激しい雨 <2>

「お侍だからといって、あんなことして直ぐお放ちになるなんて、そんなことがあっていいのですか」

千代という女は番頭が来て助かったからか、それとも生来淡白なのか言葉はきついが、顔はそう怒ってないように見えた。
八郎はそれでもなお、細かく説明させたが、番頭の言った事と矛盾はない。
今回の事件は春日藩からは今のところ何も申し入れはない。
この事件は英樹様が帰られた後、父であるご城代に正直に申し上げたものであり、ご城代が姻戚にある町奉行に事実を調査するようにお頼みされたものである。
町奉行はくれぐれも内密に調べるように念を押し、英樹様に傷がつかないように念じられておられた。
ご領内は二年続く凶作と、長年の江戸屋敷での浪費がたたりご城代が中心となり長門守さまの奥方様の費用を削り、ご家中の侍からは借り上げを実施しており、財政難の折りから家中一同も解っているのだが、やはり怨嗟の声が出てくるのは仕方ない事だろう。
そのためご城代は特にご自身の身を律することに随分と気をつけておられるとお奉行は申されていた。
だからこそ、事実を調べるという使命はお前しかいないのだぞと言われた時のお奉行の顔を思い出して八郎はぶるぶると顔を震わせた。

「さて、これからどうしょう。お目付様に会うべきだろうか」

背中に背負った袋から朝、妻女が作ってくれたおにぎりの残りを竹筒の水で流し込み地蔵堂の中に入り込み、袋を枕に一夜を明かすことにした。
実はお奉行からは思いもかけない金子を頂戴したのだが、十石三人扶持の家を守って愚痴も言わない妻女に少しでも渡せればと思い、野宿することにしたのである。
晩秋のことで朝夕はかなり冷え込みが激しく八郎はかなり寒い思いをして夜を明かした。

そして夜明けを待ちかねたように起きて、日の当たる場所に座り思案を始めた。

「やはり、魔がさしたんじゃろうか」

「他に見ていた者はいないし、後はお目付かあ、せっかく隠してくれた方にお聞きするのに、お奉行の命令で来たと言えば藩の正式なものだから、目付けとしても隠して置けないだろうし、そうでないとすれば隣国の下っ端侍が聞いても知らぬと言われそうだし、どうしたらいいのやら」

「お奉行がわしを選びなすったのは何故だろう。そもそもこんなお調べは本来お目付役所の横目の筈だし、さもなくばお奉行所の同心の仕事だ。そうすると何でわしなんだろう」

八郎は僅かに残っている竹筒から音を立てて水を飲むと思い切って立ち上がった。
それから英樹様を調べたという目付の屋敷を探し二十間位離れた所からじっと門を見守っていた。

半刻近くたったと思われる頃、漸く足軽に荷物を持たせた中年の武士が門内から出て来た。

「あの人がお目付様か。よし何とかなるだろう」

八郎はかなり離れて目付の後藤伴内の後を付け始めた。
お城の中に入るのを見届けた後、八郎は門番に近づいた。

「今、入られた後藤様は立派な方ですな。一度お世話になったことがありましてな」

「はい、お目付様として、ご評判が高い方ですよ。ところでどちら様で」

「いや、旅の者だが、いいんだ」

八郎は門番が目付を呼び戻すことを恐れて慌てて離れた。

「いや、お主の話はよく分かった。じゃが、酒に酔って戯れたのじゃろう。まあ、何にもなかったのだし、そっとしておいてはどうだ」

「お調べでは、酒に酔いなすっていたのでございますか」

「いや、ご身分を聞いて、これはそっとしておいた方が良いと思って直ぐにお帰り頂いた。
女にも良く言い聞かせて、すぐ引き取って頂いたので酒を飲んでいたかどうかは解らない。只、そのようにしておく事も大事ではないかな」


「暖かいご配慮、身にしみて有り難くお礼申し上げます」

「聞けば、かの人はお主の恩人だそうだが、優しいことよの」

「これで安心して帰れます。このような時間に押しかけましたご無礼にもかかりませず有り難うございました」

「うん、気をつけて帰れ」

暫くして、十六夜の長府街道を早足で帰る八郎の姿が見える。
あの目付の態度では春日藩においても問題になる事もないだろう。
また、あの女や番頭にしても此方の身分を知らないようだ。
お目付はあのような人品骨柄で信用できる。

「まあ、多少の酒にでも酔っていたとしか考えられないな。それにしても公になることはないだろう。
これで、英樹様もご安心だろう。只、お目付様にお会いするのに命の恩人の危難に見かねて来たといったので、うまく会えたのだが、嘘を言って騙してしまったな」


「お役目の上で、失敗し放逐ものをご城代にとりなして頂いただと、まあ、冷や汗ものだったな」

八郎は完全な疑いは晴らせないまでも事態が収集しそうなので、これ以上聞きまわる事は得策でないとし帰途についた。
目付の後藤伴内にもとっぴな作り事で近づいたのも、考えた末だったのである。町奉行所の同心では雰囲気ですぐばれる。
手の荒れた普請方なので信用されたのかもしれない。
帰藩すると直ちに、町奉行の屋敷を尋ねると、まだ帰宅されていないので、玄関脇の部屋で待たせてもらっていると程なく、供の声が聞こえ、お奉行が帰って来られた。

