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激しい雨 <1> 第一話 驟雨 激しい雨が叩き付ける泥道を右へ左へと大きく避けながら、彦島八郎が走っている。 蓑傘を着けていても、殆ど素通しの雨を小袖を通して肌に感じる。 ここ筑前国の暑い夏は長く、気持ちの良い秋は短い。 その秋を奪うように、夕方から降り始めた雨は、次第に勢いを増し地面を叩きつけるように降りだした。 濡れた帯に挟んでいる大小が体の揺れに合わせてぎしぎしと音を立てている。 左手で大刀を押え八郎は走りながら、町奉行から急ぎの呼び出しを受けた時の期待に似た武者震いを思い出した。 顔の飛沫を拭い、城下のはずれから既に四半刻も走り、漸く大手門が見える所まで来た。 町奉行の渡辺伊兵衛の屋敷はその手前の路地を左に曲がり3軒目の黒い長屋門のある大きなものである。 この辺りは藩の重職や上士のお屋敷が多い。 八郎は門の少し前から息を整え,くぐり戸の戸を強く叩いた。 「お願いします。お奉行からのお呼び出しで参りました彦島八郎でございます。ご開門願います」 すると待っていたかのように門番が戸を開く。 「お待ちしていました。大変でございますね。いま少し乾かしてお上がり下さい」 門番は濯ぎと共に手ぬぐいを数枚を持ってきて、丁寧に拭いてくれる。 「お奉行がお待ちです」 奥から出てきた若党が案内する。 前に一度お奉行にお会いした時は、中庭のある縁側であったのだが、今日は奥座敷に案内されるようである。 時々袴の裾からまだ水が滴るのが気になり、そう言うと 「構いません。そのままどうぞ」 と言う。やはり水の滴りは気になるが、この調子だと悪い話ではなさそうだ。 「やあ八郎、雨の中を呼び立ててすまなかった。まあ、楽にしてくれ。今お茶を入れる。」 「いえ、お奉行様、お構いなく」 「ときにご妻女は元気かな」 「はい、お蔭様で」 奉行は部屋にせかせかとした様子で入ると世間話を続けて、なかなか用件に入らない。 町奉行の渡辺伊兵衛はご城代の姻戚にあたり、温厚篤実な人物と言われている。 女中がお茶と菓子を捧げて、八郎の前に置く。 「実はのう、困った事が起きて、八郎に相談したいのだが」 女中が下がり、熱いお茶に手を出したときに、待っていたように用件を切り出した。 「ご城代の国崎様のご次男の英樹殿のことじゃが、知っておるか?」 「お目にかかった事は有りませんが、英倫館の秀才だったと存じていますが」 「そのとおりじゃが、実は英樹殿のことだが、先年より小納戸御用としてご出仕されておったのだが、殿の命により隣国春日藩の奥方様のご病気見舞いに行かれたのじゃ。お役目を無事に終えた後で、ご城下でとんだ災難に会われてのう」 しばらくお奉行の話しが続いて、気がつくと外は既に暗くなり行燈に灯が入った。 「と言う訳で、八郎に骨を折って貰いたい。しかも英樹殿に傷がつかないようにな。無理を言うようだが、これはお主しか出来ないと思うでの」 お奉行はすこし貧相に見える体を精一杯大きくして八郎を持ち上げることを忘れなかった。 「はっ、承知しました。しかしお勤めについてはどのようにすればよいので」 「うん、それはわしから組頭の秀村弦之丞に伝えておくから直ぐに春日に行って貰いたい。おう、済まん。腹が減ったろう。今茶漬けなど出すから待っていてくれ」 手を叩いて、人を呼ぶと待つまもなくお膳が出てきた。 茶漬けと言いながら出て来たものは八郎が普段食せないものばかりである。 食事を頂き、再び濡れた蓑をつけ、外に出ると既に真っ暗になっており、激しい雨が横殴りに叩き付けてくる。 門番に送られ暗闇の中を、家を目指して八郎は又走る。 八郎の屋敷は城下の外れの風師山の麓に茅葺き屋根の家を構えており、山裾の畑で家計を補う下級武士の住居である。 八郎の妻女は普請方の原野彦九郎の娘であり黙って貧しい家計を遣り繰りしている。 八郎は家に着くと、出迎えた妻女に濯ぎをまかせながら、お奉行が話されたことを考えていた。 「一体、どうしたら良いのかのう」 「どうなされました。何か悪いお話でも」 「いや、独り言じゃ。それより湯なとくれ」 熱い湯を啜りながら、再び英樹様のことを考える。 しかし畳の上に大の字になり寝ると、考えが止まって眠気が襲ってくる。 「ええい、とに角、春日までいってみよう。何とか思案できるじゃろう」 こうした訳で、明くる朝妻女に送られて、自宅を出た。 八郎は普請方下詰めであった彦島徳松の長男である。 既に徳松が亡くなり、跡を継いで四年、妻を迎えて三年になる。 八郎という名前は、徳松の性格から付けている。 即ち時に当たり、えーいとばかり、思い切った策を取るから、一か八かの徳松と言われ、本人もその気になり、生まれた嫡男に八郎と名付けたのである。 