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激しい雨 <3> 町奉行からはもう、この件については、他言をするなと言われており、八郎がこの件を蒸し返す事には到底お許しが出ないだろう。 その為には思い切って町人姿になり領外に出るしかないのだ。 幸い服装は普請方なのでそのままで小倉袴を外し大小を取り髷と鬢に残る剣術だこを隠すために蓑傘を深くかぶり急いで隣国に向かった。 街道を過ぎ既に刈り取りが大部分終わった田を見ながら、見覚えのある地蔵堂まで着いた。 今回の旅は目的があってきた訳ではない。 どう考えても既に結論がでており、自栽という結果に終わっている。したがって春日に来てどうなるものでもない。 八郎は居たたまれなかったに過ぎないのだ。 もし、見つかれば脱藩とも取られる隣国への入国を侵しながら、何の目的を持っていない。 あえて言えば八郎の調査の結果が英樹様を死に追い込んでしまったという悔恨から何かをせねばと思った為かもしれない。 兎に角、目的の地蔵堂まで来た。 そこで、八郎は手を合わせ一礼すると石段に座り、風に吹かれ落ち葉が裏返りくるくる回りながら道の隅まで飛ばされるのをただじっと見ていた。 暫くして思い出したように背おっていた風呂敷き包の中からお握りを取り出し、ゆっくりと食べ始めた。 それから一刻ばかりそのままじっとしていて、やおら帰国するべく腰を上げた時に、通りかかった町人と顔を会わせた。 八郎は直ぐにあの時の番頭だと気づいたが、少しの驚きの表情があの番頭にも伝わったのだろう。直ぐに八郎を認めたようだ。 「おや、あの時のお侍さまではないですか。今日はお姿が変わっているので見違えました。 どうかなされたので」 不審な顔で問われ、八郎も最早隠せぬと覚悟を決めた。 「いや、あの件でもう一度お調べをと思ってな。丁度良かった。今一度話してくれぬか」 八郎は思ってもいなかった言葉がすらすらと出てくるのに自分でも驚きながら聞いた。 「どのようなことでしょう、あの時は確かに見たことをそのまま申し上げました。お侍様の手がしっかり娘さんを抱いておりましたが」 再び聞く事も番頭は淀みなく答え、前のお調べと寸分も狂いがない。 「そうか、足を止めて済まなかった」 「あの時のお侍様はどうなすったので」 「勿論、藩からは厳正に処罰されるだろう」 「そうでございますか、大変でござますね。それではご無礼を」 と帰りかけて 「そうそう、お侍様、あの時の娘さんは何でも嫁入りが駄目になったそうでございますよ」 「なに、嫁入りが決まっていたのか、それは気の毒にのう」 番頭が荷物を背負い、再びお店に帰るのを見送っていた八郎はふと気づいた。 「ちょっと待ってくれ。あの時の事が何故相手に知られたのだ。お前が言ったのか?」 「いえ、あの時は、お役人様にそのまま連れて行かれ、又,決して公言してはならぬぞと言われましたので、誰にも言ってません。はい」 「あの目付殿が言うはずはないし、女が自分で嫁入り先に言うはずがないし、又、言ったとしても手篭にされた訳でもないので、問題になる筈がないではないか」 「そうで御座いますね。確かにおかしいですね。何故でしょうね」 番頭は引き返してきて、八郎の前に立ち、問いかけてきた。 「もう一度あの千代とか申した女をお調べになすっては?」 番頭は八郎があの事を調べ直しに来たのだとすっかり信じているようだ。 「しかし、わしが聞いても話してくれるかのう」 「そうですね。難しいかもしれませんね。もし、良ければ私がちょっと聞いてみましょうか?」 「そうしてくれるか。申し遅れたが、彦島八郎と申すものだ。よろしく頼む」 「はい。彦島様、明日まではいらっしゃいますか?」 こうして、思いがけないことから、喜助という番頭が千代に会ってくれることになり翌日の約束をした。 空は曇りで、真っ暗な夜だった。ほかには人はおろか、犬一匹の気配すらない街道だった。 その夜も八郎はお堂の中に入り横になったが、初冬も近づいており冷たい風が隙間から入り震えていたが、疲れのせいか何時しか眠りに入った。 明くる日、自分のくしゃみで目覚めた八郎は約束の刻限がくるのを所在もなさげに歩きながら待ち続けていた。 日帰りの予定であつたので、弁当もなく寒さとひもじさで一刻一刻が長く感じられた。 約束の刻限を過ぎたが喜助の姿は見えない。 飢えと寒さで爆発の寸前に街道を急いでくる喜助の姿が見えた時、不思議に怒りが消えていった。 「おお、喜助さん、すまなかった」 今はもう、良い結果を期待するより、刻限に会う事だけが目的となっていた八郎は笑顔で喜助を迎えた 「申し訳ありません。