「おお、八郎か、ご苦労だったな。首尾はどうじゃ」

お奉行は帰宅するなり、羽織袴を脱ぎ妻女に預けながらせわしげに質問する。

「はっ、正直申し上げて、英樹様のご災難につき真偽のほどは解りかねますが、ご安堵頂けるものと思われます」

八郎は千代に会った事、番頭の見た事などを報告し、最後に目付の後藤様とのやり取りを詳しく申し上げた。

「そうか、目付殿にも会ったか。すると前にわしがそなたに話した事と少し違うの。
英樹様のお話では、地蔵堂の側で女が苦しそうにしていたので、どうしたのかと近づいた所、女がしなだれかかってきたので、途方にくれている時に、女が急に助けてと叫び出したとの事じゃったがのう。やはりそのような事があったのかのう」


「はい、番頭の言うには確かにお武家様が両手で女を抱いていたのを見たとのことです」

「そうか、しかし、まあ、そんなものじゃろう。目付がそのようにいうのなら、このまま収まるじゃろうて。
とにかくご苦労であった。早く帰るが良い」


二日後、八郎が普請先の現場から役所に帰ると同輩がひそひそと話している。

「何事があったんか」

「おお、彦島うじ、聞いたか、ご城代の嫡男英樹様が亡くなられたそうだ」

「なんだって、いつだ、何故だ」

「いや、何故かは知らないが今朝だそうだ」

八郎は急いで、町奉行所に行き、下役にお奉行にお会いしたいと伝えるが、今、お奉行は忙しい、邪魔だと追い返される。
それから、暫くは仕事も手につかず、同輩からも不審がられるが、八郎はうつむいて思案をしていた。
同輩は先日の八郎の件は風邪で休んでいると聞かされているので誰も知らない。
どう思案しても、ご病気だったとは思えないし、又、あの件で藩からお咎めがある筈がないし、自刃したとは到底思えない。
退出の刻限とともに八郎は、大手町側のお奉行の屋敷が見える所に佇んでいた。
本来なら同じ刻限に退出される筈の町奉行の帰りを待とうということなのだが、一刻あまり待っても姿が見えない。
日も暮れてあたりが暗くなり始めた頃、漸く提灯の明かりが近づき、お奉行が帰ってこられた。

「お奉行様、彦島八郎でございます」

「おお、八郎か、うん、わしも話がある。一緒に入れ」

この度も覚えのある部屋に通されて、待つ間も無く、お奉行様が入ってこられ、

「今朝、ご城代より、嫡男英樹殿が自刃したと言われた。武士として恥ずべきことをした。責任を取るとの遺書があったそうだ」

まだ、袴もとらず、刀を預けただけで厳しい口調で言う。

「武士として恥ずべきこととは、あの事でございますか」

「そのようだ。他には何も考えられないとご城代は申されている」

「そんなこと、まさか、何かお咎めでもありましたので」

「いや、何もない。あの後、ご城代にはそなたの調べたことをお話しし、この件はうまく落着致しましたとご報告申し上げていたのだが」

「それでは何故でしょう。ご城代が英樹様をご叱責されたのでしょうか」

「いや、それもない。ご城代は英樹殿にあの件は片付いたとだけ言われたらしい」

「それでは何故ですか」

「わからん、が、やはりお役目が無事に済んで、魔がさされたのを恥じられたのかのう」

「しかし、英樹様は女の方が突然抱き着いて来たと説明されていたのでございましょう」

「うん、そうだが英樹殿が女を抱いていたという証人もおり、事は顕われなかったもののやはりあの事を春日藩の目付やわし達にも知られたという事で恥じられたのではないか」

「それにしても、解決されていますのに何故なのか解りません」

「しかし、この事は決して他言はならんぞ」

お奉行は急に恐い顔をして八郎に釘をさすのを忘れなかった。
若党が貸してくれるという提灯を断り、お屋敷を出て、自宅へと歩く歩幅も小さくなり、頭を垂れながら八郎は考えるが、どうしても納得がいかない。

「英樹様は本当は女に襲いかかったのかもしれない。番頭や女の証言ではどうしてもそうなる。だけどばれる心配はない。
多分、事が顕われたらという事で責任を取られたのだろう。
しかし、もし英樹様が自らご報告なさったように英樹様のおっしゃる事が正しければ、無実なのだし、事は公にもなっていないし、自刃される必要もない。」


しかし、八郎は呟く、それなら何故腹を切られたのだ。わからん。
その日から数日間は、普請方でもご病気だの自栽だの噂がひそひそとあったが、八郎はこの話に加わらなかった。
そして、暫くしてご城代の嫡男が病気でお亡くなりになったと発表があった。
一月の後、掛かりきりだった舟番所の港の石打ち工事が終わり、二日のお休みを頂いた八郎は再び、春日藩へと向かった。
隣国と言えど藩からの正式な許可がないと出られないのであるが、町奉行に許可を貰うわけには行かなかった。


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