従ってというより、八郎も当然のように、いい加減のところがある。 このような 英樹様の危機にあたり、お奉行さまが八郎を指名したのは、剣の腕とともに、尋常な手段では難しいと判断したのか、それとも八郎の性格をご存じなく、前に一度お奉行の私的な用事を果たしただけの縁からかも知れない。 先日の藩の剣術試合での腕を見て、八郎を思い出したのだろう。 「お奉行様は大変な人選をしたものだ」 独り言を言いながら、隣国への長府街道を早足で歩く。 藁がすこし解けて来て草鞋の紐が左右に揺れて、砂埃りを上げ袴の裾を白くしている。 街道より田畑に続く道を通り過ぎ、あたり一面黄金色に染まった稲穂を見ながら春日藩に入る。 春日藩は冨田美濃守様四万七千石の城下町である。 八郎の殿様長門守様とはほぼ石高も近く、従五位の下、雁の間詰である。 元々は不仲であったが、先代の河内守様が長門守様の妹君を美濃守様と娶わせてから、現在はしこりもなく親類付き合いをしている。 そこで美濃守様の奥方様の病気見舞いに英樹様が行かれ、無事にお役目を果たしたまでは良かったのだが、英樹様は安心されたのであろうか、城下で災難に遭われたのである。 八郎は早速城下の仙崎屋を尋ねてみた。 仙崎屋は古手、小間物を扱う店で大坂あたりから仕入れてくる古着などを城下で売り、かなり繁盛している店であるが、ここの番頭がその時のことを一部始終見ていたとお奉行が話されていたので尋ねたのである。 「はい。私がお得意様からの帰りに、地蔵堂のところで何やら騒がしいので覗いて見ますと若いお武家様と娘さんがおりまして、娘さんが大きい声で叫んでおりましてお武家様が娘さんを抱いているように見受けられました。 私は関わり合いになりたくないのでそっと逃げようとしていました所、娘さんが私を見つけて助けてと申しますし、それからお武家様も私を見て又お呼びになりましたので、覚悟を決めて恐る恐る近づきますと、突然娘さんがこのお武家様が・・と突然私に泣きついてきましたので。はい」 「何があったのだと申しているのだ」 「はい、娘さんの申すには、地蔵堂を通りかかった時、後ろから突然お侍様が私に襲いかかり、乱暴されかかりましたが、人が来るのが見えたので大声を出したそうです。」 「それでは何もなかったのに何故このように大きくなったのだ」 「その時丁度藩のお目付様が通りかかり、訳を聞かれ、三人ともお役所に連れて行かれましたので、はい」 「お前は名乗ったのだな」 「はい、お目付様に聞かれましたので」 「若い侍は何か言ってなかったか」 「はい、違う、拙者は何もしていない。女が突然抱きついて来ただけだと叫んでおられました」 「お前はどう思う?」 「いえ、私には解りません。でも、娘さんがお侍様に突然抱きついてくるものでしょうか」 「お前も呼び出されたのだな」 「はい、見たままを申し上げました」 「それからどうなったのだ」 「はい、詳しくは存じませんでしたが、何でもどこかの藩の偉いお侍様だとかで直ぐに、お放ちになりましたようだと聞いておりますが」 「女はどうした」 「私にはわかりません」 「すまん、時間を取らせた」 丁寧な言葉を使っている番頭の方が八郎より数段いい物を着ており、顔色もいい。 「さあて、やはり、女にも会うか」 八郎は、番頭から聞いていた女の家を探し尋ねる。 城下の通りから曲がりくねった路地を入った所にある長屋である。 「お役人様に申し上げた通りです。あの若いお侍様が突然襲いかかって来ましたのですよ。 殺されるかと思いましたが、番頭さんが通りかかって、助かりましたよ」 千代という女は二十を少し超えたくらいであろうか、思ってたより美人である。 目がきらきらとしてじっと見ていると何となく吸い込まれるような女であるがすこし蓮っ葉な話し方をする。 町人の娘がこのような口調でしゃべるのが普通なのか八郎は知らない。 八郎の妻女は武家の言葉を使うし、ご領内の百姓の言葉とも違う。 また、ご領内の中州にも二度しか足を踏み入れていないが、そこの女とも雰囲気が違う。 「これじゃ、英樹様が迷われるのも無理ないわ」 と思ったが八郎は急に千代に渋面をして見せた。 「これ、おんな、あの方はそのような事をなさる人ではないわ、間違いではないか」 「違いますよ、私が地蔵堂の側を通りました時に、後ろから落ち葉を踏む音が聞こえましたので振り向きましたら、あのお侍が急に私の後ろから抱きついて来て、そのまま押し倒されそうになりましたが、誰かが来るのが見えたので、助けてと言いましたら今度はあの人が急に許せと言うじゃありませんか。そしてあの番頭さんですか、あの人に話していたら藩のお目付とかいう人が通りかかり、お役所に連れて行かれたのですよ。」 < とんだ 八郎 >
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