルの1本は水、1本はゲータロードである。気を付ければかなり遠くから見つ けることができる。
 クルーによるサポートは、このエイドステーションの前後400mに限られているとの こと。
アメリカでは車は右側通行であるが、今回はランナーの安全を考慮して左側の白線 の外を走ることになっている。
 ステージランナーは、レースランナーにくっついて走ってはならず、200m以上の距 離をとること、先に出るときは速やかに追い越してしまうことなどレースランナーの心を 乱さないように配慮するよう決められている。

 道路の白線から左側の路肩は狭く2人並んでは走れないところもあり、舗道が剥げて砂 利道になっているところもある。大型車も多く、あまり走りやすい環境とはいえない。
 エイドステーション17で金井さんを待って3人一緒に走ることにする。
 金井さんは、5位のダンテさんを追って間もなくやって来た。
ダンテさんは歩きながら給水し、濡れたタオルで顔や首筋を拭きながら通過して行った。
 我々3人は、すぐ後を追って一時は追い抜きそうになったが、次第に離されてしまう。

◆「風と共に去りぬ」の舞台
 広々とした高原地帯、しかし遠くの山々は僅かに樹々の上に垣間見える程度。
 広々とした芝生の中に、 防風樹に囲まれた住宅が建っているが、塀や垣根はない。
 中にはバンビや小人などの像を置いて楽しい雰囲気を作っているところもある。
 郵便受けが道路際に、それも数軒分まとめて立っているのは、日本では見られない風景 である。
日本では、どんな田舎の1軒屋にも玄関脇に郵便受けがあり、郵便屋さんが苦労 して配達しているのが現状だが・・・
 眺めのいいところでは写真を撮ったりと余裕たっぷり。
エイドステーション間を21、2分で走っているが、休憩が長いので全体的にスロー ペースである。
 制限時間は、その日の走行距離にたいして2マイル当たり34.3分の計算。
 ステージ59は、47.05マイル。
制限時間(カットオフタイム)は13時間27分。5時スタートだから、午後6時27 分が門限ということになる。
 13時40分、南北戦争激戦地跡に到着。
リンカーンの騎馬像や大砲をバックに記念撮をしたりしてゆっくりしていると、小野さんの 子供が走って行った。我々は慌てて後を追う。
道路脇や交差点のあちこちに記念碑や記念像が建っている。「風と共に去りぬ」の舞台である。
 街角にもあちこちに兵士の像や石碑が建っていた。

 14時18分、相前後してフレンドシップの広場に設けられたマラソンゲートに飛び込む。
 ゴールには、大きな脚立を2本立てて間に垂れ幕を張ったゲートがあり、スポンサーで あるムーンバットの若い社員たちが脚立の脚などを棒で叩いて歓声を上げて出迎えてくれた。 その仰々しさには参ったが、やはり感慨深いものがある。
 ステージ59の全走行距離は47.05マイル。
阪本さんと小生は28マイル地点からスタートしたので19.05マイル(30.7キロ) 走ったことになる。
金井さんは23マイル地点からのスタートだったので38.7キロ。

 海宝さんがアイシングをしている。ポリバケツの氷水に両足を入れて20分〜30分我 慢していると痺れるが、筋肉が柔らかくなって疲れが残らないそうである。
 海宝さんの部屋を訪れて、福岡から買っていったカップラーメン、真空パックの御飯、 カップ味噌汁、各種ふりかけ等をお土産がわりに進呈した。
小野さん親子も一緒になっていろいろ話を聞いた。
 19時、全員揃ってのミーティング。マウンティンバイクに乗っていた人(ジェシー) が当日の成績を発表すると、ムーンバットの若い人達が、
 「ウーーーン、○○GO」(○○にはランナーの名前が入る)
 「エーーーイ、ムーンバットGO」と囃子立てる。
頃合をみてランナーが大きな身振りで制止するまで囃子立てる。愉快な人達である。
 我々も紹介され、その都度
 「ウーーーン、○○GO」
 「エーーーイ、ムーンバットGO」と囃子立てる。賑やかなこと。

 総合1位は、ハンガリーのイステバンさん。
 2位はニューメキシコのダンテさん。
 3位は日本の海宝さんは、失業して時間が自由になったのをチャンスとばかりに参加。
今年のゴールデンウイークに開催された『さくら道260Kmウルトラマラソン』の呼び 掛け人。
 4位はアメリカ在住の佐藤さん。家業を継ぐため帰国するに当たって記念に残ることを したいとトランスアメリカ・フットレースに参加した。
 5位はハワイ出身のカビカさん。髪の毛ぼうぼう、髭もじゃもじゃ、その髭の先にリボ ンを結んだ変わり種。
4位の佐藤さんと5位のカビカさんは熾烈な競争を展開。その差が46分に縮まったと のこと。
 ミーティングの後、それぞれが思いおもいに夕食をとる。
 小野さん親子に我々3人、それに応援に駆けつけた相良さん(萩往還で一緒だった)も 海宝さんと一緒に焼き肉で御飯の御馳走になる。
 相良さんは、膝の手術をして走れないというのにわざわさ応援に駆けつけたという。
 明日は帰国するというので、手製の祝完走の大きな垂れ幕を小野さんに託していた。

 海宝さんや関さんから聞いた苦労話などをまとめると次のようになる。
・スタートして1週間後にアキレス腱を傷め回復するのに2週間を要した。
・砂漠では食当たりが多数出た。せいろ丸が効いた。
・ステージ20(7月7日)には早くも5人になっていた。
・豆ができたが特効薬で治した。(足の裏を拝見したが、豆の跡もなく常人と変わらぬ 柔らかく美しかった)
・砂漠の中を20日間も走った。走っても走っても同じ風景には参った。
・下痢でリタイアした人も多い。レストランの自家製の氷があたった。
・駅のプラットホームに寝たこともある。
・砂漠を通過するときの気象台発表は125度F(52度C)であったが路面は140 度F(60度C)を超えていた。
・ステージ27〜35の間は、同じ雰囲気でアップダウンが続いた。
・ダンテ(アメリカ)は、足を捻挫したがサポータを巻いて頑張った。
・マウンティンバイクに乗って先導役を勤めているのは、第1回目からマイケル・ケニー さんと共にレースディレクターを勤めているジェシー・ライリーさんである。

ステージラン参加記(ステージ60)に続きます



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