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遭難 <1> 「今、何時ごろかなあ」 中畑達夫が不安そうな声を出している。 「え〜と、十二時ですよ。」 私は答える。 とにかく寒い。何か燃えるものはないかとの問いにもうないと答える。 燃えるものはすべて燃やして暖を取ってしまったのだがポケットの中には千円札を握りしめている。 山村俊郎がヤッケの中からハイライトを出してマッチを擦るとシュッという音とともに大きな炎が暗闇の中にぼおーっと浮かぶ。 「ふう〜」 という声と同時に 山村俊郎のいるあたりから、小さな赤い灯が見える。 「山村さん、あまり吸わないでよ」 「分かってま〜す」 特有の少し高い声で答える。 「少し貸してください。」 「いいよ」 小さな赤い火が私の両手の中に点る。 「ああ〜、暖かい。天国、天国」 しばらくして先輩に譲る 「ありがとう。いいね。」 火は中畑達夫の手のひらに隠れ、しばらくの間、灯が見えなくなる。 「あっちちっち」 「そんなに最後まで持っているからだよ」 そして、また沈黙が続く。 「おい寝るなよ」 「・・・」 無性に眠くなる。 吸い込まれるような気持ちの良さである。 「寝るとそのまま死ぬぞ」 「いや、大丈夫です。直ぐに起きるから」 「いや駄目だ。二度と目が覚めないぞ」 「5分だけ頼みます。」 駄々っ子のようなお願いをしている私は長州大学法学部一年二十歳、中畑達夫は工学部の二年、山村俊郎は理学部数学科の二年である。 そして今日は私の成人の日。 昨日の夜、いつものように下宿の中畑達夫の部屋に集まって、コーヒーを飲みながらあれこれと話をしている時、誰かが 「明日、傾山に行かないか」 と言い出したのが発端だ。 当時、標高一、二〇〇メートルの傾山から斜山と続く縦走コースは、手軽な冬山のコースとしては中国地方の学生の間では人気があり、傾山は天然のスキー場としても有名である。 「いいね」 と賛成するとまたお茶を飲む。 この頃多くの学生は食べてゆくだけで精一杯でコンパの時以外は酒は飲めなかった。 毎夜の如く何処かの部屋に集まり、お茶で何時間も過ごすのである。学園生活に於いては、そうそう変わったことがあるわけでない。 それでも授業のこと、女の子の話題、サークルの話など話題は尽きない。 こういった訳で、次の日三人でリュックを担ぎ、ヤッケにキャラバンシューズという姿で傾山の麓に現われたのである。 スキー場までは順調で、直ぐに傾山の頂上に達した。 「このまま、斜山まで尾根を縦走しようか」 「うん。いいね」 日頃仲の良い三人は異議を唱えることは少ない。そのまま尾根伝いに歩き始めた。 「奇麗だね。うん、すごいね。」 尾根に積もっている雪の上を歩くのにサクサクとして気持ちがいい。 「昼飯にしようぜ」 全員下宿生のことである。おにぎりなど気のきいたものはない。アンパンなどの菓子パンが主体である。 コロッケやジュースで腹を満たす。 「さあ、このまま一気に進もう」 暫く歩いていると白い雪が落ちてきた。 綿のような白く大きな粒である。 すこし寒くなってきた。さっきまでの快晴が嘘のようだ。遠くを見ると山の稜線が白くなり、境界が薄墨色に染まってきた。 「奇麗ですね」 「うん、でも早く降りよう」 雪はだんだん数を増し、音もなく降り注いでくる。キャラバンシューズのサクサクという音だけが聞こえる。 「やばいな。真っ直ぐに降りられないかな」 「うえ〜」 尾根の雪から降りようとして足を入れたとたんにズボッと腰のあたりまで埋まってしまったのである。 「おい、やっぱり尾根伝いにそのまま歩いて縦走するしかないよ」 ついに一粒の雪は益々大きくなり、降り注いできた。歩き方も一歩足を抜いては次に踏み入れることの繰返しになった。 そして時々稜線を踏み外すと胸のあたりまで埋まってしまう。もう誰も口を聞かない。 何か言うのが恐い。 足が重い。前に進むのが難しい。足を思い切り上げて前に踏み降ろす。頭に何かが触れる。キラッと光る小さな刀身が無数にある。霧氷である。 雪と冷たい風による芸術だ。すべての刀身が同じ方向を向いている。 周りを見回すと殆どの落葉樹の枝に細かく霧氷が見える。霧氷は風の方向に刃身を煌かしている。 奇麗というより、土壇場にいる気分だ。 とにかく前に進むしかない。降り始めて四時間程進んだところで中畑達夫が言う。 「体力を消耗しないようにこの辺でビバーグしようよ」 冬山で遭難したら雪を掘って雪洞を作り、体力の消耗を押さえて救いを待つのが鉄則だ。 全員で雪を固める作業に入った。 ところが肝心の雪が固まってくれない。 両手で雪を握り、固く押さえて離すとさらさらと両手から落ちる。これではビバーグする穴は掘れない。 専門家は中国地区で降る雪は北アルプスなどと異なり、湿った雪だと言うがぜんぜん違う。どうしたらいいのだ。 皆に絶望感が広がる。 「ここにいたら、危ないから前に進もう。」 再び、足を交互に動かす。もう霧氷も、景色も目に入らない。只、前を進む山村俊郎の背中だけを見て足を動かす。 突然前を進む中畑達夫が埋まった。尾根から外れたらしい。 しかし、助ける余裕がない。その間、やっと訪れた休憩とばかりに待って息を吐く。 中畑達夫は自力で元に戻る。 それでも既に我々の歩いている姿は、腰近くまで埋まっている。 両手で体を前にして平泳ぎの要領で支えて、左足を抜いて前に出し、次は右足。 もう進めない。しかし、二人に置いて行かれるのは嫌だ。ここで自分一人死にたくない。 どのくらい時間が経過したのだろうか。 「あった」 中畑達夫が突然叫んだ。 見るとずっと先に何やら洞穴のようなものが見える。三人が競争して泳ぐように進む。 どうやら今は使われなくなった炭焼きの釜の跡らしい。入り口が小さく丸い洞穴となり、あちこち穴が空いて壊れている。 しかし今の我々にとっては、立派なホテルである。入ると中は暗く湿っているが、三人が座る程度の場所はある。もう、外は暗くまだ雪は降っており、このまま外にいれば確実に終わりだった。 そこで、三人が体を寄せ合って一夜を過ごすことにした。 ようやく落ち着いた当初は天国のような場所も、入り口から入る風の冷たさは別格である。 外の吹き晒しの寒さは勿論だが、隙間風の冷たさも一段と厳しい。 「何か燃やそうよ。外で枯れ木を探して来てよ」 先輩が指示する。早速、何本かの枯れ木を持ってくる。 既に先輩はリュックの中から新聞などの燃えるものを出し、焚き火の準備していた。 「ゴホ、ゴホ」 < とんだ 八郎 >
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