遅くなりました。実は思いがけない事に」 喜助がそれから話した事は、八郎にとって以外な事実だった。 やはり英樹様の説明は正しかったのだ。 千代という女は急な差込で地蔵堂の石段で休んでいたところ、背の高い凛々しい若侍がどうしたのだと近づいてきたので、もう殆ど痛みも治まっていたのだが痛い振りをしてお侍に抱きついたところ、若侍も両手を回してくれたそうだ。 所が、その時に見覚えのある番頭さんがこちらを見ているのに気づいたので、声を上げたのだそうだ。 「何故、女は声を上げたのだ。それとそなたは声がしたので気づいたのではないか」 「はい、私は気づいていなかったのですが、見られたと思ったようです。 それとあの娘さんには、嫁入りが決まっていたので、急に恐くなって襲われたふりをしたそうです」 「とんでもない奴だ。しかし、何故、今ごろそのような事を言うのだ」 「それは、嫁入り話がなくなったからどうでも良くなったからですよ」 「なるほど、じゃが、おかしいではないか。何故嫁入りがなくなったのだ」 「それがですよ。彦島様、あのおなごの奴、又やったのでございますよ。 別の男と逢い引きしている所をよりによって相手の男に見られたのだそうですよ」 「なるほど、それですべて解ったが、あの方にはとんだ災難だった」 「私も見たままを申し上げましたが、大きな声が聞こえてからしか見ていませんので、申し訳ありませんでした」 「いや、お前のお陰で、よく分かった。」 「それでは、あのお侍様はお咎めはなくなるのですね」 「さよう、そうなるだろう。すまなかった。礼を言う」 こうして、八郎は帰国の途についたが、腹の中では怒りで一杯である。 「畜生、あの女殺してやりたいが、殺るとわしの犯行だと目付にばれる。するとお奉行様に迷惑がかかるし」 「何で、あの時あの女をもっと締め上げなかったんだ。お調べ不足は明白だ。英樹様が亡くなったのはわしのせいだ」 少しづつ暗くなり、雨が落ちてきた街道を急ぎながら、八郎は声を出して 「わしのせいだ」 と言いつづけていた。 まだ日暮れには間があるが雨音と同時に俄かにかき曇り雨粒が大きくなってきた。 蓑を用意していない八郎の古い木綿の小袖は役に立たず滝に打たれているように痛い。 天が八郎のお調べ不足に鞭うっているかのように思えた。 それでも八郎は驟雨の中で大声を出す。 「貴方様のご報告は正しかった。それでは何故自刃されましたので」 まるで暗い道筋に英樹様がおられるように八郎は答う。 「私が事実を見つけられなかったから、あきらめられたのですか。貴方様は正直にご城代に報告された。だからご自分で正しいと信じていれば腹を召されなくても、堂々としていれば良かったのではないですか」 更に強くなる雨を体一杯に受けながら八郎は走る。 そしてこの事を町奉行にどう説明するか考えていた。 「やはり、喜助に調べて貰って良かった。わしではしゃべらんだろう。そんな事を聞けばその場を去らず刀を抜いていただろうからな。 報告すればお奉行はお喜びになるだろう。 それともお調べの間違いで英樹様が自刃されたから、脱藩の罪で詰め腹を切らされるかな」 領内に入っても、誰も誰何するものもなく、無事に帰藩した。 風師山が闇夜におぼろげに浮んできて八郎は屋敷に帰り着いた。 家に帰ると前夜帰らなかった八郎を案じていた妻女が安堵の顔をはっきりと見せて、大刀を預かると大急ぎで濯ぎを取り、濡れた小袖を脱がす。 「おや、まあ、ずぶ濡れで、お体もこんなに冷たくなって。今すぐに熱い汁などお持ちしますよ」 このところ沈みがちだった八郎に妻女は何も聞かず、用意していた熱い芋汁を素早く卓袱台に置いて、熱い湯で絞った手拭いで八郎の冷え切った背中を拭いている。 走っていたときには感じなかった震えが急いで顕われ、そして少しずつ消えていった。 それと共に、女が抱きついて来た時,手篭にしようとしたのではないと言いながら、思わず英樹様も両手を回して抱いてしまったことで、自分自身を許せなかったのではないかと八郎は思いたった。 それに比べれば八郎は目付にも、番頭にも嘘を言って騙した。 そして、今度は町奉行にも、妻女にも黙って動いた。 「まあ、人それぞれだ」 この事について、八郎は自分一人の胸に収めることにした。 「これで良いのだ」 まだ、驟雨の中でしゃべっているかの如く大声を出す八郎を怪訝そうな顔で妻女が見つめ続けている。 < とんだ 八郎 >
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